明智光秀 本

2023年9月28日 (木)

本・信長を操り、見限った男 光秀 史上もっともミステリアスな武将の正体 ②(2019/9)・乃至政彦

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第九章 天下布武の印判の真意
第十章 義昭と信長の上洛
第十一章  三者協議でつくられた五か条の条書
第十二章  延暦寺焼き討ちと将軍義昭の挙兵
第十三章  明智から惟任への改氏
第十四章  丹羽平定と御馬揃え・家中軍法
第十五章  信長への失望と本能寺の変
終  章 山崎合戦と惟任滅亡
脚注
おわりに

 

第九章 天下布武の印判の真意
著者は信長の傾奇者らしい信長独特の造語センスを言う!!
著者の分析!
細川政権→三好政権→織田政権を想定していない!
美濃、尾張、北伊勢を支配し、それを守るために介入した!

当時は、公家、寺家、武家の内、
武家が天下の権を握る???

天下とは五機内と言う狭い地域を示す!
天下とは日本を示す??
信長の意識が何処にあったのか??
「布武」は日本では使われていない?
中国古典「礼記」 「堂下布武」
要は信長の造語だと?
戦国武将は教養は無いものの方が多い!
が禅僧など僧が教育係で耳から実戦体験と合わせて理解する!
信長は、「かっこいい」と言うセンスで使った??
別に天下を狙えない武将も「天下」という言葉を使う例もある??

 

第十章 義昭と信長の上洛
・永禄11年 1568年 信長は上洛する!
足利義昭は征夷大将軍に任じられる!
信長は畿内の秩序回復を行い、引き上げる!
政権を再編する!
信長の手は加わっていない!
この時、14代将軍義栄が死ぬ!
新将軍は直属の兵を持たない!
で信長が兵を置く!
「五千計」???
5000と言えば相当数である!
光秀も京に置かれる!!
信長は美濃・尾張の関所を廃する!

・永禄11年 1568年 殿中御掟9か条、追加7か条
その一つである!!
門跡や僧侶、比叡山延暦寺の僧兵、医師、陰陽師をみだりに殿中に入れないこと
御足軽と猿楽師は呼ばれれば入ってもよい!
御足軽、非正規な立場で、曖昧な存在であると!

・永禄12年 1569年 本能寺の変
三好三人衆らが本国寺の義昭を攻撃する!
織田方には光秀も参加している!
この時、信長は死ぬ気で駆け付けた?

フロイスは岐阜に行っている!
・二条御所の改築を70日で仕上げる
・伊勢を攻め落とす
本人のその意識はなくとも、政権が見える!!
光秀は幕府と織田の両方に属している!
藤孝の部下とされている??
義昭、藤孝、信長と繋がっている!!

 

第十一章 三者協議でつくられた五か条の条書
永禄末年までの光秀は??
・藤孝の中間
・義昭の御足軽
・信長の在京武官

・永禄12年 1569年 長男誕生  玉より6歳年少!
14歳で父と同日に病死!  光慶!
【逸話をほとんど聞かない】

この時期、信長伊勢を攻め、上洛し、帰国する!
機内に干渉しないようにしている??

フロイスは信長に布教を認められている!
これを良く思わない、日蓮宗・朝山日乗と対立!
讒言する??
和田惟政が信長に干される!!
復権するが、幕臣は怯える!

・永禄13年 1570年 
五か条の条書を光秀、朝山日乗に出す!
一. 将軍が御内書を諸国へ発する際には、まず信長に下命して書状を添えさせること
二. これまで出された将軍の御下知はすべて無効とし、御思案して定め直されること
三. 幕府に忠節した者に恩賞・褒美を与えるための土地がないときには、
信長の分国の中から提供するのでご下命くださること
四. 天下のことはいずれも信長に委任された以上、
誰であっても将軍の裁可を得るまでもく信長が意思どおりにおこなうのを認めること
五. 天下は御静謐となったのだから、朝廷のことはいつも怠りなくおこなうこと

両者は信長家臣と並んで働く??
「金ヶ崎の退き口」
信長の朝倉攻めである! 
浅井長政の裏切りがある!
信長は一人で逃げ出す???
秀吉、光秀、池田勝正、家康らが殿か???
光秀の隊長デビューか??? 43歳である???

 

第十二章 延暦寺焼き討ちと将軍義昭の挙兵
・永禄13年 1570年 改元! 元亀に変わる!
・仝  姉川の合戦
・仝  比叡山延暦寺焼討ち!
強く諫めたと??
そう言う記録は無いと言う?

この1年前の「滋賀の陣」 「志賀の陣」??
三好三人衆が挙兵!
延暦寺に敵になるなと言うが、無視される!
どうも延暦寺のええ下限さに怒った!
これの恨みがある!!
【信長は恨みを忘れない??】

仏教は五戒がある!!
・不殺生
・不邪淫
・不偸盗
・不妄語
・不飲酒
全然守っていない!!!!!
信長は3,000人殺す!!
【仏敵か???】

滋賀郡の統治を任される?
幕臣の中間から一郡域の支配を預かる!
坂本城を築城する!
光秀は築城の能力があったようだ!!
ここで統治し、比叡山と幕府と揉める???
信長と義昭が対立する!!

・元亀4年 1573年 
本願寺、朝倉、浅井と信玄西上の義昭が呼応した??
信長は妥協しようとするが、義昭が応じない!!
光秀は義昭挙兵に呼応した幕臣を討ち取る!
この時期、信長は光秀に救われる???
ただ信玄は西上時、病死する!!
義昭は再度挙兵する!!
信長に人質を取られて京を追われる!!
信長は慎重に事を運ぶ………

・元亀元年 改元、 天正である!
各個撃破である!
・朝倉義景
・浅井長政
・三好義継
残るは本願寺と武田!!
義昭は毛利を頼る(えらい迷惑である)

安国寺恵瓊が動いている!!
「信長之代、五年、三年は持たるべく候 明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候 
左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候 藤吉郎さりとてはの者にて候」
織田信長の転落と、羽柴秀吉の躍進を予想していると!
恵瓊の慧眼を示す逸話としてよく引き合いに出される!
【司馬遼太郎 もはや神に近いと褒め過ぎる!】

安国寺恵瓊は、義昭不在のてんかがどうなるか見立てた!
3、5年で帰洛しなければ、信長の代行政権は長続きしない!
秀吉は将軍がいない天下も仕方がないと………

信長は将軍を失う!!
権威のために蘭奢待の切り取りを申請する!
かって土岐頼芸がやった事と同じである!

長篠の戦を宣伝しまくり、
上杉、毛利も反織田に転じる!
越前府中で一向一揆を皆殺しにする!
「欲のため、仁・義・礼・智・信を忘れたる大将」

光秀は信長に称賛される! 戦況報告である!
「内容が具体的で、目の前で見ているようだ」
光秀の娘の縁談が決まる!
・信澄 
・忠興 

 

第十三章 明智から惟任への改氏
・天正3年 1575年 
光秀は日向守と惟任の姓を貰う!
惟任の姓は、誰も使っていない??
戦国時代は家臣の改氏が行われる!
かっての名門とかの苗字を与える!
信長は変わっている???
子供の名前である!
「奇妙丸」「茶筅丸」「大洞」「小洞」
これはセンスがある????

「惟任」の前は「維任」と署名している!
信長は九州制圧を考えている!
・塙直正  「原田」
・簗田広正 「戸次」と似通う「別喜」
・丹羽長秀 「惟住」

著者の意見?
・織田大名としてのポーズをとる??
・実績のない受領地を選んで重臣の官途とする!
・九州旧族風の名前を与える
・九州なら接点がない!

ここまで来ると推理小説風である??
・惟住  コレズミはイズミと読ませる!
・惟任  コレトウはイトウと読ませる!
日向は伊東氏である!
イトウ日向守ではあからさまである?
で光秀は惟任とした??
ただ「信長公記」太田牛一は「維任」で通している!
写本は間違いと思い、「惟任」である??
光秀は明智の苗字にこだわっていない??
信長のセンスと趣味がそう名乗らせた???

 

第十四章 丹羽平定と御馬揃え・家中軍法
・天正3年 1575年 丹波平定!
が裏切られる!
・天正5年 1577年 再攻略
・天正7年 1579年 波多野兄弟降伏
・天正8年 1580年 
「丹波国 日向守働、天下之面目をほとほし候」
丹波を光秀に、丹後を藤孝に与える!
亀山城を本城に、黒井城を斎藤利三に、福知山城を明智秀満を!!

安土城築城は??
・天正4年 1576年 摂津天王寺合戦!
足軽に交じって負傷する?

信長の用兵思想!!
少数精鋭と大動員の組み合わせにある?
その軍隊に原理原則は無い???
志ある者がしかるべき人数を連れて集い、大将の意向に従って、
結果を出せば褒賞する??

何の軍略も無いと言っている???
軍事的センスは無いと言っている!!
謙信や信玄は集団戦へ移す軍制になっている!

・天正9年 1581年 正月!
安土城の左義長を取り仕切っていた!!
これが信長に気に入られる!
そこで天覧御馬揃えの惣奉行に命じられる!
これを大成功させる!

「明智光秀家中軍法」を創成する!
これは調べてみた! 全文である!!
一 武者は陣地において、役者以外は大きな声を出したり雑談してはいけない
戦が始まった場面での軍勢配置や鯨波(敵を大声で威嚇すること)は下知に従うこと
二 先鋒部隊が指図する場合は、旗本侍の到着の後下知に従うこと
ただし先鋒部隊のみで行動を決定する場合は事前に申し聞いておくこと。
三 各々の部隊はそれぞれ足並みをそろえ、前後の部隊とも連絡を取り合うこと
鉄砲・槍・指物・のぼり・甲立・雑卒については、置き所を法度の定めている通りにすること
四 軍が進む際、馬乗りが遅れてしまうようでは、たとえ突然の戦であっても役に立たない
このような場合は領地を没収し、時によっては成敗する
五 旗本・先鋒と陣立てをするからには、足軽が敵と衝突し戦闘になる場合もあるが、
それでも下知を守ること
もし乱れたことをするものがいれば、身分に関係なく処罰する
また激しい戦闘地点の使者に対しては、どんな場合でも命令に従うこと
たとえ手柄を立てたとしても「法度」に背いた罪は回避できない
六 軍事行動や陣替の時、「陣取」として抜け駆けに士卒を遣わすことは禁止する
ただし、かねてから仔細を命じていた場合は、その到着を待つこと
七 兵士の食料の重量については、京都法度之器物(京都で作られた升)で三斗とする
ただし、遠方へ向かう場合は二斗五升とし、食料は一日八合ずつを領主から支給する
八 軍役の人数は百石について六人とする。百石未満の場合もこれに順ずる
九 百石から百五十石のうちは、甲をかぶった者一人・馬一頭・指物一本・槍一本を出す
十 百五十石から二百石のうちは、甲をかぶった者一人・馬一頭・指物一本・槍二本を出す
十一 二百石から三百石のうちは、甲をかぶった者一人・馬一頭・指物二本・槍二本を出す
十二 三百石から四百石のうちは、甲をかぶった者一人・馬一頭・指物三本・槍三本・幟一本・鉄砲一丁を出す
十三 四百石から五百石のうちは、甲をかぶった者一人・馬一頭・指物四本・槍四本・幟一本・鉄砲一丁を出す
十四 五百石から六百石のうちは、甲をかぶった者二人・馬二頭・指物五本・槍五本・幟一本・鉄砲二丁を出す
十五 六百石から七百石のうちは、甲をかぶった者二人・馬二頭・指物六本・槍六本・幟一本・鉄砲三丁を出す
十六 七百石から八百石のうちは、甲をかぶった者三人・馬三頭・指物七本・槍七本・幟一本・鉄砲三丁を出す
十七 八百石から九百石のうちは、甲をかぶった者四人・馬四頭・指物八本・槍八本・幟一本・鉄砲四丁を出す
十八 千石は、甲をかぶった者四人・馬五頭・指物十本・槍十本・幟二本・鉄砲五丁を出す。馬乗一人の着到は二人分になぞらえる

一から七条までが軍規、八から十八条までが軍役!
織田家としては画期的である?

信玄は言う!
「改善点があれば何でも指摘せよ」
「わが子孫だけでなく誰だろうとも、日本の中において、
迷うことなく数万の兵を率いて戦争を行えるよう、
信玄の軍法をこうして定めるものである!」

安土城は信長にしか似合わない!
・天正9年 1581年 御馬揃を行う!
これは、若公(義昭長男)に見せるためだと!
周囲の同意を得て足利将軍家を再興する???
問題は多い!
第一 足利将軍に人気が無い
第二 若公を預かっているのに、信長討伐を諦めない

信長は「摠見寺」を建立!
神として信長を拝め?
「死すべき人間にあらず、神の如く不滅のものなるが如く尊崇されんことを希望」

毛利を下し、義昭を引き取り若公へ家督を移譲させる!
毛利降伏後の総仕上げの準備は出来ていたと??
【本当かいなと???】

 

第十五章 信長への失望と本能寺の変
日本三大どうでもいい事件! 本郷和人が書いていた………
・本能寺の変
・坂本龍馬暗殺
・下山総裁暗殺

要は黒幕説から脱せよと!!
どう言う状況か???
・三職推任  受ければ若公将軍就任が出来ない!

信長はある密室において明智と語っていたが、
逆上し易く、反対意見を言われると堪えられない性質で、明智を足蹴にした
二人だけの間での出来事だったので、後々まで民衆の噂に残ることはなかった??
【ではなぜフロイスに伝わったのか??】

・これは事実だと?
・斎藤利三、那波直治の引き抜き
・四国問題
この問題に謎は無いと??
第一 信長に不満があった
第二 容易に殺害できる場所にいる
第三 決起後の武略を主導する立場にあった

要は光秀なりの成算があったと!
光秀は信長を「悪逆」と言うが意味は無さそう!
単に「敵」と言うこと??

「ときは今 あめが下しる 五月哉」
これに意味があるのか??
【分からない暗号で決起声明を出すかと?】

光秀にとっての武略は?
「仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略という!
これをみれば、土地百姓は可愛いことなり」
要は勝つことが全てだと!!

「本能寺の変」後に藤孝宛ての書状!
一 「元結を切ったことは仕方がない、考えてみれば仕方がない」
二 「摂津を分け与えますので待って行なす 但馬・若狭を望むなら仕方がない」
三 「自分の行為は忠興などを取り立てるためで、50日~100日の内に近国も落ち着くでしょう
その後は我が子光慶と忠興殿に政権を引き渡し、口出ししない」

何がやりたかったのか??
分からない…………
結局各個撃破どころかみんなの的になる??
秀吉が動けなかったら、光秀VS勝家である!
これも面白いIFであるが………

 

終  章 山崎合戦と惟任滅亡
家臣に家康は?
・家康   堺から三河へ!
・北畠信雄 伊勢より
・神戸信孝 摂津より 丹羽長秀!
・秀吉   即座に動く
・勝家   鈍い
・一益   関東で負ける

山崎の合戦で、負ける!!
先手衆は1万数千で同数??

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要は秀吉側の先手が光秀側になっていたかも?
・高山右近
・中川清秀
・池田恒興
そうなれば面白かった!!

