
日本史を変えた「鎌倉殿」と「執権」という、2人の政治家ーー。
源平合戦から承久の乱まで、武士中心の社会は、いかにして生まれたか?
朝廷と幕府の関係が劇的に転換する日本史上の画期を描き出す!
・流人の頼朝を、北条氏が庇護した理由とは?
・富士川合戦の実像
・一の谷合戦の勝因は?
・源平合戦とは「武家の棟梁」勝ち抜きトーナメントだった
・頼朝の権力は、従来の「武家の棟梁」とは何が異なるのか?
・なぜ弱小御家人が筆頭の地位を占めるに至ったか?
・ポスト頼家をめぐる北条氏と比企氏の対立
・父時政を追放した義時
・実朝暗殺という窮地
・承久の乱は何をもたらしたか……
楽しい内容である!!
最近、著者と本郷直人の本をよく読んでいる!
定説が二人によってひっくり返されている???
「応仁の乱」が良い例である!! 定説は何だったんだろうか??
鎌倉時代に、室町時代がよく分かる!!
頼朝と義時! 連続している………
前半は頼朝、後半は義時!
内容は下記の通りである! ① 頼朝、② 義時と分けて紹介する!!
① 頼朝
はじめに
第一章 伊豆の流人
第二章 鎌倉殿の誕生
第三章 東海道の惣官
第四章 征夷大将軍
② 義時
第五章 頼朝の「家子専一」
第六章 父との相克
第七章 「執権」義時
第八章 承久の乱
主要参考文献
あとがき
はじめに
頼朝と義時と2部構成である!!
どちらも後世の評判は二人ともよくない??
実戦経験は二人ともない??
大軍を指揮した経験は??
頼朝は??
・21年間流人として生活している!
・神輿は軽くてパーが良い! そんな存在か???
・貴族的であるがゆえに頼朝には限界もあり、
朝廷に仕える「王家の侍大将」という自己認識が強く、
朝廷と大きな軋轢を起こしてまで武士たちの権利を擁護するという意識は希薄だった??
・治承・寿永の勝者!
義時は??
・伊豆の弱小の武士である!
・承久の変の勝者!
頼朝の性格が、鎌倉幕府成立後も、公家が武家に優越する体制は続いたことになる!
この体制を覆したのが承久の乱であり、その勝者が義時である!
東国武士として生まれ、かつ義兄頼朝の政治と権謀術数を学んだ義時が、
武士一般の利益を代弁する組織としての鎌倉幕府が成立するには、
頼朝と義時という二人の政治家が不可欠だった………
中国、朝鮮半島では文官優先である!
何故、日本は武士優先になったのか??
そのヒントのために、武家政治の創始者として、頼朝と義時の二人を取り上げている………
第一章 伊豆の流人
1 御曹司から流人へ
義朝は父為義と仲違いしている!
次男義賢を跡取りにしている!
が、関東で力をつける!
三浦、上総、大庭らを傘下に加える!
順調に出世し、為義を官位では超える!
河内源氏の棟梁になる!
ましてや関東で、息子義平は義賢を襲い殺す!!
為義との仲が決定的か??
保元の乱で父と敵対する!
勝利し、父らを助命願うが叶わず、処刑する!
源氏のライバルたちを葬り、立場は強化される!
頼朝は母の身分が高く、跡取りになる!
平治の乱で義朝は負けて、頼朝は助けられて伊豆に流される!
清盛の義母の助命嘆願である!
伊豆は古来より重罪人の流人地である!
ここで比企尼に援助を受ける! 頼朝の乳母である!
この時期安達長盛が側にいる!
もう一人は、三善康信、下級官人で京の情報を伝える!
2 頼朝の結婚
伊豆の豪族、伊東祐親の娘に手を出し、息子を設ける!
平家の怒りを恐れて、子供を殺し、娘を江間に嫁がせ、
頼朝自身を殺そうとする???
結局、北条時政が頼朝を預かる!
ここで政子と恋仲になるが、政子は伊豆目代山木兼隆へ嫁がす予定だったが………
政子は山木から逃げ出し駆け落ちする??
ただし山木兼隆が伊豆目代になるのは頼朝の挙兵直前だと?
後世の創作か??
この時の年齢もはっきりしないようだ………
時政もこの時に天下を取ろうとは思わなかった?
単に北条の声望を高めようとしただけだと!!