光秀の最後は小栗栖???
どうもそうではなさそうである!!

 

脚注
メチャメチャ多い………


惟任光秀年表
1528年 享禄元年 1歳 美濃で生まれる
1547年 天文16年  20歳 美濃の土岐頼充に仕える
1556年 弘治2年 29歳 越前に移る
1560年 永禄3年 36歳 桶狭間の合戦
1563年 永禄6年 36歳 玉子(のちのガラシャ)が誕生
1565年 永禄8年 38歳 「永禄の政変」第13代将軍 足利義輝を暗殺
1568年 永禄11年 41歳 織田信長が足利義昭を立てて上洛
1569年 永禄12年  42歳 長男・明智十五郎(光慶)が誕生
1570年 元亀元年 43歳 比叡山 延暦寺焼討ち
1573年 元亀4年 46歳 義昭挙兵
1574年 天正2年 47歳 多聞城の留守番としtw派遣される
1575年 天正3年 48歳 長篠の戦い」 惟任に改名
1579年 天正7年 52歳 丹波八上城で皆殺し
1580年 天正8年 53歳 丹波一国を与えられる
1581年 天正9年) 54歳 京都天覧御馬揃の運営を仕切る
1582年 天正10年 55歳 本能寺にて織田信長を自害させる
「山崎の戦い」で、明智光秀敗死!

 

おわりに
読者の事を考えて書いたと!!
大河ドラマに便乗するのではなく、勝負する気で書いたと!!

 


信長を操り、見限った男 光秀 史上もっともミステリアスな武将の正体 ② ・乃至政彦

 

2023年9月26日 (火)

本・信長を操り、見限った男 光秀 史上もっともミステリアスな武将の正体 ①(2019/9)・乃至政彦

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生年月日や出自は諸説あり、信長に仕えるまでの前歴も不明………
本能寺の変の動機も闇の中………
だが、真偽入り混じる史料を一から精査しなおし、大胆にして繊細に推理を深化させることで、
光秀と信長の、あまりに意外な人間像が見えてきた!
謎に満ちた二人の関係を、エキサイティングに解明!


定説はどうなのか??
怨恨説、野望説、黒幕説………
要は光秀の考えだと!!
よくこれだけの史料を読めるものだと!
光秀に三成、吉継、氏郷は好きである!!
著者の本も何冊か読んでいるし、紹介もしている!
「仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略という!
これをみれば、土地百姓は可愛いことなり」
これが光秀の言葉と知った時は、唖然とした!!
内容は下記の通りである!! ① ②と分けて紹介する!!

 


まえがき  光秀と信長の、あまりに意外な人間関係とは
序 章 日の出の信長、燻る光秀
第一章 光秀の生年の謎
第二章 光秀が見た下剋上の美濃
第三章 光秀の出自を探る
第四章 越前での牢人生活
第五章 細川藤孝の幕府再興運動
第六章 「将軍の足軽衆」の実相
第七章 明智光秀の顔貌
第八章 岐阜への改称と信長の志


第九章 天下布武の印判の真意
第十章 義昭と信長の上洛
第十一章  三者協議でつくられた五か条の条書
第十二章  延暦寺焼き討ちと将軍義昭の挙兵
第十三章  明智から惟任への改氏
第十四章  丹羽平定と御馬揃え・家中軍法
第十五章  信長への失望と本能寺の変
終  章 山崎合戦と惟任滅亡
脚注
おわりに

 

まえがき  光秀と信長の、あまりに意外な人間関係とは
生年月日、出自も確かなことは分からない!
謎に満ちた戦国武将である!
本能寺の変も、怨恨説、野望説、黒幕説、選り取り見取りか???

光秀は3度、信長を操った………
➀ 信長は将軍擁立と打倒三好の道に引きずり込んだ
② 義昭を見限る一員をつくった
③ 明智を惟任に改名させた

信長の天下構想は??
それがどう言う意味を持つ???

 

序 章 日の出の信長、燻る光秀
・永禄二年 1559年 80人で上洛する!
この時、美濃の斎藤義龍が刺客を放つ!
長尾景虎も5,000人で上洛する!

この時光秀は越前にいる?
まともな俸禄もなく厳しい生活をおくっていた??
細川藤孝に仕えて信長のところに移る?

・ 永禄3年 1560年 桶狭間の合戦
・ 永禄7年 1564年 三好長慶死亡
・ 永禄8年 1565年 「永禄の政変」第13代将軍 足利義輝を暗殺される
足利義昭は信長を動かそうとする?
信長は積極的だと!!!

 

第一章 光秀の生年の謎
要は分からない??
明智の出ではないかも???
もし明智でも傍流である??

没年は??
・55歳
・67歳
一回り違っている!
・52歳説もある?
・43歳説??
67歳とでは34歳、三回り近く違う???
そもそも月経記録から推測である??

妻木氏光秀の正室とする?
姉妹だと言う説もあるようだが………
生まれた年も分からないのに、月日が分かるのか?
本書は、享禄元年 1528年とする!

光秀出生地は?
・ 恵那市明智町城山 落合砦
・ 可児市瀬田長山明智城
言ったもん勝ちか??
例えば本人が言ったとしても、誰かから聞いているはず??
実父も分からないの生誕地が分かるのか??
明智の名前がある??? それだけか??

例えば宮本武蔵である!
・播磨生誕説 兵庫県高砂市米田町 実家に近いのでこれと思いたい!!
・美作 岡山県東部 宮本村
・兵庫県揖保郡太子町宮本

黒田官兵衛は?
・近江木之本
・播磨西脇
ここは「軍師官兵衛」の時に行ったが、熱意が違った!
展示場では、ボランティアまで熱意があり、お茶まで出してくれた!!

・享禄元年 1528年
足利義晴の時代!
将軍が京から落ち延びている時代である!!
下剋上???

 

第二章 光秀が見た下剋上の美濃
土岐頼芸 戦国時代の美濃国の守護大名 土岐政房の次男!
土岐氏当主で兄の頼武及びその子・二郎頼充(頼純)と嫡流とが争う!
美濃国とその周辺国を巻き込んだ争乱の末、土岐氏当主、美濃守護となる!
が、後に重臣の斎藤道三に追放される!!

・永正14年 1517年 土岐政房は次男を後継者に指名!
ここで当然揉めて、政房・頼芸は負けて、頼芸は尾張へ亡命!
翌年、頼芸は兵を集めて戻ってくる!

・永世16年 1519年 朝倉が頼武の応援に付く!
これを繰り返す………

・大永5年 1525年 
頼武は「長井一族」に敗退する!
頼芸は「太守」として認められている!
しかし家督は二郎頼充が継いでいる?
頼芸は守護になるのが遅れる!
斎藤利政(道三)を重要視する!
親子二代の国盗りである!

・天文10年 1541年 道三は頼芸の弟を毒殺している!
某光秀が元服したころだと………

・天文12年 1543年 道三は頼充と争い越前に退かせる!
・天文16年 1547年 信秀の支援で返り咲こうとするが敗退!
頼充は道三の娘を娶る!
その後死亡! 毒殺と言われる!
・天文19年 1550年 頼芸は美濃を追われる!!
道三は残忍で有名である??

・天文23年 1554年 義龍に家督を譲る!
・弘治元年  1555年 義龍は兄弟を殺す!
・弘治2年  1555年 長良川合戦 道三敗死! 信長が動く!
道三は、信長に美濃の譲り状を渡している!

・永禄4年 1561年 義龍は一色に改名する! 33歳で急死!

光秀はどちらに付いたか分からない!
勝てば正義だと!!

妻木氏??
母に、年の近い姉妹が妻木氏?
光秀はフロイスに書かれる!
「裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、
戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった
また築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主で、選り抜かれた熟練の士を使いこなしていた」

道三を見ていると!! 道三そのものである??

「彼は誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、
その親愛の情を得るためには彼を喜ばせることは万時につけて調べているほどであり、
彼の嗜好や希望に関しては、いささかもこれに逆らうことがないように心掛け、
彼の働きぶりに同情する信長の前や、一部の者がその奉仕に不熱心であるのを目撃して、
自らはそうでないと装う必要がある場合などは涙を流し、
それは本心からの涙に見えるほどであった。
また友人たちの間にあっては、彼は人を欺くために72の方法を深く体得し、
かつ学習したと吹聴していたが、ついにはこのような術策と表面だけの繕いにより、
あまり謀略には精通していない信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい、
信長は彼を丹波、丹後二カ国の国主に取り立て、
信長がすでに破壊した比叡山の延暦寺の全収入とともに彼に与えるに至った」

相当なやり手である!
ただものではない!!
尾張には濃姫が嫁いでいるが頼れない?
近江には頼芸がいるので頼れない!
要は越前ぐらいしか無かった?
身分は「賤しき歩卒」???

 

第三章 光秀の出自を探る
著者のこだわりか??
・帰蝶とは書かない!!・
・義龍は道三の子でなく、頼芸の子??
【では土岐家を大事にしたのか?】

その出自は?
分からない??
土岐一族でも傍流の傍流か???
進士氏族?
道三亡き後、濃姫を頼っていない?

著者の推測は光秀の最初の主君は土岐頼充?
なぜ越前へ行き、収入も安定していなかった!
朝夕の飲食にすら困っていた??
「随分衆」???
光秀に土岐氏族の自覚は無かった!

妻木広忠! 光秀の伯父??
著者の推論?
・父 明智下野守
・母 妻木氏出身
妻木氏は「桔梗紋」
光秀は明智の一族であるが、敵流ではない!
謀反人と言うことで、伝説になった??

信長の家来は素性不明のものが多い!
越前で足利義秋と細川藤孝が流れ着き、信長との仲介役を申し出る??

 

第四章 越前での牢人生活
越前の光秀の特徴は?
・鉄砲の技術??
・「兵書」に詳しい
・戦国屈指の兵学者
・一向宗と戦う
・仕官したのか? 陪臣か?
・称念寺の門前に10年居住した!
【明智神社もある】

光秀の正室は??
近江の田中氏????
名前は熙子???
・永禄6年 1563年 長女玉が生まれる! 36歳である!
【光秀の三女ではないのか??】


第五章 細川藤孝の幕府再興運動
・嘉吉元年 1441年 嘉吉の乱
将軍義教を、赤松満祐が殺す!
光秀みたいな奴か??
この乱は全くの私怨、行き当たりばったりで、単に恐怖で将軍を殺したかった!

・永禄8年 1565年 永禄の変
将軍義輝暗殺!
・旧説では、松永弾正と三好三人衆??
・そうではないと? 三好義重、三好長逸、松永久道と言う!
これは松永弾正は関係なさそうである??
【この話は?? 信長は家康に対して、松永久秀が、世の中の人が成しがたいことを3つ成したと】
【1つ目は「将軍・足利義輝の殺害」、2つ目は「主君・三好義興の殺害」、3つ目は「東大寺大仏殿を焼き討ち」】

日本のクーデターは、後のことを考えていたのか?
後鳥羽上皇は??

三好政権はあったのか?
自らから政権を志向したわけではなさそうである!

織田信長は本能寺の変で暗殺され、織田政権は崩壊する!
が足利将軍が殺されても幕府は存続している!
その後は畿内の小競り合いか??
細川藤孝は、義輝の弟義秋を寺から連れ出す!
6歳から30歳まで僧である!!
いきなり武家の棟梁である!
藤孝は信長にも接触する?
この頃より、「麒麟の麒」を形どった花押を用いる!
が第一次上洛作戦は失敗する!
一色と織田の紛争である!!

光秀は藤孝でなく、別の奉公衆と出会っている!
近江高島郡の田中城で籠城している!
・越前で浪人し、田中城城主に気に入られて娘を娶る!
・幕府奉行衆沼田清信の目に留まり、医学を教える!
・当時は光秀は無名である!!

 

第六章 「将軍の足軽衆」の実相
藤孝の中間となる!!
・永禄10年 1567年 義秋は義昭と改名する!!
信長を頼る!
隠密裏にことを運ぶため、光秀が用いられる?
信長にどうやら信用される??

光秀の主君は???
・土岐頼充
・斎藤道三
・黒坂景久
・細川藤孝
・織田信長
足利義輝、土岐頼芸、朝倉義景には正式に直属した形跡はない!

 

第七章 明智光秀の顔貌
臨済宗 本徳寺所蔵!

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確かに光秀という証拠は無いようだ!!
戒名「輝雲道琇禅定門」
「輝」光、「琇」が秀で、光秀だと!!
しかしこれが光秀とは??

木製の座像もある! 慈眼寺!

1_20230905154101

こちらは位牌もある!
「主一院殿前日州明叟玄智大居士」
日向守、明智が入っている!!

家康の「しかみ像」も家康ではない??
源頼朝、足利尊氏、武田信玄………
【夢が無くなるが………】

 

第八章 岐阜への改称と信長の志
信長がやったとされることは?
・兵農分離
・楽市楽座
・鉄砲の三段撃ち
・まったく新しい政体をつくる………

美濃併合で稲葉山城を居城とする!
沢彦宗恩が提案する!
・岐山 周の文王が首都とする
・岐陽
・岐阜

同時に「天下布武」の印判を使う!
信長のまわりには禅宗の高僧がいたようだ!
この時期天下が傾いていた?
信長には「天下を治める」意気込みはあった??
あくまで意気込みであるが………

 


信長を操り、見限った男 光秀 史上もっともミステリアスな武将の正体 ①・乃至政

 

2023年9月25日 (月)

本・明智光秀と斎藤利三 本能寺の変の鍵を握る二人の武将(2020/3)・桐野作人

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2020年のNHK大河ドラマは、明智光秀の生涯を描く『麒麟がくる』
新史料から明らかになった、「本能寺の変」438年目の真実???
政変の決断はわずか3日前だった! キーマンは明智家中にいた!
明智光秀による「本能寺の変」の仕掛け人は、斎藤利三だった??

明智光秀家の家老であり、「本能寺の変」の仕掛人と推定される斎藤利三!
学説の最近のトレンドは「本能寺の変の原因は四国問題にあった」というもので、
四国政策(対長曾我部対策)の転換において、斎藤利三の関与が重視されている!
明智光秀や「本能寺の変」に対するイメージがガラッと変わる???


推理小説みたいなものである???
著者の本もよく読んでいる!
小説では
『反・太閤記 光秀覇王伝』
『織田武神伝』
かなり濃い作品は??
『だれが信長を殺したのか』
『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』
『真説 本能寺』
その他も読んでいるが………
テレビ出演も多い!

最近話題の四国問題と斎藤利三つである!
子孫と言う人間のように押し付けるのではない!
こうではないかと言う!
史料を読み解き、たいがい矛盾点があるが想定する!
そんなにきっちろ記録されるのか?
人から聞いた話に、風説もある!
結局は分からない………
内容は下記の通りである!!

 

はじめに  織田政権ナンバー2としての光秀
序 章 光秀の前史―知られざる雌伏の前半生
第一章 光秀、ナンバー2に上りつめる―畿内方面軍の形成
第二章 斎藤利三とは何者か
第三章 信長、四国政策を急転換す
第四章 光秀謀叛―その真相を考える
終 章 光秀と利三の最期
おわりに  光秀と京との関係
おもな参考文献

 

はじめに  織田政権ナンバー2としての光秀
15年間の付き合いで破局を迎えた!!
外様新参者がここまで来た………
原因は何か分からない?
本書は、四国問題と、利三に注目している!
信長から自害を命じられてかろうじて免れる!

著者もよくこれだけの史料に、文書など読んでいると!!
信長の方面軍!
・柴田勝家  織田家武闘派の巣窟
・佐久間信盛 追放
・羽柴秀吉
・滝川一益
・明智光秀  長浜、丹波と京の東西を抑えている!
また教養がある??
「天下人」とは?
光秀は、なり替わりうる立場にいたと???

 

序 章 光秀の前史 知られざる雌伏の前半生
◇ 出生に関しては分からない?
美濃土岐家? 土岐」明智家?
史料も違うようだ?
史料と言っても戸籍謄本があるわけではない!
自分が喋ったのか?
はったりもある??
傍流か、身分は低かったようだ!!

◇ 越前に10年間暮らした!
美濃の土岐一族で浪人して朝倉義景に仕える!
これは確実だと!!
福井県福井市 光秀屋敷跡に「明智神社」がある!
小さな祠である!

◇ 足利義昭が三好三人衆に追われ、越前に逃れた時、義昭に仕える??
と推測される?
光秀は医学に通じていた!
田中城? 二つあるがどちらか??

この時期はよく分からない!
・義昭とのつながり
・信長との関係
・三好三人衆
・六角承禎
・浅井と六角の抗争

約束の不履行、裏切りなんでもござれか?
読んでも分からない???

◇ 没年齢は??
・55歳 明智軍記
・57歳 綿考輯録
・63歳 織田軍記
・67歳 当代記
どうも、55歳に57歳説の方が当てはまりそうだと!
長男十五郎光慶が13歳だった?
それから考えても50代ではないかと!!
確実なことは分からないが、納得出来る??
【思うに光秀も何年生まれか分かっていなかった?】

◇ 光秀はなぜ急激に出世できたのか
・永禄11年 1568年 信長が義昭を越前から美濃に迎え入れている!
この時であった可能性が高い!
信長の妻と縁がある??
帰蝶と親戚だと???
著者の推測は??
・新参ながら柴田勝家らと並ぶ!
・三好三人衆撃退に奮戦する
・下級ながら幕臣で身分が高い
・義昭と信長を結びつける役目を果たしたから?

 

第一章 光秀、ナンバー2に上りつめる 畿内方面軍の形成
◇ 義昭から離脱、信長の家臣となる
光秀は、義昭と信長の両方に仕える!
・永禄12年 1569年には信長の家臣になっている!

光秀は武将としての才能もある!
・元亀2年 1571年 比叡山焼討ち、義昭から離脱を図る

◇ ルイス・フロイスの光秀評がある!
その才略、思慮、狡猾さにより、信長の寵愛を受けることとなり、
主君とその恩恵を利することをわきまえていた!
殿内にあって彼はよそ者であり、外来の身であったので、
ほとんど全ての者から快く思われていなかったが、
自らが受けている寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。

◇ 惟任日向守名乗りと「天下」
・元亀3年 1572年 坂本城築城
天主閣付き築城を許されたのは光秀だけである!

・天正元年 1753年 改元 信長が選ぶ!
朝倉、浅井を滅ぼし、義昭を追放!
・仝3年 惟任日向守を名乗る!!
信長は信忠に家督を譲る!
・仝4年 安土城築城

◇ 苦戦しながらも丹波攻略
・天正3年 1575年 丹波攻略を命じられる!
そのかたわら各地に動員される!
越前一向一揆、大阪本願寺、紀州雑賀、松永久秀、荒木村重、播磨三木城………

・仝4年 光秀病死の噂が広まる?? 死亡説もでる!
・仝7年 八上城 波多野兄弟が降伏! 鉄炮で負傷???
黒井城も落城!
信長は、光秀に丹後、丹波を与える!!
細川藤孝が丹後に入部する!

◇ 天下の面目をほどこし候
・天正8年 1580年 佐久間信盛追放
各方面に敵がいる!
・大阪本願寺
・毛利
・荒木村重
・播磨三木城 別所長治
・武田勝頼
・上杉謙信

信長は光秀を高く評価する!

◇ 畿内方面軍の成立と家臣団編制
・天正8年 1580年 大阪本願寺降伏
佐久間信盛追放で家臣団を編成する!

方面軍は?
・天正元年 1573年 信忠軍団
・仝3年 家督を譲られる!
・仝4年 柴田勝家 北陸方面軍
大坂方面軍 佐久間信盛

・仝8年 羽柴秀吉  中国方面軍
明智光秀  機内方面軍

・仝10年 滝川一益  関東方面軍
織田信孝  四国方面軍

光秀の家臣は
・初期   一門衆と古参の披官衆 美濃衆
・元亀2年 西近江衆、山城衆
・天正元年 旧幕臣衆
・仝3年  朝倉旧臣、丹波衆
・仝7年  長岡藤孝、細川忠興親子の丹後衆
・仝8年  筒井順慶、井戸良弘など大和衆
・準与力  津田信澄

光秀も明智の苗字を与えている!
【蒲生氏郷は、蒲生と郷の字を与えている! 蒲生郷舎!】

◇ 畿内近国の破綻と差出検地を主導
信長に「大和差出」を光秀と一益に命じる!
石高表示など統一し、軍役を課す!!

丹後も検地を実施している!
【これは歴史で習わなかったが………】

◇ 「天下」に手が届く光秀
光秀の方面軍は、他とは違う?
領国は京を囲むようにある!
現状は遊軍的存在? 何処にでも応援に出される!!
その気になれば京を占領できる??
もはやNo2か?

◇ 変容する「天下」
天下の概念!!
➀ 将軍が体現し維持すべき秩序
② 京都
③ 「国」を管轄する大名領域でない京都・畿内など「国」と棲み分けられた領域
➃ 広く注目を集め「輿論」を形成する公的な場

信長が変えていく!
A 地震と天下の一体化  遠国の大名に対してのものが多い
B 列島日本的な意味合い 信長に従えと
C 中国を含む東アジア  派手な馬揃えのパレード!

光秀は京を守護している立場であり、
信長自身を天下との考えには、危機感を抱いていたかも知れない?
自身No2の自覚があるならば??

◇ 光秀のナンバー2意識と「天下」守護の自負
② 京都
実際に京にしか勢力は及んでいない?
その京を囲む形での支配している光秀は、
信長に次ぐNo2に立場にあると自負していた?
その例としては、
➀ ゆるし茶 信忠の次に開いた!
② 洛中馬揃えの惣奉行 20万の見物客を集めた
③ 天正10年 正月参賀 「御幸之御間」見学 最初だったようだ!
➃ 坂本城の立地と存在意義
その京を囲む領域を抑えている自信がハードルを下げた??

 

第二章 斎藤利三とは何者か
◇ 光秀と信長の良好な関係
天正10年である!
・正月参賀 「御幸之御間」見学
・同じく茶会を開く
・3月  武田勝頼攻め
光秀は信長に最大限の忠節を示していた!!

◇ 光秀妹「ツマキ」の死去
・天正9年 光秀の妹「ツマキ」が死去!
立場は信長の内意を伝える死者の立場だと!
側室の可能性もある??
信長の近くで信長の内意などの傾向をもたらしていた?
その情報源を失う………
【これは大きくとらえられていない???】

◇ 重大な岐路  安土での家康饗応
天正10年 1582年 家康の饗応役を命じられる!
腐った魚は俗説であるが、何かあったようだ?
足蹴にされた?
こう言う話は誰が広めるのか?
そして斎藤利三の件がある!!!

◇ 斎藤利三 意外な登場
信長とおない歳のようだ??
稲葉一鉄の家臣か与力である!
一鉄の姪か、娘が妻で、春日局を生んでいる!
活躍している………

◇ 武勇を知られた利三
蒲生氏郷が利三に、武辺の大切さを説かれたと!
近江観音寺城攻めでも利三に教えられる!
氏郷が教えられるとは………

◇ 利三 光秀に仕える
利三が稲葉家から離れたのは?
・天正2年
・天正6年
・天正7年
・天正8年
いずれも軍記物である!

確実なものは、天正6年??
ちょっと遅いかも?
・著者は元亀2年 1571年、一気に所領が拡大した時機ではないかと?
【となれば稲葉一鉄と揉めるまでほっておかれたのか?】

◇ 親長宗我部勢力の中心人物として
・天正6年頃 長宗我部元親との関係を深める?
元親の息子に信長の「信」を与えて「信親」と名乗らせる!
利三は長宗我部元親と姻戚関係にある!
蜷川氏(利三の母の実家)、石谷氏である!!
利三の兄が石谷家を継いでいる!
・永禄6年 1563年 養父の娘が元親の正室になっている!

◇ 蜷川・石谷両氏と元親
この章長い!
が読んでいるとローカルな話になる??
斎藤、石谷、蜷川の三家は、明智と長宗我部の間に、
濃厚な親族・姻戚関係があり、両家のために連携していたと!

◇ 利三 秀吉と元親を取り次ぐ
対長宗我部外交は、光秀に、秀吉も絡んでいる!
秀吉は毛利の情報が欲しい!
長曾我部から欲しい!
ここで利三が間には行っていると!!
利三は黑井城を落とした光秀に与えられる!
その時期のようだ………

 

第三章 信長、四国政策を急転換す
◇ 良好だった織田・長宗我部関係
信長は、安房、讃岐の戦いについては光秀の相談するようにと!
敵の敵は味方!
信長も長宗我部も利用しようとしている?
信長は三好康長を長宗我部との取次にしていた!
が、元親が姻戚関係を利用して光秀を取次とした!

◇ 信長の四国政策の急転換
信長朱印状!
「四国の儀は元親手柄次第切り取り候へ」
これは残っていない!
・天正10年 元親重視から三好康長登用に政策変更!
当然、元親は反発する!
信長も余裕が出来て来ている!
外様の元親より、家来の康長の方が良いと??
もっとも元親も阿波平定は順調ではないようだ!
伊予、讃岐を没収、阿波半国を元親に与える??
この条件と思われる??
が、利三は元親に静観するようにと!
【そんな余裕はあったのか?】

◇ 元親条件闘争に転じる
しかし元親は恭順姿勢に転じる!
利三宛である!!
➀ 延びたが受け入れる
② 阿波の引き渡しに応じる
③ 海部、大西の両城は確保したい
➃ 勝頼、東国平平を祝す

しかし土佐一国も確保できるか分からない………
5月のことのようだ?

◇ 光秀・利三は元親の恭順姿勢を知らず
土佐までの使者は時間がかかる? 2ヶ月と言う!
5月21日の日付けである!
本願寺の変は、6月2日である!
要は、光秀・利三は元親の恭順姿勢を知らずに本能寺に兵を進めた?

◇ 信孝の登場と「四国国分令」
信長は四国政策を改める!
・讃岐  信孝
・阿波  三好康長
・伊予・土佐  信長が淡路島に出馬してから申し渡すと!

信孝は康長の養子である?

◇ 信長 信孝の四国出陣を全面支援
信孝は、信忠、信雄より待遇が悪い??
・天正9年 洛中馬揃えである!
信忠90騎、信雄30騎、信孝10騎………

信長も信孝に配慮している!!
信孝はこの時期、伊勢二群である!
兵はかき集める!
丹羽長秀と、蜂屋頼隆を補佐につけている!
渡航するための水軍も信長は手配している!
信孝は飾りか??
調略によって片が付く???

◇ 信孝 出陣前にオルガンティーノと語り合う
信孝は熱烈なイエスズ会支持者だった………
オルガンティーノに四国平定後、デウスの教えを広めると!
出航予定は6月3日!
それを迎えることは無かった………

◇ 信孝は光秀・利三の潜在的な政敵
信長の「近国掌握構想」
・北陸  柴田勝家
・関東  滝川一益
・中国  羽柴秀吉
政権中枢から遠ざけられている!

信孝は光秀のNo2の地位、既得権を犯す存在だと!!

 

第四章 光秀謀叛 その真相を考える
◇ 光秀はいつ謀叛を決断したのか 3日前の光秀書状
上杉家臣宛ての書状の話は出て来ない?
当然であろうと思う!

・5月28日 伯耆の反毛利の国衆をへの書状!
本能寺の変の3日前だと!
謀叛はつゆほどにも、におわせていない??
カムフラージュでもない!
どうも3日前は決断出来ていない??

◇ 謀叛の決断は2日前
で、いつだったのか??
翌29日??
信忠が家康と堺に行く予定だった??
が信長の上洛で信忠も京に行く!
この時、堺に行っておれば「本能寺の変」は??
信長、信忠を一緒にやれる機会が転がり込んできた?
「天が味方している」
光秀は、京に情報拠点を持っている!!

◇ 高柳光寿・桑田忠親説の再評価
・高柳光寿
四国政策の変更!

・桑田忠親
足蹴にされたこと!

両者古典であるがこれを評価すべきだと!!

◇ 比較的妥当で有効な2つの仮説
光秀本人の声は??
一 信長・信忠父子が悪逆だから
二 単独行為で黒幕はいない
三 野心もなく無欲で、光慶、忠興のためにやったと!

そこで原因は??
➀ 四国政策の変更と、光秀、利三の立場
② 折檻事件

◇ 信長の政治理念「天下静謐」の視点から
信長は征服欲ではなく、「天下静謐」のためだっと???
それから四国攻めは逸脱していると??

◇ 信長の光秀折檻事件A フロイス『日本史』の場合
これが出ているのは?
A フロイス『日本史』
B『稲葉家譜』

実際はどうなのか?
何故折檻されたのか??
Aではフロイスに誰が教えたのか??
信孝??

◇ 信長の光秀折檻事件B 『稲葉家譜』の場合
那波直治である!
光秀が引き抜いたと?
先の斎藤利三に次いでである!
この稲葉一鉄も問題が多い??
だから家臣が離反する??
光秀・利三が処分の可能性があった??

◇ 稲葉家との訴訟問題と利三の「勘当」
那波直治を引き抜いたのは利三?
これは不当だと??
なので利三は切腹を命じられる!
がかろうじて救われるが………
何らかの処置はあったのか??
利三も不安だった………

稲葉貞道の妻は、帰蝶と従姉妹???
えこひいきではないかと!!!
光秀・利三には不満が残る!
5月下中のことと………

◇ 光秀折檻事件の新史料『政春古兵談』
加賀前田家にこの記述がある!
利三を返すように光秀は信長に言われるが、拒否!
信長は光秀の頭を張った??

◇ 信長の家臣団統制の矛盾
矛盾??
佐久間信盛は蓄財に励み家臣を抱えなかった?
これを信長に責められている?
となれば光秀も家臣を多く抱える………
それを何故責めるのか??
依怙ではないかと?・

◇ 稲葉家との訴訟沙汰の裁許は政変の4日前
稲葉家との訴訟沙汰の裁許は政変の4日前?
先に決断は2日前だとあったが………

利三は、柴田勝家の家臣も引き抜こうとした?
これは紛争になったのか?
明智家の不満は頂点に達していた!
・稲葉家との訴訟沙汰は4日前の裁許
・信長の折檻 半月前?
・自害を命じられた利三の憤慨
明智の不満は頂点に達していた?