・桓武平氏
・高持王 上総介となり、上総に下向する
・息子が地方豪族の娘を娶り、桓武平氏の勢力が広がる!
・千葉氏、三浦氏などである!
婚姻を勢力拡大につなげるのは当たり前である!
源氏の貴種は、利用価値がある!
伊東祐親は伊豆でも屈指の有力者である!
北条は飲み込まれないようにしたかった??
賭けに出た! いざとなれば頼朝を殺せばよい???
3 北条氏の性格
伊豆の小土豪??
まわりには同じような小豪族がいっぱいいる!
在所を名字にした武士が多い!
ということは動員数も少ない?
頼朝旗挙時、90騎??? 諸説はあるがそんなものか?
奥州藤原氏は、はったりでも17万騎???
その時北条は30以下??
大した勢力では無いようである!!
時政は子供が多い!
牧の方??
結婚時期も諸説がある!
平頼盛 源頼政 源頼朝の連携に中で、婚姻が勧められる!
政治的思惑がある???
北条政範が亡くなった年は??
そこから逆算する???
4 挙兵の決断
以仁王の令旨!!
1179年 清盛は福原から京に上がり、後白河上皇を幽閉する!
「治承3年の政変」
以仁王は打倒平氏に向かう!
以仁王、頼政は挙兵し、負ける!!
以仁王令旨を受け取った源氏は追討される??
清盛は残党狩りの指示だったが、誤解する!!
頼政が死に、目代に山木兼隆が抜擢、平氏系である!
頼朝は挙兵せざる得なくなる???
この時に、後白河法皇の平家追討の院宣があった??
文覚上人が、後白河法皇のところまで行って、院宣を貰って来た??
簡単にそんな大事なものを発行するか??
源氏が勝つとは決まっていない??
また平氏に幽閉される恐れがある?
どうもこれは正当化のための創作か???
1180年 頼朝は東国武士を招集する!
が挙兵は無謀と思われていた??
大庭景親が下向して、頼朝対策に従事する!!
関東における反乱は、平将門である!
意気込みは買えるが、たいしたことは無かったと!
挙兵計画は漏れている!!
佐々木兄弟が遅参するが「叱責する」
山木兼隆を襲撃する!
この日は祭りで手薄だった………
山木兼隆は油断していた???
まさか頼朝は反乱するとは思っていなかった??
所詮は不意討ちの勝利である!!
第二章 鎌倉殿の誕生
1 頼朝の敗走
緒戦に勝利し、伊豆を手に入れる!
300騎の規模になる!!
工藤茂光が協力する!
伊東祐親を倒すためには必要である!
三浦一族は豪雨で遅れる!!
石橋山で決戦がある!
頼朝300騎VS大庭景親3,000騎????
北条宗時、工藤茂光は死ぬ!
2 鎌倉入り
三浦一族の長老義明は89歳で死ぬ!
土肥実平が、かばった話はない?
阿波に逃れる!
阿波は三浦一族が影響力がある!
阿波を掌握する!!
上総広常はすでに味方である??
2万の軍勢で、これはいかがなものかと?
遅参を叱責する話は??
では千葉常胤は???
上総広常より先に隷属したとあるが、そうではなさそう!
房総半島を掌握し、武蔵へ進出する!
2万7千騎と言う???
武蔵は秩父平氏である!
・畠山
・小山田
・河越
・江戸
・葛西
・豊島
これらを全員降伏させる!!
相模は、大庭景親、伊東祐親らであるが孤立する!
相模進撃である!
先陣 畠山重忠、後陣 千葉常胤!
まず鎌倉に入る!
頼朝は政治的、経済を考えて鎌倉を選んだ!
ド田舎ではない!!!
3 富士川合戦
甲斐源氏 武田信義、一条忠頼親子!!
頼朝の傘下に入ったわけではない!
単独で兵を挙げた??
鉢田合戦で平家2千? 3千騎をせん滅した??
駿河は武田の手に落ちる!
平維盛が追討軍を率いる!
だいたい現地勢力がけりをつける??
平将門も藤原秀郷が討伐した?
この追討軍は頼朝ではなく、信義にである!
これに伊豆の大庭景親らは合流しようとするが、阻止される!
清盛は甘く見ていた??
富士川合戦!
水鳥の音で平家は撤退した???
そんなことは無い!
この戦いは、平氏と甲斐源氏の戦いである!
平氏は兵が減少し1~2千騎で、甲斐源氏は4万???
これは平氏を貶めている??