信長への反乱!
古参の譜代 表立って抵抗しない!!
・佐久間信盛 広大な領域を治めているはず!! 付いてくる人間はいない!
・林秀貞
・丹羽氏勝

外様は? 激しく抵抗した!!
・浅井長政
・松永弾正
・荒木村重
・別所長治
これらは援軍を当てにできた??
彼らなりに成算があり実行した??

光秀は籠城なんか出来ない!
光秀は佐久間信盛追放から学んでいる??
家臣を抱え、信長の気にいるように努力している??
京まわりに領地があり、兵力も動かし易い!!
天が、信長を討てる状況を作ってくれたと??

【以下の話は出て来ない!】
光秀は、明智秀満、明智次右衛門、藤田伝五、斎藤利三、溝尾勝兵衛に打ちあけている??
これらの関係者はみんな光秀と同時期に死んでいる!
誰が漏らしたのか?? 他にはいないはずである!!
口にした以上絶対に漏れるとして、やるべきだと!!
やっても漏れているが………
この話は出て来ない! 出すにはええ加減な情報なのか?

◇ 光秀の自負と国替の小農政
有名な話である!!
丹波・近江を召し上げて、出雲・石見を与えると??
こう言う話はあるようだ!!
・近江長浜  堀秀政  秀吉の領土である!
・越前府中  菅屋長頼
・上野国、信濃2郡  滝川一益
宿老を遠方に飛ばし、機内は若手で固める??
あり得そうである!
秀吉は、備中、備後か??

 

終 章 光秀と利三の最期
◇ 天正10年6月2日
運命の日である!
明智の兵は家康を討つと思った??
この時に、信忠は逃げる時間はあった!
逃れていれば歴史は変わった???
【どこに逃げる? 大阪に丹羽長秀らがいる】

◇ 近江占領  朝廷・五山などへの寄進、信長親子の供養
光秀はやることをやっている!
が秀吉が早過ぎた??

◇ 山崎の敗戦と光秀・利三の非業の最期
味方がいない!
・細川藤孝・忠興
・筒井順慶
・高山右近
・中川瀬兵衛

秀吉が圧倒的に有利である!
光秀と利三は首を繋いで磔刑に処せられる………
死体は友人が夜陰に紛れて盗み出し、葬る!!

 

おわりに  光秀と京との関係
著者も本能寺の変の著作は多い!
➀ 四国問題と光秀・利三
② 折檻問題
最近の研究では四国問題が重要である!!
本命になりつつある!!
本書は絞っている!!

【以下の話は無い】
・ときは今 あめが下知る 五月かな 読み方
・くじを2度、3度ひいた!
・ちまきを皮ごと食べた!

あくまで折檻問題を重視している???

 

おもな参考文献

 


明智光秀と斎藤利三 本能寺の変の鍵を握る二人の武将・桐野作人

2022年10月27日 (木)

本・乱と変の日本史 ②(2019/3)・本郷和人

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第六章 観応の擾乱
第七章 明徳の乱
第八章 応仁の乱
第九章 本能寺の変
第十章 島原の乱
結   日本史における「勝者」の条件


第六章 観応の擾乱
◇ 1350年~1352年の室町幕府の内乱!
直義と高師直が争い、次に直義と尊氏が争い、尊氏が勝つ!
1336年 尊氏は建武政権を倒し、北朝 光明天皇を擁立!
後醍醐天皇は吉野に移り、自分が正当だと!
南北朝である!

◇ 九州は??
・大友氏  尊氏
・少弐氏  直義
・菊地氏  南朝
現地の都合で、自分の勢力を伸ばすにはどの陣営に入ればよいか?
東北は畠山国氏と吉良貞家が争い、尊氏、直義を担ぐ!

イデオロギーの争いではなく、どちらに付いた方が利益になるか?
著者の兵力の分析! 2,000人ほどか??
尊氏は直義を追って鎌倉に向かう!
その前に「正平一統」
南北朝を統一する!
天皇は利用される??
地位は高くないと!

◇ この兄弟は、仲が良いのか? 悪いのか??
・尊氏 権門体制論 京都
天皇を公家、武士、僧侶が支える!
主従制的支配権 軍事を担当

・直義 頼朝 東国国家論 鎌倉
東国に王を樹立!!
統治権的支配権 政治を担当

将軍は尊氏であると!!

古文書を読み解く!
・下文
・下知状
写真と解説があるが、頭が痛くなる??

足利直義は??
現実的である! 贈答品は受け取らない!
仏を信じても恵まれた状況にあるのではない!
神仏は何をしているのか??

◇ 護良親王幕府??
護良親王は、「悪党」を率いて戦った!
この兵は強い!!
護良親王は征夷大将軍に任命されるが、解任される!!
後醍醐天皇が恐れたのか??
この兵を吸収したのが高師直!!
直義は殺されたのか?
直冬はそれでも戦うが、山陰山名のの兵を率いる!
尊氏は亡くなるが、脆弱とは言え日本は一つになる!!!


第七章 明徳の乱
1391年 山名清氏・満幸らが室町幕府に起こした反乱!
山名氏は11ヵ国領有し「六分の一殿」と呼ばれる!

◇ 三管領四職の体制!
三管領は
・細川、斯波、畠山!
四職は
・赤松、一色、山名、京極、土岐で土岐は脱落!

◇ 山名氏! 巨大過ぎて粛清されそうになる!!
山名時氏は足利に従い、有能だったと!
群馬県高崎市が発祥だと!!
感応の擾乱では直義に付き、その後は直冬に従う!
この当時の日本海は経済的に豊かであった!!
たたら?? 鉄も生産する!
「もののけ姫」も鉄だった………

山名氏が京へ攻める時、防衛は赤松氏と細川氏である!
1336年 「貞治の変」が起こり、斯波氏失脚!
山名氏・斯波氏VS赤松氏、細川氏、京極氏、一色氏!
細川頼之である! 有能か?
足利義満に信頼されている!

◇ 1379年 「康暦の政変」 細川頼之失脚!
実力者 細川頼之は復権する!
土岐氏を討ち、山名氏の相続に介入する!
「明徳の乱」が起こる!

細川頼之の著者の評価は高い!!
室町幕府のプランナーである!
① 明徳の乱
② 南北朝の合一
③ 東日本を切り離す
④ 幕府の京都支配の徹底
過大な評価か??

◇ 武人政治家?? 著者が評価する!
・北条泰時
・北条重時
・安達泰盛
・足利直義
・細川頼之

◇ 応永の乱
細川頼之は大内氏も潰す!
反細川陣営の、土岐氏、山名氏、大内氏は全て潰される!
滅ぼされてはいない!
それだけの力も無かった??

出る釘は打たれる???
細川頼之亡き後、四代将軍義持の後ろ盾は、
反細川の斯波義将である!
義満の政策をひっくり返す!!!


第八章 応仁の乱

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著者の意見は??
勝ち組 細川氏、赤松氏、京極氏
負け組 山名氏、大内氏、土岐氏
の争いだと!
戦いが続いている??

◇ 畠山氏
畠山持国!
息子義就が自分の子供と信じられなかった??
甥の政長を後継者にする!
ところが成長した義就を見て気が変る!
我が子ではないか!!
この家督争いが発端である!

◇ 義就には山名氏!
政長には細川氏が味方する!
これに将軍の跡目争いが加わる!
付け足しみたいなものである??
将軍の後継者の争いから乱は起こっていない!!

◇ 三代将軍義満時代の負け組!! 西軍!
・土岐康行の乱
・明徳の乱 山名氏
・応永の乱 大内氏
これ等が、リベンジで勝ち組に挑む!!
・細川
・赤松
・京極
・一色
勝組である!! 東軍!
11年間戦い、山名宗全、細川勝元も死に、
東軍が勝つが、幕府の実権はもはやない!
幕府の主導権を握っても何も出来ない??
将軍の無力さを思い知る!
京から地元、田舎に引き上げる!
下剋上の戦国時代である!!
京にいた守護大名は戦国大名になれず、
関東、東北、九州の大名は戦国大名になれる………

◇ その後は細川政権???
が力はない!
各地で群雄割拠の時代になる!
地元密着型か??
応仁の乱は京で小競り合いを繰り返した主導権争いである!
が、歴史に与えた影響は大きい!!
この章、読んでいて情けない!!
日野富子も存在感がないが………


第九章 本能寺の変
◇ 日本三大どうでもよい話!!
・本能寺の変の黒幕
・坂本龍馬暗殺の黒幕
・国鉄下山総裁の犯人!

◇ 信長が死んだことは、日本史上最重要である!!
そう思っている!!
が黒幕説はどうかなと!
新発見の資料??
だいたい連絡をどうするのか??
「鎌倉殿の13人」
この時代考証の坂井孝一が、13人も本当に集まったのか??
これを爆笑問題が突っ込んでいた!!
ようは陰謀説があったとしても連絡はどうしたのか?
メールなどない 手紙も危ない!!
ようは光秀も問題があり、衝動的に起こしたと!
著者の意見に賛成である!!

◇ 信長は裏られ続けている!
・弟・信勝
・浅井長政
・松永弾正
・荒木村重
しかし裏切ったが、信長を殺す才覚もなき殺せなかった??
光秀にはあったと!

◇ 朝倉敏影の家訓!
・戦いに占いを用いるな! 軍師など要らない!
・身分の高い子共と言って重要視するな
・内政に他国の人間を入れるな
要は、日本と言う考えはなかった!!
おらが国???

◇ 信長の先進性!!
他国の素性さえ分からない人間をも採用する!
裏切りのリスクは絶えずあると!!
・様々な国の人間を採用する
・国替えも頻繁に行う
・安土城の築城
・「天下布武」
・大虐殺 比叡山焼討ち

◇ 信長はイモ!! 例えが面白い!!
宮崎県串間市の幸島のニホンザル!
一匹のメスザルが川でイモを洗った!
これまでそんなことを行っていない!
そうすると他の猿が真似をするようになった!
つまりこのサル、イモが信長だと!
最近、楽市楽座など信長の業績を否定する研究家も多い!
武田邦彦流に言うなら、研究費目当てか??

著者の持論であるが、織田政権はシステム化されていなかった!
弱体な足利政権
でも将軍暗殺でも、政権は崩壊しなかった………


第十章 島原の乱
◇ 島原の乱は??
① キリシタン一揆
② 百姓一揆
③ 浪人の反乱

◇ 島原の乱の犠牲者が殉教者ではない??
隠れキリシタンもそうである!!
神の前で平等!!
一向宗とキリスト教の類似性がある!

◇ 堺屋太一が紹介している! 日本の歴史にないもの!
① 本格的な籠城
② 計画的な皆殺し
③ ゲリラ戦
例外として、これに一人の人間が関与している!
織田信長である!
相手は一向一揆か??
妥協しなかった!!

◇ 一向宗の教えは横に繋がる!
隣の村、荘園、地域に手を伸ばす!
信長はピラミッド型を目指しているので相容れない!
江戸時代、人は平等より平和を求めた!
なので一向一揆は衰退したと!!

◇島原の乱とは平等を求める最後の戦いだった??
乱には20,000人参加したと???
成人男性は5,000人で、後は女子供だと?
120,000人の幕府軍と戦った?
恩賞も期待出来ずに士気は上がらない!!
それでも皆殺しである!!

◇ 天草四郎は象徴であり、何人かいると??
チーム天草四郎である!!
がこれを著者が支持すると、議員から電話があった!
「うちは天草四郎で町おこしをやっているので困ると」
邪馬台国の町おこしと同じなのか???

日本の宗教が機能しない土壌は、江戸時代に出来た!
以降、武士はサラリーマン化する!!!


結 日本史における「勝者」の条件
武士の時代を終わらせたのは「西南戦争」
その前に「戊辰戦争がある」
1877年 西郷隆盛の挙兵である??
薩摩は30,000人で死者は6,700人! 1/5死んでいる!
政府軍は70,000人で死者は6,400人!

この時期、佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱が起こっている!
薩摩は真っすぐに東京を目指すべきだと!
熊本を目指した時、土佐で批判した人もいる!
要は死に場所を求めていたと!!
勝てないと!!
参謀もいなかった??
篠原国幹は直ぐに戦死している!
中村半次郎は参謀ではない!!

・1869年 版籍奉還
・1871年 廃藩置県
・1876年 廃刀令

この武士の時代の最後を飾ったのが西南戦争???
勝者と敗者を分けるものは??
歴史のトレンド 潮流に乗ったものが勝つ!!
時代・社会の要請に忠実なものが勝つ!

源平争乱も源氏が勝つ!
源頼朝が石橋山で戦死しても、代わりの源氏が勝利すると!
信長も光秀がやらなくても、勝家がやったかも知れない!!
日本は外敵の侵入が少ない!
穏やかな風土で、豊かである!
歴史のトレンドを掴むために、歴史を学ぶ!!

 

乱と変の日本史 ②・本郷和人

 

 

 

 

2022年10月24日 (月)

本・歴史のIF ②(2020/11)・本郷和人

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C 戦国時代のIF
D 関ヶ原の戦いのIF

 

C 戦国時代のIF
第8章 もしも、「あの人」が長生きしたら、早く死んだら、早く生まれたら…
もしも、この人がもう少し長生きしていたら
もしも、この人がもっと早く死んでいなら
もしも、この人がもっと早く生まれていたら

・信長は信忠に家督を譲り、次男、三男、四男は他家に出している! 50歳?
・信玄は、後継者・義信を自害させている! 53歳!
それで信・義の付かない、四男勝頼を後継者にする! 
・謙信は養子、景勝、景虎の内紛を起こしている! 49歳!

上手く行かない???

・毛利元就は隆元が死んだが、輝元を両川が支えた! 75歳!

・秀吉である! カリスマに頼り過ぎだと!
システムが出来ていなかった! 62歳!
家康を潰すべきだった??

・家康である!
逆にシステムが機能していた! 75歳!
なので秀忠は多くの大名を取り潰した!

丹羽長秀は100万石ぐらい貰っているが、死ねば12万石である!
蒲生氏郷も92万石から18万石に下げた!
つまり長秀、氏郷だからそれだけの領土を渡した!
息子にその能力がないのだから減封すると!!
伊達政宗も疑われて削られている!!
つまり、家康が先に死んでいたら秀吉は必ず潰しにかかる!
ましてや関東である!!
三河、駿河、遠江ではない!
寿命の差になる??

関ヶ原のIFで一番好きなのか、蒲生氏郷が生きていたと思う!
伊勢松阪12万石から、会津92万石である!
不満はある!
茶に詳しく、キリスト教に帰依している!
利家びいきである!
名護屋城で、家康と兵が揉めたときは、利家側に付く!
家康嫌いである!!!

もし長生きしていたら??
越後に上杉、会津に蒲生、常陸に佐竹と連携すれば、
200万石は越え、家康と関東平野で決戦出来る!!
最上に伊達がどう動くか??
この方が面白いが………

そうなれば武家政権は何処に出来るのか??
関東はド田舎である!!
先進地区、京か大阪ではないか??
前田利家でも、蒲生氏郷でも、石田執権政治でも…………
現在でも首都は大阪か京都であろうと!!
関東は田舎のままである!!

著者は東京生まれである!!!
ええんかいな??????


第9章 もしも、浅井長政が織田信長を裏切らなかったら…
日本は、織田・徳川の同盟が当たり前ではない!!
破る方が当たり前??
武田、今川、北条の同盟がある!
これも破られる!!
娘は実家に帰される!

娘は攻略結婚に使われる!!
【ハプスブルク家は丸出しである】
斎藤道三の娘・帰蝶は信長に!
今川の築山殿は家康に!
娘を他国に嫁がすより、家臣に与えた方が不幸にならない!!
信長は浅井長政にお市の方を嫁がす!
味方もいないところに乗り込む!
信長の叔母、遠山景任の妻、後に秋山虎繁の妻 通称は艶は殺される!

信長は岐阜から京に行く近江の浅井長政と同盟を結ぶ!
お市の方が嫁ぐ!
が、信長の朝倉攻めで浅井は裏切る!
それほどの恩があったのか??
それより信長が嫌いなのか??
朝倉宗滴!
「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候」
勝つことが全てだと!!

浅井は、千載一遇のチャンスを逃した!
そのまま同盟を堅持すれば、信長にそれなりの待遇を受けていた!
後の「志賀の陣」
浅井、朝倉、比叡山、一向一揆、三好三人衆、石山本願寺………
信長の天下統一も早かったのでは??
朝倉も早く滅亡し畿内も収まる!!
浅井は越前、近江を貰えるかもしれない!!
が、浅井長政が明智光秀を演じるのか???


第10章 もしも、「本能寺の変」のとき、織田信忠が逃げていたら…
室町幕府 嘉吉の乱は?
嘉吉元年(1441年)に播磨・備前・美作の守護赤松満祐が
6代将軍足利義教を殺害し、領国の播磨で幕府方討伐軍に敗れて討たれる!
弱体と言われた足利将軍でも、暗殺されたと言って幕府は解体しなかった!
システムが働いている!!

が、信長政権は崩壊した!!
秀吉の政権も崩壊している!!
それなりにシステムは作られている!
信長が殺されて、信忠が殺される!
織田有楽斎は逃げれた!

IFであるが、信忠が生きていたら??
「桐野作人 織田武神伝」
これは信忠が生き残ったらのIFである!
蒲生氏郷が重要である!!

信長が亡くなり信忠が残ったら??
織田家のシステムは働くか??
ちょっと無理がある!
弟信雄、信孝は何も出来なかった!

家康の危機!
「神君伊賀超え」
「三方ヶ原の戦い」
社会の警察機能が失われている!!
システムは上手く機能出来ていなかった!

・甲斐を貰った河尻秀隆は反乱に遭う!
・関東の滝川一益は、上野と信濃を貰うが、反抗される!
期間は短いので何とも言えないが、すぐに反乱されたのでシステムは働いていない!

清州会談の参加者!
柴田勝家、丹羽長秀、木下秀吉、池田恒興で、
滝川一益は外されている!!
信忠が生き残っていたら、この会議で指導力を発揮できたか??
マア相手にされな!
信長だから恐れられた!!
いつ切られるか分からない??
信忠にやられたくない???
つまり信忠は無視される!!
いくら家督を継いでいると言ってもである!!
信孝のように殺されるかも??


第11章 もしも、豊臣秀頼が女の子だったら…
秀吉の後継者は??
・秀次 姉の子である??
・秀秋 今一の人間である!
が、鶴丸が生まれる!!

秀吉は家督を譲っている!
秀次への注意事項!
① 茶の湯
② タカ狩り
③ 女

秀次は女にだらしない!
側室も多く、母親と娘を側室にしている!
最上義光の娘、駒姫は東北一の美人と言う!
側室に望まれて嫌々出すが、京に着いた時秀次は切腹である!
側室でも何でもない、会ってもいない!!
が処刑である!! 関ヶ原で豊臣には付かない」
「映画 関ヶ原」
このオープニングが、処刑の場面である!!

まず、本当に秀吉の子供なのか??
「血のつながり」 中国は重要である!
ヘンな血を入れれない! なので宦官が管理する!
「家のつながり」 日本は秀吉が俺の子と認めれば
豊臣家の「家」の後継者になれる!

著者のIFである!!
女の子だったら??
秀次と結婚させる??
秀秋では無理か???
そうすれば、秀次もわがまま言えずに死ななかった!
ましてや子供も多い!!
家康も迂闊に手を出せない??
そんなことは無い!!
バックにいる人間で、余計に揉めそうであるが………


D 関ヶ原の戦いのIF
第12章 もしも、鳥居元忠が、島津義弘に「かたじけない」と頭を下げていたら…
関ヶ原の前哨戦、伏見城攻防戦!!
鳥居元忠はここで死ぬ覚悟がある!!
「ドラマ 関ヶ原」で森繁久彌よ芦田伸介がしみじみと別れを演じていた!
これは名場面だった!!

家康の天下取り!
前田利家亡き後の前田家に謀反の疑いをかける!
利長は屈服! 母親を人質に出す!

次は上杉である!
謙信以来の武勇を誇る!
世の中の期待がある! 上杉はやるだろう!
その期待を、景勝、兼続は知っている!!
ここでは「直江状」は出て来ない??
三成挙兵!!!
小山評定?? あったかどうか分からないとされるが………
ここで家康は引き上げる!
関ヶ原の合戦である!

まず伏見城である!  時間稼ぎの戦いになる!
40,000人が包囲する!
島津は当主が義久! 弟義弘で勇猛である!
朝鮮侵攻で、義久は活躍する!

島津も伊集院幸侃を、秀吉にヘッドハンティングされる!
秀吉亡き後、当然殺される!
息子・伊集院忠真が乱を起こす!
強い??
島津は中央に兵を送る余裕がない??

「山内昌之 嫉妬の世界史」
ここに島津義久、義弘が出てくる!
題名通りで楽しかったが………

義久は鹿児島ファーストである!!
義弘は中央にも詳しい!
三成と島津は親しい?????
検地も指導した!
島津の三成に対する気持ちは複雑である??

当初、義弘は家康に付く気だった!
兵は1,500人である!
伏見城に入場しようとしたが………
断わられる!!
それで西軍に参加した!

「司馬遼太郎 関ヶ原」
ちんたら攻めているので、一喝した1
「維新入道殿 如何に」
こうなると40,000人の兵である!
ここで戦死したので鳥居家は優遇される!
著者言う、井伊VS鳥居「である!
どちらも優遇されている?
酒井、本多、榊原よりは………

島津は、関ヶ原では本戦に参加せず、撤退で名を上げる!
夜襲を進言し、用いられずふてくされた???
島津は強い!!
それが本領安堵に繋がる!
ここで攻めて多くの被害を出すと世の中どうなるか分からない!!

著者のIFである!!!!
鳥居元忠が島津を受け入れていたら?
当然戦死したと思うが、恩賞である!
出さざる得ないが………
山内一豊でも土佐一国である!
遠江国掛川5万1000石から土佐国一国・9万8,000石、後に、高直しにより20万2,600石である!
【どこに出すのか? 日向ぐらいしかないと思うが………】
明治維新は薩長の恨みから成り立った???
ここで優遇されていたら、恨みには思わなかった!
明治維新は違う形だったかも………
藩閥政治も違う形か?? 西南戦争も起らなかった???


第13章 もしも、上杉軍が退却していく徳川軍の背中を襲ったら…
これは面白い!
が著者が疑問視している、直江兼続の将才である!!
能力は認められているが、行政官としてか??

家康、小山着陣時、佐竹善宣の老臣が夜襲を勧めている!
これはやればよかった???
三成挙兵で撤退する家康追撃を、兼続は主張した!
これもやればよかったと思うが?
関ケ原の合戦終了で、兼続は江戸城攻撃を進言した??

秀吉亡き後、戦国の再来と見た??
九州の黒田如水もであるが、上杉もそうであった!!
世の期待がある!
前田家は家康に屈服したが、上杉は違うだろう!
「漢見たけりゃ会津においで」
この期待を、景勝、兼続は知っている!

が上杉は庄内を攻める!!
最上義光である!
1,000人の城兵の長谷堂城を攻める!
これを落とせない!!
そう言っているうちに関ヶ原で負けた知らせが来る!
この城攻めをどう見るか??
・舐めていたのか
・わざと落とさなかったのか

もし徳川追撃を行えば、江戸幕府は出来なかった??
徳川の守将は、結城秀康である!
実力は未知数であるが、秀忠より期待出来る!
上杉は、長谷堂城も落とせていない!!
攻め切れたかどうか………


第14章 もしも、毛利輝元が大坂城に籠城したら…
西軍には立花宗茂、小早川秀包、毛利元康、毛利秀元ら勇将がいる!
毛利秀元は関ヶ原にいた! 実際に戦いを見ている!
もし毛利の大軍が参戦していれば、と言う思いがある!
それは吉川広家に向けられたようだ………

大阪城に毛利輝元がいる!
一戦を勧められる………
黒田長政と福島正則が手紙を書く「!
家康が安堵すると???
これを信じて城を出て騙される!!
毛利領は吉川広家に防長二国が与えられると??
これを吉川広家がとりなし、毛利が継ぐ!!
「司馬遼太郎 関ヶ原」
三成が言う! 負ければ潰されると!
潰さなければ恩賞の土地が出て来ない??

立花宗茂は評価が高い!!
小早川秀包と協力し4,000ぐらいの兵を操っている!
大津城の京極高次が徳川に付き、立花宗茂らが攻撃する!
これが無ければ、立花宗茂ら15,000の兵は関ヶ原に到着していた?
そう思うと高次の功績は大きい!!
が、関ケ原の合戦の日に降伏している!
降伏していなかったら、関ヶ原の結果を聞き、立花宗茂らは攻撃を止める!
著者は、恩賞に差が出ると???

もし毛利輝元が籠城したら、戦いの様相は変わってくる?
政治が入ってくる???
天皇による仲裁??
細川藤孝???
豊臣恩顧の武将たちの仲裁??
毛利家はもう少しうまくやれたのではないか??
この時期、安国寺恵瓊はいない!!
外交は誰が? 吉川広家か???
長引かせるわけにはいかない!
上杉も120万石である! 佐竹もどう動くか???
が、毛利輝元では無理なのか………

 

歴史のIF ②・本郷和人

 

 

 

 

2021年1月30日 (土)

本・考証 明智光秀(2020/5) ②・渡邊大門,・片山正彦他

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第八章  明智光秀と織田信長の四国政策(須藤茂樹)
第九章  天正九年六月二日付け明智光秀軍法(長屋隆幸)
第十章  明智光秀の茶の湯(八尾嘉男)
第十一章 明智光秀の連歌と教養(渡邊大門)
第十二章 本能寺の変の諸説を語る(千葉篤志)
第十三章 本能寺の変後における明智光秀と朝廷(堺有宏)
第十四章 山崎合戦の性格(柴裕之)
おわりに
執筆者略歴


第八章  明智光秀と織田信長の四国政策(須藤茂樹)
信長の四国政策の変更がある!
昔は四国問題なんか言われない………
最新説か??
斎藤利三も絡む!!
「石谷家文書」
平成26年6月23日 発表される!
これにより、本能寺の変の原因が、四国にあると!!
その結論は、長宗我部元親に四国切り取り放題と言いながら、
土佐一国に押し戻そうとした!
占領した阿波、讃岐は返せと!
これが光秀が、変を起こした理由であると!!
本当かなと思うが………

長宗我部元親は、四国統一手前である??
土佐は「大津御所体制」がある??
前関白一条教房が京より、中村に下向しそのまま戦国大名化した!
元親は内政の中心を、中村から大津に移す!
一条氏を立てる???
この体制は批判的な意見も多い!!
信長は、阿波が本拠地の三好と対抗するために元親と結ぶ!
「敵の敵は味方」
「遠交近攻」
色々言うことはある!
元親の息子に、偏諱を与えて、信親と名乗らせる!
両者の関係も良好であり、光秀の立場も問題なかった!!

しかし信長の方向転換がある!
三好康長は信長の家臣になっている!
康長が交渉役になる??
天正9年から亀裂が入る!
信長の条件!
讃岐は信孝、
阿波は三好康長
土佐と、伊予は改めて決定する!!
元親は信長と敵対していない!
三好康長は利用価値がある??
阿波讃岐の占領を円滑に進めたい!

斎藤利三の兄、石谷頼辰の妻の姉妹が元親の妻である!
遠い親戚にあたる………
その関係で、光秀が元親との取次になる!
斎藤利三は勇将である! 
文武兼備の武将である!

光秀が、本能寺の変前に、
重臣に実行を打ち明けるが、

その一人であったと!!
この重臣たちも光秀も死んでいる!
この話は何処から漏れたのか?? 
全員山崎の合戦以降に死んでいる!!
納得しがたいが………
利三は、稲葉一鉄の家臣であったが、
出奔し、光秀に仕える1

これを不服に思った稲葉一鉄は信長に訴える!!
切腹を申し付けられるが、とりなしで助かるが、
本能寺の変の前である!
斎藤利三実行犯説もあるが………

光秀の妹??
天正9年「後妻木殿」が亡くなる!
光秀は追い込まれている!
織田政権では多忙を極める!
追い詰められている!
光秀はエリ-トである!
出世競争ではトップなのか?
秀吉に負けている!!
「怨恨説」は今は退いているが、
まったくないとは言えない???


第九章  天正九年六月二日付け明智光秀軍法(長屋隆幸)
「明智光秀軍法」
こう言う書は、必ず偽物の可能性を言われる!
漢文調なのか??
見ているだけで難しく感じる!
解説がある!
◆ 明智光秀軍法の内容(一・二条)
一条 戦場では大声を出さない!
二条 戦場での指示である!

◆ 明智光秀軍法の内容(三・四条)
三条 家臣、従者の行動規範!
四条 行軍中に騎馬が後ろに下がり過ぎを戒める!

◆ 明智光秀軍法の内容(五・六条)
五条 身勝手な行動をせずに、下知に従え!
六条 決められた場所に着陣せよ! 命令なき陣払いを禁じる!

◆ 明智光秀軍法の内容(七~九条以降)
七条 以降陣夫が運ぶ荷物の重量を定めている!
八条 軍役の人員を定める!
九条以降は、家臣が負担すべき武器、武具、人員!

◆ 難解な漢文調の文章!
訳文も微妙に違う!
研究者にはなれない自分が情けない!!
法を糺さず、武功も挙げずに、
国家の財産を無駄にすることへの批判がある!
重臣の中にもそのようなものがいるので、
明智家家中全体が嘲られる状態にある??
これが軍法を定める理由になる!

◆ 明智光秀軍法の評価
当時の織田家のなかでも先進的なものだった!
総じて評価されている!!

◆ 根強い偽書説
紙の質、書体、文書の伝来なども検討している!
あら捜しがきつい???
そんな完璧なものが1回で出来るのか??
本能寺の変が無ければ、変えて行っていると思うが………

◆ 偽書説の問題点
同時代の北条と比較している?
細かい点までは分からない!
何処で折り合を付けるか???

◆ 軍学者が作成したのか??
江戸時代の軍学者が作成した?
それはなさそうでる!
光秀が自分で書いた! 
ただし右筆が間違う可能性がある!

光秀の書いた軍法があり、
それの後世の人が手を加えた!!


第十章  明智光秀の茶の湯(八尾嘉男)
草庵の茶の湯!! 狭い粗末な建物、わび茶!
書院台子の茶!! 茶道具は唐物!