頼朝は富士川の勝者ではない!
坂東に従わない勢力がある!
・常陸 佐竹氏
・上野 新田氏
・下野 足利氏
果たして上洛の命令は出せるのか??
上総広常、千葉常胤、三浦義澄らの反対はあった………
ここは関東の地固めか??
黄瀬川に戻った頼朝のところに、義経が来る!
義経は秀衡から兵を付けられている??
と考えた方が良いのか??
ともあれ、その前に阿野全成が駆けつけているが、
待遇に差がある??
義経は頼朝に子供がなく養子になる!!!
4 南関東軍事政権の樹立
相模へ戻り、新恩給与と本領安堵を行う!
武士にとっては所領は命である!
新恩の原資は敵の土地である!
かってに奪い自分のものにする!
それらの追認もある!
この時期、源氏の立場は同等である!
むしろ富士川合戦に勝った、武田信義が駿河、遠江を占拠し、有利である!
これに対抗し、武士の支持を得るための新恩給与と本領安堵である!!
常陸の佐竹成敗である!
まず上総広常らの頼朝の上洛を止めた?
これはどうもなさそうである!
上総、千葉と佐竹が対立しているので佐竹征伐??
と言うより、頼朝の意志か??
・頼朝の軍事的威信の回復・恩賞地の確保
・奥州藤原氏対策! 佐竹との連合を恐れる?
頼朝は鎌倉に戻り、新邸、大倉御所に転移する、移徒の儀式!
311人の武士が2列に並ぶ!
これらが、御家人になる!
頼朝は「鎌倉の主」になる!!
鎌倉が首都として一変する!!
第三章 東海道の惣官
1 諸勢力の動向
平家は??
・治承4年 近江源氏 山本義経らが打倒平家で挙兵 鎮圧
東大寺、興福寺を焼く!
・治承5年 美濃源氏 源光長 鎮圧
高倉上皇 病死
平宗徳 五機内、伊賀、伊勢、近江、短波のそう官職に任じられる
9カ国の兵を動員でき、畿内では無敵か?
清盛が64歳で死ぬ!
美濃の次は尾張である!
清盛は「わが墓前に頼朝の首を供えよ」
宗徳は政権を返上する!
頼朝らの大義名分は、清盛打倒に、後白河院の救出である!
どちらも解決したのだから大義名分が無くなる???
平家は「頼朝の首だけ欲しい」
他の源氏は罪に問わない!!
仲間割れを誘う!!
墨俣川で平重衡は、源行家、義円を撃破する!
食料不足で引き上げる???
頼朝にとって、諸国の源氏はライバルである!
木曽義仲は??
義朝の弟・義賢の息子であり、頼朝と従兄弟である!
父を殺されて、頼朝を恨んでいる??
挙兵し、越後を制圧し、北陸に進出する!
頼朝にすれば、義仲と甲斐源氏の連携は悪夢である!
頼朝も提案する??
西国を平氏、東国を源氏が治めて、源平が朝廷に仕える!
後白河院はその気になるが、平氏は墓に頼朝の首がいる!
本気かどうか、意見は分かれるが………
が頼朝は義仲に、奥州藤原氏の動向も気になる???
平氏もありえない受領がある!
どちらも奥州は気になる!!
2 東国行政権の獲得
以仁王 遺児の北陸宮は義仲を頼る!
源行家?? 問題を起こす人間である!
この存在が両者が不仲になる!!
行家も原因である!
嫡男 義高を鎌倉に人質に出し対立は回避される!
義仲は倶利伽羅峠で平氏を破る!
牛の角に松明??? ウソ臭いが………
加賀国篠原での合戦!
平氏4万余騎VS源氏5千!
平氏は負ける??
摂津源氏の多田行綱が大阪湾を占領する!
平宗徳は、挟撃を恐れて西国へ落ちる!!
京は食料不足である!
京にはいった源氏が食料不足になると!
が、後白河院の脱走を許す!
上洛したのは、義仲、行家だけでない!
甲斐源氏 安田義定
美濃源氏 源光長
近江源氏 山本義経
寄せ集めであるので指導力が無ければバラバラになる?
後白河院の論功行賞!
第一位 頼朝
第二位 義仲
第三位 行家
妥当なな順位か??
行家は不満??
しかし、京に入ったのは義仲である!
平家が安徳天皇を連れ去ったので、代わりの天皇がいる?
義仲は北陸宮の即位を要求!