信長は信秀から相続していた、茶道具がある!
上洛前から茶を嗜んでいたと推測できる!
信長は「名物狩り」で自分の好みの名物茶道具を集める!
好き嫌いがある??
足利将軍家の茶道具を欲しがった?

信長には、今井宗久らの信長にレクチャーする人間がいる!
集めた茶道具を家臣に下賜する!
「御茶道御政道」「ゆるし茶」
褒美でもらう!
光秀は信長に茶道具を貰い、逆に贈呈している!

光秀最初の茶会は、天正6年である!
宗久、町人平野道是、銭屋宗訥である!
坂本城には茶室が多い!
光秀は堺では人脈は少なかった!
織田家同僚とも付き合いは薄かった??
細川幽斉とは親しい!!
茶道具コレクションはプロ級か???

茶会での食事がある!
豪華である?  鶴の汁??
本然7種、2膳5種、3膳5種………
光秀は過分な会席にならないようにした………

吉田兼見とは親密だった!!
信長とはもてなしの感覚にずれがあった!
家康の接待を解任された? そうではないと思うが………
魚が傷んでいた?
ではなく、光秀が普通と思うものが、信長には贅沢だと思えた!!


第十一章 明智光秀の連歌と教養(渡邊大門)
光秀は教養人か?
著者は特別に強調する必要はないと!
連歌  決意表明の「愛宕百韻」
連歌師、里村紹巴あたりを最後に衰退する?

光秀は生涯で50数回の連歌会を主催している!
千句のハードな会も開催している!
100韻を10回繰り返し、3日かかる??
よくやる!! 食事は?? トイレは??
ずっと正座か?? そんなことは無いと!!

戦国武将は、文化人、連歌師、茶人、能楽者らを招待し、
give-and-takeで情報を仕入れた!
光秀もその関係を通して情報を手に入れた!!

光秀が教養人と評価されるのは、「愛宕百韻」による??
これは原本は残っていない!
光秀の決意表明と言われる???
発句は光秀!!!
「ときは今 天が下しる 五月哉」
単に、毛利を征伐し天下を治める、と言う解釈がある!

著者がこじつけと言う??
◆ 日本・中国の古典の知識があり、朝廷の意向を受け、
源氏が平氏を討った???
信長は平氏性、明智は土岐源氏???
朝廷黒幕説である??? これは成り立たない!

◆ 光秀が本当に土岐一族なのか?? 良く分からないと?
黒田官兵衛も本当に、佐々木源氏の末なのか?
今のところ、土岐一族と証明は出来ていない!!

◆ 明智憲三郎の解釈!
だいたい「これが真実だ!」 と言うほどむなしいものは無い!
毛利討伐の出陣連歌で、土岐氏再興である!

◆ 朝廷黒幕説ありきか??

明確な否定!!!
◆ 愛宕山の勝軍地蔵菩薩に毛利征伐を祈願する!
◆ 先勝祈願の一環の「愛宕百韻」である!
◆ 発句を詠むのは総大将光秀!
  毛利を征伐し、天下を治める趣旨を詠まなければならない!
◆ ときは今   この一戦にかける!
    天が下しる  毛利征伐で天下を治める!

愛宕山で二度三度くじを引いた?
粽を皮のまま食べた?
光秀は病気だったのではないか????
精神病である………


第十二章 本能寺の変の諸説を語る(千葉篤志)
本能寺の変前の状況は、京は空白である!!
各地へ重臣は戦っている!
◆ 柴田勝家 越後上杉
◆ 滝川一益 関東北条
◆ 羽柴秀吉 中国毛利
◆ 丹羽長秀 四国攻めの準備 大阪
◆ 織田信忠 京
◆ 徳川家康 堺

京にまとまったまとまった兵力は無い!

現在のクーデターの条件!
地方政府、政党、官僚、警察、企業、労働組合、
宗教団体、利益団体、報道機関、
多岐にわたる権力集団をすべて軍事力で掌握する???

当時はどうだったのか???
◆ 朝廷  暗黙の支持???
◆ 宗教  本願寺、キリスト教………
◆ 警察
◆ 軍隊  配下の武将、幽斉、重慶………
◆ 報道機関は口コミか??
一応光秀は抑えている!

◆ 5月26日 坂本から亀山に移動
◆ 5月27日 愛宕山に参篭  二度三度くじを引く!
◆ 5月28日 連歌会
◆ 5月29日 信長上洛
◆ 6月1日  秀満、利三らに決意表明!
口に出した以上やるしかないと!!

様々な説がある! 後知恵とも感じるが………
① 怨恨説
② 野望説
③ 政策上の対立
④ 精神的理由
⑤ 黒幕説
詳細に分ければもっと多い!
黒幕説も複数ある!!

① 怨恨説
◆ 家康の饗応役を外す
◆ 斎藤利三の件
◆ 無理やり酒を飲ませる
◆ 森蘭丸が明智領を欲しがった
◆ 丹波攻めで母親を人質に出し殺された
◆ 光秀の妻を望んだ
いずれも事実言い難い!!!

② 野望説
◆ 武田勝頼と通じていた?
◆ 穴山信君から内通を暴露されそうになった?
◆ 元から謀判を考えていた
◆ 変の前に、願望が叶ったら小国を与えると言っていた?
◆ 自身を周の武王に見立て、信長を殷の紂王に見立てた?
◆ 連歌会の決意表明??
こじつけに感じるが………

③ 政策上の対立
◆ 近江丹波を召し上げて、石見出雲を与える????
◆ 四国問題????
◆ 正親町天皇の譲位強要、平氏の信長の征夷大将軍阻止????
◆ 信長の自己神格化の阻止????
四国問題は最近であるが、問題になるのか?

④ 精神的理由
◆ お互いの性格が合わない?
◆ ノイローゼ?
ノイローゼ説が一番可能性が高い!!!

⑤ 黒幕説
◆ 羽柴秀吉  中国大返しは早過ぎる?
◆ 徳川家康  信康の恨み?
◆ 足利義昭
◆ 朝廷
◆ イエズス会 南蛮勢力
◆ 毛利輝元
◆ 上杉景勝
◆ 本願寺
◆ 千宗易
◆ 森蘭丸

ここ中ですぐに連絡がつくのは、朝廷と森蘭丸である!
その他は遠方である!
どうやって連絡するのか??
それなりの人間が打ち合わせしなければならないと!
メールですぐに連絡がつかない!
ばれれば終わりである!
信長を殺した後、どうしたかったのか??
一番くだらないのが、明智憲三郎に立花京子!!

石谷家文書の発見で、四国問題が重要になる??
斎藤利三が重要になっている!
注目の人である!!

本能寺の変後の道秀の書状の内容!
雑賀の土豪宛である!!
◆ 雑賀衆との連携の相談
◆ 高野山、根来衆、雑賀衆
◆ 明智軍が近江と美濃を平定する!

京に入った秀吉は、略奪に対する指示がある??
預物??
戦乱などの非常時に、住民が家財を守るために、寺院や神社に預ける!
守るための知恵である!
秀吉は明智により略奪されたものの提出を命じるが、
かえって秀吉軍の略奪を招いた??

◆ 確かな証拠があれば、預かり主に返す!
◆ その他について確認しない!
何処にでも悪はいる!!

「革命児信長の時代の終焉」が、光秀の評価につな
新史料の発見があるが、決定的ではない!!


第十三章 本能寺の変後における明智光秀と朝廷(堺有宏)
朝廷黒幕説??  関与説??
これは現在下火である?
信長が死に、信忠も死ぬ!
誠仁親王を二条御所から脱出させている!
武家政権が、織田から明智に代わる!!

光秀は安土城に入城する!
吉田兼見が安土城に派遣される!
光秀は??
◆ 勅使派遣を感謝し、お礼を申し上げる!
◆ 誠仁親王が無事に退避出来て「祝着」であると!
◆ 明日、光秀が上洛してお礼を申し上げる!

朝廷も迷う!
叛乱者をすぐに認めてよいものか………
光秀は早々と負ける!!
朝廷もさっさと縁を切る!!
負ければ賊軍か???


第十四章 山崎合戦の性格(柴裕之)
織田政権で凋落している勢力が光秀に協力する!
京極高次、安藤守就、武田元明、阿閉貞征………
与力の武将に協力を求める!
そんな中で、秀吉が帰還する!
著者は、大返しのスピードは、そんなに速くなかったと??

光秀の与力の武将が付いてこない!
細川藤孝親子の説得に失敗する!
順慶は迷っている???
状況によれば光秀に付いていた!!
最初は光秀に協力している??
洞ヶ峠も、順慶の優柔不断さが、行ってもないのに、
「洞ヶ峠を決め込む」と言われる??

山崎の合戦は、今後をめぐる勢力争いである!
秀吉は4万と言われるが、2万か??
利三は坂本城撤退を勧めたが、光秀はここで戦うと!
光秀は負け、秀満が一族の最後を飾る!
潔かったようだ!!
焼いたりしないで、残すものは残した!!

織田政権は秀吉に引き継がれて中央政権を維持するが、
織田家は終わりである!!!


おわりに
史実、逸話、伝承の区別がつかない研究者もいる!
自説にこだわり曲解する!
最近は歴史と観光が結びついている!
余計に新説、これが真実と言う本が多い!
金儲けの手段か?????


執筆者略歴

 

考証 明智光秀 ②・渡邊大門,・片山正彦他

 

2021年1月29日 (金)

本・考証 明智光秀(2020/5) ①・渡邊大門,・片山正彦他

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出自や正確な生年月日さえも未だにわかっていない明智光秀。

しかし、光秀が戦国の世に生きた証しは少なからず残されている。
本書では光秀に関する14のテーマを取り上げ、
一次史料を駆使しながら、伝説や物語とは一線を画した等身大の光秀像を描く。


大変楽しい内容である!
「本能寺の変」の作品は嫌とほど読んでいる!!
最近の四国問題の解説も良く分かる!
重複すところも多いが、少しの意見の相違もある??
よくまとまっているし、読みやすい!
内容は下記の通りである!!  ① ②と分けて紹介する!!



はじめに
第一章  明智光秀は美濃土岐明智氏出身なのか(木下聡)
第二章  明智光秀と足利義昭・細川藤孝(山田康弘)
第三章  明智光秀と近江(渡邊大門)
第四章  明智光秀と京都支配(秦野裕介)
第五章  明智光秀と信長配下の部将との関係──筒井順慶・細川幽斎を中心に(片山正彦)
第六章  明智光秀の丹波攻略(渡邊大門)
第七章  明智光秀の丹波支配と国衆(福島克彦)


第八章  明智光秀と織田信長の四国政策(須藤茂樹)
第九章  天正九年六月二日付け明智光秀軍法(長屋隆幸)
第十章  明智光秀の茶の湯(八尾嘉男)
第十一章 明智光秀の連歌と教養(渡邊大門)
第十二章 本能寺の変の諸説を語る(千葉篤志)
第十三章 本能寺の変後における明智光秀と朝廷(堺有宏)
第十四章 山崎合戦の性格(柴裕之)
おわりに
執筆者略歴


はじめに
2020年 大河ドラマ「麒麟がくる」
明智光秀関連の書籍が沢山発行されている!
光秀の時代、信長の研究が進んでいる!
一次史料に基づいた執筆を心がけて、光秀の真の姿に迫る!!


第一章  明智光秀は美濃土岐明智氏出身なのか(木下聡)
家柄、出身地は確定していない!
光秀は明智を苗字とする!
明智と言えば土岐一族!
土岐一族だから美濃出身???

「ツマ木」??????
信長の側室??
単なる女房衆の一人?
光秀の妹と言われる??

他にも出身地はある!
◆ 近江出身
◆ 若狭出身

明智は、土岐一門の有力な7家の一員である!
通字がある!
足利家は、義!
織田家は、信!

光秀の明智一族は、頼を用いるが、光秀の父と思われる人は、光が付く!
光国、光隆、光綱???
足利幕府の、足軽衆?? 奉公衆であれば、家柄がモノを言う!
足軽衆とすれば、土岐一門としても傍系なのではないか?
直系ではないようだ………


第二章  明智光秀と足利義昭・細川藤孝(山田康弘)
「大河ドラマ・麒麟がくる」
義昭がこれほど好意的に描かれた例は無いと言う??
足利将軍は無力だったのか??
献金も頼めばしてくれる!
越前朝倉氏、伊勢北畠氏、駿河今川氏、河内畠山氏、
能登畠山氏、周防大内氏、豊後大友氏………

細川藤孝??
司馬遼太郎が言う!
足利、織田、豊臣、徳川と生き抜いた??
文化人である??

ここでは出てこない!  こういう確証性のない話は載せない!!
智慶院が将軍足利義晴の子をみごもったまま晴員に嫁いで幽斎を生んだ??
事実ならば足利義輝、義昭の庶兄にあたる???
三淵氏から和泉守護細川元常の養子に入った??
ではないと!!
近江源氏佐々木一族であり、8代将軍足利義政の近臣となり、
活躍し細川名字を賜った!

光秀は、越前朝倉氏のところにいて、義昭に仕える!
義昭は尾張の信長を頼り、上洛し15代将軍になる!
この時には義昭の家臣である!
義昭の家臣と言うより、信長の家臣として活躍する!
しかし信長と義昭は対立する!
「5ヵ条の条書」
これもどうなのか? 本当に義昭は認めたのか??

信玄西上で、義昭は反信長陣営に参加する!!
が信玄は死ぬ!
挙兵したがあっという間に負ける!!
息子を人質に出し、追放される!!
紀伊から備後鞆に行く!
そこから信長打倒の号令をかける!!
「信長一強、一強他弱」
◆ 信玄に次いで謙信も死ぬ!
◆ 反信長の連携が上手く行かない! 蘇秦はいたのか?
◆ 武田勝頼が滅びる!
◆ 光秀は丹波攻略である!
こうして本能寺に向かう!!

光秀は義昭と連携したのか??
可能性はあると!
荒木村重も叛乱は、義昭の上意による行為だと!!
そうして汚名を避ける??
光秀も同じことを考えた??

本能寺の変の前に連絡は取れていた?
それは無いと??
ただ光秀が、主殺しの汚名をやらげるために、
自分で連携があったと言う可能性はある!!
証拠はないが………


第三章  明智光秀と近江(渡邊大門)
光秀の近江出身説がある??
屋敷跡もある???
信長の朝倉攻めで、浅井長政が裏切る!!
この時信長は逃げる?
しんがりは光秀と秀吉??? 池田の名前が無い!

浅井朝倉と信長の戦いは、総力戦になっている!!
本願寺がこの危機に信長との戦いを門徒に命じる!
朝倉、浅井、本願寺の連携である!

朝倉、浅井は、本願寺の挙兵に三好三人衆!!
長島の一揆で弟が戦死!!
比叡山が問題である!!
これはお互い事情で、勅命講和になる!!
講和が潰れるのは時間の問題である!
比叡山焼き討ちである!
光秀は熱心にやったと!
信長は無神論者だからやったのではない!
本願寺に、比叡山は、
宗教者としての本分を守らずに、

歯向かったからである!!