ここで卜筮、占いで決める!!
くじ引きと同じか???
著者は言う、ヤラセである???
これが後鳥羽天皇である!!
皮肉なのか???
義仲は食料確保に苦しみ、寺社、住宅への乱入、
畿内周辺の田畠の刈り取りを制止出来ない!!
後白河院は義仲に平家追討を命じる!
ここで後白河院と頼朝の和平交渉??
単なる取引がある!!
挙兵からの合戦記録を提出している!
第一条 平家に奪われた東国の寺社領荘園を元の寺社に返す
第二条 平家に奪われた東国の院、公家らの荘園を返却する
第三条 降参した平家方の武士の閨閥を減免して断種しない
即時の上洛は、佐竹、奥州藤原氏の南進の恐れに、
多数の兵が京に入ると食糧難になる!!
寿永2年10月宣旨が頼朝に下される!
東海道、東山道の荘園の年貢を京都に納める!
年貢貢納は頼朝が行う!
処分は頼朝が行う!
東国の軍事警察権に、行政権が与えられたと考えれる!
今までは、バラバラで徴収していたが、一人にまとめたのは初めてだと!
後に成立する鎌倉幕府は、越後、信濃、三河以東を勢力範囲と見なした!
3 義経の京都進出
義仲は水島で平家に負ける!
京に帰還する!!
義経を京に派遣する!
500~600騎である??
義仲と共に上洛した諸国の源氏は、離反する!
法住寺合戦??
義仲は源光長らを討ち取る!
義仲は後白河を監禁し、頼朝追討令を出す!
「征東大将軍」に任命される!
が、離反者が相次ぎ、範頼が援軍として派遣される!
この時期上総広常が、誅殺されている!!
ここで義仲は負けて、甲斐源氏も頼朝に従属していく!!
頼朝は源氏のトップには執着したが、平家とは共存でもよい!
範頼、義経は平家追討に、一の谷に向かう?
平氏2万騎VS源氏2千~3千期騎と言う!
源氏の圧勝になるが………
「鵯越の逆落とし」
これはあったのか??
分らない???
解説がある!!
・義経は西の一の谷
・範頼は東の生田の森
・多田行綱が鵯越を突破し福原を突く
・動揺した平家の隙を見逃さずに一の谷を攻略する
【夢が無くなる】
戦勝で頼朝は4ヵ条の申請を行う!!
第一条 将来的な東国行政権の変換
第二条 平家追討
第三条 神社の保護
第四条 悪僧武装解除
和平案は??
安徳天皇、建礼門院徳子、平時子、清宗が上洛、
宗盛は讃岐が知行国で在国する!
が決裂する!
平家追討になるが、土肥実平、梶原景時が追討使である!
義経の検非違使自由任官」とは関係が無い???
この時、伊賀・伊勢平氏の乱が起こる!
元から平氏の地盤である!
西国で平氏が善戦している!
が徹底的に弾圧される!!
義経はこれに対抗し、西国に行けない!!
上総広常さえ粛清している!!
武田信義の嫡男 一条忠頼も暗殺されている!
4 平家滅亡
頼朝は鎌倉で、政権の基礎固めを行っている!
重要である!
文官も集められる!!
・中原広元(大江広元)
・中原親能
・二階堂行政
・足立遠元
・藤原邦通
・三善康信
義経が動けず、範頼が指揮するが苦戦である!
最初は順調であるが、長門で補給戦が伸び切る!
頼朝は長期戦構想であるが、兵が遠征に耐えれない??
和田義盛も帰りたがる!
ただ、安徳天皇、二位尼、三種の神器の確保を命じている!
鎌倉と長門の連絡はどうやっていたのか?
ずれもある!!
頼朝も短期決戦に傾く??
屋島の戦い!
義経は水軍の整理を行う!!
梶原景時と「坂櫓」論争は創作か??
頼朝は、御家人たちは範頼に従軍している!
手柄はこちらに立てさせたい!!
義経が活躍すれば困る??
が、義経は屋島で勝ち、平家は撤退する!
これで瀬戸内海の制海権を失う!
壇ノ浦の戦いである!
熊野水軍が味方である!
定説である!!
・潮流で勝てた どうもそうことではない??
・非戦闘員殺害 勝敗には関係が無い?
では勝因は??
単に船の数が多かったから???
制海権は義経が握っている???
誤算がある?