光秀は坂本城を与えられる!
義昭も「遠交近攻」か??
越後や、甲斐、中国が頼りか?
畿内の信長を討つ!!
義昭挙兵であるが、屈服させられる?
朝倉浅井攻めである!!
浅井久政、長政の首に箔濃を施し、家臣に披露する!
これは残虐な行為とされるが、首に敬意を払っただけだと?

光秀の近江支配の記録は少ない!
山門領など寺社領を横領している!!
光秀近江出身説は、地元を中心に広がっている………


第四章  明智光秀と京都支配(秦野裕介)
「京都代官」 メンバーは?
◆ 村井貞勝
◆ 佐久間信盛
◆ 丹羽長秀
◆ 明院良政
◆ 木下秀吉

光秀の仕事は??
◆ 朝山日乗との協働
◆ 加茂荘の軍役をめぐる木下秀吉との協働
◆ 中川重政・丹羽長秀・木下秀吉との協働
◆ 光秀の単独文書
◆ 松田秀雄・塙直政・島田秀満との協働
  塙直政は蘭奢待切り取りである!
◆ 義昭との決別
◆ 村井貞勝との協働
◆ 光秀は近江も担当し、軍事指導者と行政責任者を担当する!
◆ 三淵藤英の処遇と旧幕臣の取り込み
三淵藤英の切腹を見とどける!
摂津晴門の扱いは小さい………

信長は、家臣に名前を与える!
◆ 光秀   惟任日向守
◆ 丹羽長秀 惟住
◆ 秀吉   筑前守
◆ 塙直政  原田備中
◆ 村井貞勝 長門守
◆ 簗田広正 別喜右近
九州が標的か??
光秀は、坂本と亀山に城を持ち、姜のキャリアは終わる!
丹波攻略である!!


第五章  明智光秀と信長配下の部将との関係──筒井順慶・細川幽斎を中心に(片山正彦)
筒井順慶と細川幽斎である!!
どちらも本能寺の変後、光秀は当てにする!
かりに順慶が1万の兵を率いて
光秀側についたらどうなっていたのか?

光秀と幽歳の関係は古い………
ここでは省く!
順慶はどうか??
順慶は弾正の後の、塙直政が戦死して大和に入れられるが、その頃からの付き合いか?
もっとも順慶は大和興福寺の出か??
どちらの武将も信長に厳しく使われている??

本能寺の変前の動向である!
光秀は、愛宕山で二度三度と籤を引く!
そうして連歌である!!
本能寺の変後、順慶は光秀に味方するつもりだった???

幽歳はどうもはじめから無理と悟った!
光秀の説得にも応じず、忠興とも剃髪して、たまを離縁する!

「洞ヶ峠の日和見」
順慶はここへは兵を出していない!
秀吉のあまりの速さに迷う!
洞ヶ峠に来たのは、光秀かその軍勢であるのに、
順慶が来たようになっている!

まるで順慶が悪者である!
順慶は、大和一国を安堵される!!
それなりに評価されたようだ………


第六章  明智光秀の丹波攻略(渡邊大門)
丹波攻略を有利に運ぶが、裏切られる!
丹波八上城の波多野秀治である!
信長は光秀を責めていない!!
各戦線をまわり、再度丹波攻略にかかる!
播州三木も、摂津荒木村重もそうだが、
丹波も毛利を当てにしている?

そして叛乱する………
この時期は信長も焦ったのではないか??

八上城攻撃も三木城と同じく兵糧攻めである!
落城寸前になる!!
◆ 助命と退城を懇望してきたと!
◆ 400、500人が餓死
◆ ひとりも打ち漏らさず八上城を落城させる!
◆ 要害、塀、柵、逆茂木を張り巡らせて落城を待つ

光秀は長い年月をかけて、丹波を攻略する!
丹波を支配する!
◆ 亀山を本城に、
◆ 八上城  明智光忠
◆ 黒井城  斎藤利三
◆ 福知山城 明智秀満

光秀の丹波攻略は??
◆ 天正3年8月開始
◆ 義昭、毛利、本願寺に通じている!
◆ 八上城攻撃は、天正6年9月からで、

本腰を入れたのは天正7年2月以降!
◆ 落城は天正7年5月で、実質3カ月である!
◆ 三木城と似た攻撃である! 
天下を秀吉がとったので三木の方が有名になった!


第七章  明智光秀の丹波支配と国衆(福島克彦)
織田政権は、光秀、勝家、秀吉などに権限を与えている!
光秀は「人たらし」のような側面も持つ!
光秀の書状がある!
◆ 3人1組宛の文書について
◆ 亀山城普請に関する文書
◆ 本願寺攻めとの兼ね合い
◆ 亀山地区上に関する資料
◆ 八上城攻めに関する文書
◆ 八上城攻撃の本格化
◆ 八上城攻撃の全貌
◆ 3名宛て書状の位置づけ
3人一組で命令している?
組み合わせは固定していない!

最初は柔らかく??
次第に支配を強めた!!

 

考証 明智光秀 ①・渡邊大門,・片山正彦他

 

2021年1月24日 (日)

本・本能寺の変―戦史ドキュメント(2000/11)・高柳光寿

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明智光秀は、本能寺の襲撃を本当はいつ決断したのか。
また、なぜ謀反に踏み切ったのか。
巷間で言われるように、織田信長の理不尽な仕打ちに反発したための謀反だったのか。
そこには様々な謎がある。
戦国研究の第一人者である著者が、膨大な史料を克明に検証して、
本能寺の変をドキュメントタッチで再現。
本能寺の変の真実が、今、ここに明らかになる。


戦国研究の第一人者である! 野望説である!!
流石に詳しく、戦術、戦略の知識もある!!
しかし近年新しい史料が発見されている!
研究者も苦労すると思うが………
読んでいて楽しい本である!
短くまとまっている!
内容は下記の通りである!!


まえがき
信長の諸国平定
本能寺の変前の形勢
光秀の決意
本能寺の変
二条御所の襲撃
光秀の近畿経営
諸将の行動
秀吉の上洛
細川藤孝と筒井順慶
光秀の防禦
両軍の兵力および素質
山崎の合戦
坂本城の陥落
近江・美濃の平定
清洲の会議
結 語

 

〇 まえがき
秀吉と家康、関ケ原の合戦の勝敗は、戦場だけで決まったものではない!
戦術、戦略があって勝負が決まった?
国VS国である!
しかし本能寺の合戦は、総司令官とその配下の武将の争いである!
著者の本能寺の変の考えが並んでいる!
◆ 光秀の信長への恨みが原因ではない! 光秀も天下が欲しかった!
◆ 突発事件である!
◆ 変を起こすには最良の日であった! 信長麾下の武将の位置は?
◆ 光秀は全力を尽くした!
◆ 秀吉の行動は、全体にどう影響を与えたか?
◆ 順慶はどう動いたのか?
◆ 天王山の重要性!
◆ 光秀は敵が多い! 内面作戦である!
    秀吉は、勝家、信孝、信雄、家康らと連絡が取れる!
    外面作戦である!
◆ 外面作戦を利用した具体的な例が、大返しである!
◆ 秀吉個人の勇気と判断が、勝利を獲得した!

フィクション的な話は省かれている………


〇 信長の諸国平定
信長は家康領を含めて、30カ国を支配している!!
66カ国であるから、半分である!
しかし毛利攻め、市国攻め、上杉攻め、北条攻めがある!
九州攻めは、秀吉と光秀か???
東北はどうなるかと言うことか???


〇 本能寺の変前の形勢
各地の配置!
◆ 東海道  徳川家康
◆ 東山道  滝川一益
◆ 北陸道  柴田勝家
◆ 近 畿  明智光秀
◆ 中 国  羽柴秀吉
◆ 南街道  丹羽長秀

将来についての展望が無い???


〇 光秀の決意
天正10年3月 信忠を総大将とし甲斐を攻める!!
武田の遺領を配分し、信長は安土へ凱旋する!
滝川一益は北条攻めで上野にいる!
5月18日、19日、20日と家康を歓待する!!
信長自らであり、光秀が担当する!
秀吉は毛利攻めで、光秀は中国へ応援を命じられる!
信長も出陣する!!
著者言うところによると、組下の武将は知られていなかった?
細川忠興、筒井順慶、池田恒興、中川清秀、高山重友らである!
幽歳の名前が無いが………

信長は29日に京へ行く!
本能寺に宿泊した理由は?

光秀は?
5月17日 坂本に帰る!
5月26日 坂本から亀山に行く!
5月28日 愛宕山で二度三度くじを引く!
5月29日 連歌を興行する!

28日は迷っていた?
29日は決意表明か??
ただ今からやるとわざわざ決意表明をするかな?
相手は、連歌師、里村紹巴である!
何ほどのことがあるのか?

怨恨説!!
◆ 小早川隆景にあてた書状!
◆ 波多野秀治に母を人質に出し、約束たがえて母が殺される!
◆ 武田攻めから帰り、家康の饗応役を外された?
いずれも根拠はないと!!
石見、出雲に国替えの話はない!!
光秀も天下が欲しかった???

6月1日に、重臣に決意表明をしている!!
明智秀満、明智次右衛門、藤田伝五、斎藤利三!
これに溝尾勝兵衛が入るのか??
これらの関係者はみんな死んでいる!
それも光秀と同時期にである!
誰が漏らしたのか??
他にはいないはずである!!
口にした以上絶対に漏れるとして、やるべきだと!!
やっても漏れているが………

これほどの重大事である!
決意してから重臣に話したのではないか?
光秀が決めた! 理由は野望説なのか???


〇 本能寺の変
襲撃は成功する!!
人数の差が圧倒的に違う!!


〇 二条御所の襲撃
二条御所の信忠を襲撃する!
誠仁親王を伊座させることを光秀に申し入れる、快諾される!
そうして死ぬ!
逃げるべきだったのか??


〇 光秀の近畿経営
細川藤孝、忠興親子に参加を求める!
光秀自体は息子と忠興に任せて引退すると???
各地に信長を討ち果たしとの連絡を送る!
安土城に入城し、秀満に守らせる……


〇 諸将の行動
◆ 織田信雄 伊勢から兵を出す! 安土城に入る!
    焼いたと言われているが………
◆ 徳川家康 本能寺の変を聞き、堺から脱出する!
    茶屋四郎次郎である! 伊賀越を行う!
    徳川四天王が付いている! 穴山梅雪は殺される!
    岡崎に帰り、秀吉から光秀討伐を聞く!
    甲斐を手に入れる………
◆ 滝川一益 神流川で北条に負け、逃げ帰る?
◆ 川尻秀隆 甲斐で一揆に会い、殺される!
    家康が糸を引いている………
◆ 森長可 信濃北部から引き上げ、領地は上杉に!
◆ 毛利秀頼 美濃に引き上げる!
◆ 柴田勝家 前田利家、佐々成政、佐久間盛政らを城に引き揚げさせる!
    自身は上洛しようとするが兵力不足である!
    上杉の圧力がある………
◆ 織田信孝 丹羽長秀 光秀の女婿の織田信澄を殺す!
    秀吉の軍に合流する! 信孝は総大将ではない??


〇 秀吉の上洛
中国大返しである!!
備中高松城の水攻めである!
清水宗治を切腹させる!
光秀の使者が各地に届く!
秀吉は、6月3日の晩には本能寺の変を知った!
間違って秀吉の陣に入ったと??
ここら辺は本当のことは分からない?
安国寺恵瓊が活躍する??

指揮官が死ねば、普通は引き上げる!
勝家も引き上げている!
ここでは信長の死を隠して交渉している!
清水宗治は切腹する!
父の月清入道と末近信賀らがともに死ぬ!
父の月清入道とあるが、兄だと思うが………

官兵衛は毛利と宇喜多の旗を借りた?
これは著者は否定している!
講和条件は??
美作、備中、伯耆を秀吉に差し出す!
備中西側、伯耆西は毛利のものである!!

姫路に帰り、在庫品を分配した!
籠城の意思は無いとの決意である!!

7日    姫路
9日    出発
11日  尼崎
13日  信孝合流
高山右近が先鋒である!


〇 細川藤孝と筒井順慶
細川藤孝、忠興は味方しない!
筒井順慶は?
光秀の与力である!
松永弾正との戦いに光秀は順慶に味方している!!
順慶は最初光秀に協力している!
が秀吉の進出を聞いて、日和見になる??
実際に順慶が洞ヶ峠へ出陣した記録はない!
光秀が洞ヶ峠に陣したのを、誤り伝えた!!


〇 光秀の防禦
光秀の動きである!
筒井順慶は味方と思っている………
光秀は10日に洞ヶ峠に着陣して、11日には引き上げている!
細川藤孝、忠興親子、筒井順慶、高山右近、中川清秀、池田恒興、
摂津の塩川党らは味方しない!
全て、秀吉の中国大返しである!!
光秀の兵は少ない!!
それが作戦に影響している!!
籠城は論外である?
京都南西の平野で光秀を迎え撃つ!
光秀は天王山を放棄している!!
それしかないようだが………
光秀の配置は分かっていないようだ………
武将の立場もである!!


〇 両軍の兵力および素質
両軍の配置図である!

Photo_20210122080101


戦力については確かなものはないようだ?
秀吉軍 4万!!
◆ 高山 2千
◆ 中川 2千5百
◆ 池田 5千
◆ 丹羽 3千
◆ 信孝 4千
◆ 秀吉 2万
光秀軍 1万6千!!
◆ 斎藤・藤田  2千
◆ 阿閉ら近江衆 3千
◆ 松田・並河  2千
◆ 伊勢・諏訪ら 2千
◆ 津田     2千
◆ 光秀     5千

両軍の兵士の質はそん色ない??
実戦で鍛えられているし、信長にもである!
指揮官は?
信長に褒められているのは両人である!
そん色がないし、この時期最高の指揮官か??
そうでなければ、佐久間信盛のように追放される!!
勝家はどうかな?? 家康がいるが………
しかし両軍の士気には差がある!!


〇 山崎の合戦
◆ 12日
高山、中川と光秀の前哨が戦う!!

◆ 13日
この戦いに良質な資料はないようだ………
天王山争奪戦もあったのかどうか?
光秀軍は負けて、勝竜寺城に引き上げる!!
追撃が効果があるのは兵力に余裕のある時だと!
島津義久は竜造寺隆信を討ちとったが、追撃出来なかった!
日露戦争で、奉天で勝ちながら追撃出来なかった!
兵力が足りなかった………
秀吉は余裕がある!!

光秀は坂本で最期を飾ろうと思っていた??
が、小栗栖で死ぬ!!
柴田勝家も、北ノ庄で最後を飾った………


〇 坂本城の陥落
光秀の敗北を聞き、秀満は安土から坂本に向かう!
安土城は焼いていない!  信雄かと言われている!!
坂本城に入り、これを堀秀政が囲む!
秀満は、天下の名物を、目録を付けて渡す!
その後、逃がせるものは逃がし、光秀の妻子を殺し、
自分も自害する!
光秀の妻は既に死んでいる!!
光秀の子女の数は分からないと!
織田信澄、忠興、荒木村安・秀満に嫁いでいる三人の娘!
それに男子が二人が確実と言う!
11人説、8人説もある???