・二位尼が安徳天皇と入水する
・三種の神器の宝剣を失う
頼朝はこう言う不測の事態を避けたかった………
第四章 征夷大将軍
1 文治勅許
壇ノ浦の合戦後、範頼は九州に、
義経は捕虜を連れて上洛!
捕虜の処理が進む!!
範頼は凡将ではない!
が義経一人が目立つ!
梶原景時の讒言は、東国武士の総意か??
頼朝と義経は、行家の処遇で対立する!
そもそも行家に問題は多い!!
頼朝は行家討伐を決意するが、義経は拒否!
鎌倉に帰れば一御家人になる!
耐えれない!
京に居ればそれなりの待遇がある!
しかしもともと義経の兵は脆弱である!
頼朝あっての義経か??
頼朝が出陣するが、兵が集まらずに吸収を目指す………
暴風雨に遭い少ない兵もバラバラである!
頼朝は引き上げ、時政を京に派遣する!
「文治勅許」
恩賞として土地を与える場合、土地でなく「職」で与える!
下司食、公文職 荘園経営を行う代わりに、
「得分」収穫物の一部を貰う!
九条兼実の日記によれば
① 五機内、山陰、山陽、南海、西海諸国を頼朝配下の武士に分け与える
② 諸国で段別五升の兵粮米を徴収することを認める
③ 田地知行も認める
④ 人事権を認める
義経、行家追討の一時的な処理で全国的な軍事総動員体制が公認される!
2 奥州合戦
1185年 朝廷へ改革要求を出す!
第一 九条兼実ら10名を「議奏公卿」に指名、10人の合議により国政を運営する
第二 頼朝追討宣旨割球に関与したものの解任と、代わりの指名
義経与党は掃討される!
行家も討ち取られる!
義経は逃げ回り、奥州へ行く!
頼朝は、奥州藤原氏と義経が結びつくことを恐れる!
駆け引きがあるが秀衡は亡くなる!!
勝負あったか???
著者は17万騎を出さない??
跡取りは泰衡! 遺言を守る?
異母兄 国衡 恭順??? 無理がある!
頼朝は薩摩の島津にまで動員している!
圧力に耐えられなくなった泰衡は義経を襲う!
義経の最後である!!
これで奥州征伐は無くなる???
頼朝はやる気十分か?
大庭景能に聞く!
「軍中には将軍の命を聞き、天使の詔を聞かず」
やれということか??
延期の宣旨が来るが出撃する!!
・東海道軍 千葉常胤、八田知家、
・北陸道軍 比企能員、宇佐美実政
・大手軍 源頼朝
28万騎?????
数万か??
3ヶ月の遠征である!!
頼朝は何を得たのか???
・源氏の嫡流の地位を手にした
・全国に動員できる力を得た
・この戦いで、頼朝の御家人が明確になった!
3 大将軍任官
1190年 頼朝上洛!
権大納言、右大将に任じられるが辞任する!
在京出来ない!!
鎌倉でやることがある!!
後白河法皇は死ぬ!!
「征夷大将軍」
頼朝は望む!
が2年で辞任する!!
その間に、御家人制度を整備する!!
再構築する???
4 晩年の孤独
曽我兄弟の事件で、範頼が失脚、殺される!
源氏の有力武士は暗殺、追放である!!
・一条忠頼 武田信義の嫡男
・板垣兼信 仝三男
・多田行綱
・安田義定・義資父子 甲斐源氏
頼家の地位を脅かす武士は排除する!
では、足利に新田は???
頼朝は重源の大仏殿造営事業に多大な援助を行う!!
大姫入内計画がある!!
まずは、後白河との関係強化である!
後白河の死で白紙になる!
目的は、鎌倉殿の家格上昇である!
頼家のためのようだ!
後鳥羽天皇の義弟になる??
が、大姫は病弱である!!
亡くなる!
が次女三幡を次の候補にするが、三度目の上洛は無かった………
1199年 頼朝は亡くなる!!
歴史学者は、頼朝を失敗したと言う!
それは後世の歴史を知ったものが言うセリフである!
頼朝は
・朝廷を利用して、権力のの維持を図った?
・源氏嫡流にとして、有力者を粛清する
・主従関係を全国に広げた
・武家の棟梁は朝廷に奉仕する
・頼朝には朝廷の権威が必要だった
・頼朝は自己抑制で朝廷の下部組織にとどまった!
これを劇的に変えるのは、北条義時である………
頼朝と義時 武家政権の誕生 ①・呉座勇一
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