〇 近江・美濃の平定
16日 信孝、秀吉は焦土の安土城に入る!
光秀、斎藤利三の首をさらす!
光秀に味方し武将!
阿閉貞征親子、京極高次、武田元明、山崎方家、
安藤守就親子………
ほとんど秀吉に降る!!


〇 清洲の会議
本能寺の変から25日後、清州の会議がある!
柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興である!
滝川一益は外される!!!
信忠の子、三法師が後継者である!
それぞれが遺領を分割する!!
大勢は秀吉のものになる???


〇 結 語
◆ 信長の変死
信長の異常性がある???? 性格異常か??
信康の切腹!
朝倉義景、浅井長政の首を箔濃にした!
甲斐の快川紹喜を焼き殺した!
佐久間信盛、林道勝らを追放した!
荒木村重の一族の皆殺し!
いつか反逆で死ぬ運命にあった???

◆ 光秀の反逆
本能寺の変は無謀な行為か?
必ずしもそうではない?
状況はやれと言っている?
それなりの成算があった?
みなある! 荒木村重、松永弾正、別所長治………
ただ秀吉が計算外だった………
著者は、俗説を否定している!
将来に不安があった??

◆ 秀吉の決断
秀吉には果断さがある??
光秀に時間があれば畿内からまとめていた?
その時間を与えなかった秀吉である!
ただどんな天下をつくるのかのビジョンはあったのか?
秀吉は無かったので家康に行った………
チャンスは逃さない………

◆ 山崎の勝敗
戦力差があったが、同等とすればどうなっていたか?
現実には7対3の兵力差である!
高屋右近らから人質を取らなかったのが原因か?
そんな事すれば間違いなく負けている!
坂本城へ引く??
そんな事すれば諸将から狙われる!!
山崎の合戦は、光秀にとっては内戦作戦である!!
光秀は、秀吉だけでなく、勝家、家康、信雄らも考えなければならない?
秀吉の進出により。味方しようとしていた武将が、
秀吉に、あるいは中立になる!
主殺しのハンディもある!!
秀吉は自ら前線で指揮している!
これは賤ケ岳でも同じである…………
これは秀吉一個の覚悟と、本人が主張している!
その通りである!!!

◆ 戦火の把握
戦果を最大限に活用した!
本能寺の勝利だけではなく、清須会議で主導権を握った!!
家康も活用した!
甲斐、信濃をものにした!
この二人が天下を持ちまわった………

 

本能寺の変―戦史ドキュメント・高柳光寿

 

2020年9月13日 (日)

本・明智光秀のすべて(1994/11)・二木 謙一 (編集)

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明智光秀はなぜ信長殺しに走ったのか。
日本史上最大の謎に気鋭の学者13人が挑む。

1994年で少し古い!
が呼んでみた!
本能寺の変の原因で、南蛮勢力の話はない!!
当たり前である!
話題の四国説も大きく扱っていない!!
内容は下記の通りである!!


実務派型武将の栄光と転落       二木謙一
明智光秀と信長            宇田川武久
明智光秀と秀吉            染谷光廣
明智光秀の戦略・戦術         小和田哲男
明智光秀の近江・丹波経略       長谷川弘道
文人としての明智光秀         米原正義
明智光秀をめぐる女たち        島津隆子
ドキュメント本能寺の変        下山治久
本能寺の変 光秀蹶起の真相を検証する 宮本義己
明智天下の十二日間          鍛代敏夫
明智光秀合戦事典           平野明夫
明智光秀関係人名辞典         風間洋
明智光秀関係史跡事典         平野明夫
明智光秀関係系図           長谷川弘道
明智光秀関係年譜           長谷川弘道
明智光秀関係文献目録         大聖子
あとがき
執筆者略歴


実務派型武将の栄光と転落  二木謙一
インテリ、知識人、高級官僚である??
前半生は分からない!

〇 進士某の次男
〇 若狭小浜の刀鍛冶の子
〇 明智美濃出身で本性御門で、明智に改める
〇 明智駿河守の親戚
要は決定的なものがない!!

廻国修行に出ている! 明智軍記だけである!!
加賀、越中、春日山、奥羽、関東、東海、毛利、尼子、
九州の竜造寺、大友、島津、四国を廻る!!
朝倉義景仕官する!  36歳!!

斎藤竜興が美濃を追われて越前に来る!
光秀は朝倉家を辞す!!

足利義昭の近臣になる!
当時は、義昭、信長に仕えている???
行政手腕がある!
やがて織田家に仕える!  義昭を捨てる???
近江坂本城主である!
惟任の姓と新たに丹波一国29万石を与えられる!
要は評価されている!!

「その才知、深慮、狡猾さにより信長の寵愛を受け、
 主君とその恩恵を利することをわきまえていた」
「裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的であったが、
 己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とした」
「友人たちの間に会って、人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していた」
これらの評価は正しいかどうか分からないが、実務にはたけていた!

丹波召し上げ、石見、出雲への領土替え、母が殺される、家康饗応の失敗、室町幕府の再興??
それらが原因だったのか???
明智光秀の与力の武将は、結局誰も味方しなかった!
前から不思議に思っていたが、佐久間信盛が追放されたとき、反乱は起こらなかった!
死に物狂いで反撃しなかったのか??
荒木村重は一応付いて来た人間も多い!
光秀も付いて来ている家臣は多い!
斎藤利三は信市に恨みがあったので積極的だった??

要は負けるべくして負けた???
ここと言う決断が出来なかった???
インテルの限界か??
京都の人間、公家や朝廷はしたたかである!
光秀を見極めている????


明智光秀と信長  宇田川武久
本能寺の変の14年前、信長は足利義昭を奉じて上洛する!
その前に美濃を下している!

光秀の出自は分からないと!
明智軍記は信頼性に欠ける???
光秀の諸国遍歴は2年間??
それで九州から奥羽まで??
信用されない!!!!
嘘が一杯ある!!

義昭が朝倉から美濃に動座した時には、光秀は信長に家臣になっている!
信長は義昭に五か条の誓約書を突きつける!!
政治手腕はある!!
負けた方は好きなことを書かれる!
「豊内記」
自らを武王になぞらえて信長を殷の紂王に比している!
虚構に過ぎないがそんな話が多い………


明智光秀と秀吉  染谷光廣
ほぼ同時期に、ほぼ同じ立場であったと!
光秀は義昭と信長の双方に仕えている!
かの有名な金崎の退口は秀吉が担当した??
しかし、「木藤、明十、池築其の他残し置かる」
ひとりではない!!
秀吉の軍功はそのまま信用はし難い!!

光秀の家臣団!!
一族衆  秀満、斎藤利三
山城衆  
旧幕臣  

秀吉は近江衆が主体
秀吉は「手の者」で、光秀は「外様」
本能寺の変後、秀吉は光秀、利三らには首謀者として処分している!
それまでに、三木城、備中高松城は城主に腹を切らして他は許している!
同じように光秀の部下は許している!!
本能寺の変後、秀吉は人間の集団はどうあるべきか、
その長はどうあるべきか? 秀吉は本能寺の変を体験し、
自らをきかしきれた人物だと!!!


明智光秀の戦略・戦術  小和田哲男
小和田哲男の本はよく読んでいる!
光秀は信長に評価されていた!
「明智軍記」「細川家記」は当てになる???
足利義昭の近臣時代に武功があった!
姉川の合戦も参加したかどうか分からない?
近江坂本を与えられる!
叡山焼き討ちがある!!
坂本は琵琶湖の制湖権を争う!
水軍も持っていた!  堅田水軍!!

丹波攻略は攻城戦である!
光秀は戦略にも優れていた??
丹波攻略は時間がかかったが、専属で戦っていない!!

本能寺の変の成功は、光秀の緻密さにもよる!!
しかし山崎の合戦は、光秀16,000人、秀吉は36,500人!
秀吉は光秀打倒に絞っているが、光秀はそうではない!
光秀は野戦より攻城戦を得意とした?


明智光秀の近江・丹波経略  長谷川弘道
信長は上洛する!
光秀は信長の近江平定に参加する!
坂本は水陸の要所になる!
近江の光秀の経営の資料は少ない!
湖の水軍を掌握する!

丹波攻略は時間がかかった!
病気にもなっている!
丹波だけではなく、あちこちの戦線に使われている!
光秀は善政をひいた………


文人としての明智光秀  米原正義
戦国武将は連歌に通じている!!
連歌が並んでいる………
問題の愛宕百韻である!
光秀 時は今あめが下し(な)る五月哉
紹巴 花落つる流れの末をせきとめて

本能寺の変の4日前に決意表明をするかなと!!

光秀は茶人・津田宗及と親しい!
茶湯を盛んに開いている!


明智光秀をめぐる女たち  島津隆子
〇 母 於牧  磔になった??? 
〇 帰蝶    斎藤道三の娘
〇 熙子    本能寺の変の前に死亡している???
  そう言う説もある!!  信長に目を付けられた???
〇 三人の娘! 明智秀満の妻(荒木村安の妻)
  織田信澄の妻!
  ガラシャ! 不幸なのか??? 
  が、侍女たちは多くは死んでいる!!
あまり良い生涯ではない!!!

ドキュメント本能寺の変  下山治久
光秀は中国攻めの応援に行く!
丹波を攻略している! 配下には、
細川藤孝、忠興、池田恒興、筒井順慶、中川清秀、高山右近………

信長と光秀は合っていたのか???
〇 斎藤利三の帰属の問題
〇 諏訪法華寺で、光秀が骨を惜しまず働いたと言って、信長に折檻される!

本能寺の変前に決意を打ちあける! 以下の5人である!
明智秀満(左馬助)
明智光忠(次右衛門)
斎藤利三(内蔵助)
藤田行政(伝五)
溝尾茂朝(庄兵衛)
全部死んでいる! では誰が後世に伝えるのか??

本能寺に乱入する!
かなり早くに、全国に本能寺の変は広まった!!


本能寺の変 光秀蹶起の真相を検証する  宮本義己
本能寺の変はなぜ起こったのか???
怨恨説!
〇 波多野兄弟誘降りの一件
〇 庚申待酒宴の一件
  徹夜で酒宴と乱舞の会で、信長に折檻される!
〇 妻を狙われた一件
〇 諏訪法華寺の一件
  光秀が骨を惜しまず働いたと言って、信長に折檻される!
〇 家康饗応の一件
〇 斎藤利三の一件

野望説!
〇 武田へのない通説

その他の説は??
〇 織田政権筆頭への地位が困難になった
〇 秀吉との出世争いに遅れた
〇 長宗我部元親との約定を、信長が反故にした
〇 四国討伐の総大将になれなかった
〇 近江・丹波を召し上げて、石見・出雲をへの国替え
〇 丹波の軍事権が信孝によって剥奪される

すでに信長に見切りをつけていた???
佐久間信盛や、林道勝が追放され、京が真空となった今しかない!


明智天下の十二日間  鍛代敏夫
〇 6月2日 
本能事変後、諸国へ連絡する
〇 6月3日
安土城撤退! 秀吉の元に密書が舞い込む!
〇 6月4日
秀吉講和! 武将の勧誘!!
〇 6月5日
瀬田橋修復、安土城へ行く、織田信澄が殺される!
〇 6月6日
政権の正統性を訴える!
〇 6月7日
秀吉が出陣の用意!
〇 6月8日
各地の諸将に連絡が行く!
〇 6月9日
光秀の配下の諸将が動かない!
〇 6月10日
重慶は来ない!
〇 6月11日
秀吉が尼崎に着く!
〇 6月12日
山崎の合戦の前夜!
〇 6月13日
山崎の合戦後、小栗栖で死ぬ!!


明智光秀合戦事典  平野明夫
〇 北伊勢平定戦    織田信長VS北伊勢諸将
〇 六条本圀寺の戦い  足利義昭・織田信長VS三好一族
〇 大河内城の戦い   織田信長VS北畠具教
〇 姉川の合戦     織田信長・徳川家康VS朝倉景健・浅井長政
〇 志賀の陣      織田信長VS朝倉義景・浅井長政
〇 比叡山焼き討ち   織田信長VS延暦寺僧徒
〇 今堅田城攻め    織田信長VS足利義昭
〇 槙島城の戦い    織田信長VS足利義昭
〇 静原城の戦い    織田信長VS山本対馬守
〇 越前攻め      織田信長VS越前一向一揆
〇 黒井城の戦い    明智光秀VS萩野直正・波多野秀治
〇 亀山城の戦い    明智光秀VS内藤氏
〇 園部城の戦い    織田信長VS荒木氏綱
〇 八上城の戦い    明智光秀VS波多野秀治・秀尚
〇 氷上城の戦い    織田信長VS波多野宗長・宗貞
〇 黒井城の戦い    織田信長VS赤井忠家・直照
〇 本能寺の変     明智光秀VS織田信長
〇 山崎の戦い     明智光秀VS羽柴秀吉
〇 坂本城攻防戦    明智氏VS羽柴秀吉

 

明智光秀関係人名辞典  風間洋
〇 赤井直政
〇 明智秀満
〇 明智光隆
〇 明智光忠
〇 朝倉義景
〇 足利義昭
〇 阿閉貞征
〇 伊勢貞興
〇 今井宗久
〇 織田信澄
〇 織田信長
〇 斎藤利三
〇 里村紹歯
〇 四天王政孝
〇 柴田勝定
〇 津田宗久
〇 筒井順慶
〇 妻木広忠
〇 豊臣秀吉
〇 波多野秀治
〇 藤田行政
〇 細川ガラシャ
〇 細川忠興、
〇 細川藤孝
〇 溝尾茂朝
〇 御牧景重
〇 吉田兼美


明智光秀関係史跡事典  平野明夫
〇 明智城址  可児郡可児町
〇 一乗寺遺跡
〇 宇佐山城址
〇 坂本城址
〇 愛宕山
〇 亀山城址
〇 老の坂峠
〇 本能寺跡
〇 現本能寺
〇 安土城址
〇 小栗栖


明智光秀関係系図  長谷川弘道

明智光秀関係年譜  長谷川弘道

明智光秀関係文献目録  大聖子

あとがき

執筆者略歴


明智光秀のすべて・二木 謙一 (編集)

 

2020年9月 1日 (火)

本・戦国軍配者 嶋左近(2001/6)・山元 泰生

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秀吉が「この男には明日にも10万の兵を預け、その進退をまかせられる」と絶賛した天才戦さ師・嶋左近。
きめ細かい調査取材で戦国史の謎に挑戦。左近の劇的な生涯を綴り、生死の瞬間を捉えた小説。


謎に包まれた武将なのか??
関ケ原の合戦で、凄まじい戦いをして名前を残した………
筒井順慶に仕える!!
松倉右近とともに、右近・左近で有名だったようだ………
大和にはかの高名な松永久秀がいる!
好まれる武将ではない??
やりたいことをやって死んだ!!
信長に3つの悪行を言われる!
①  将軍足利義輝を殺した
②  奈良東大寺の大仏を焼いた
③  三好家乗っ取り
余人なら一つの事でも出来ないのに3つもやった???
これは褒め言葉と言う???? そんな事は無い!!

美女を連れて戦場に行き、気かむくと紙帳を張り、複数の美女と戯れる??
用事があると、首を出し指図する!!
裏切りの常習者である!
信玄、謙信がたてば信長を裏切る!!
最後は爆死したとはいえ、幸せな人生ではないか??
やりたいことをやって、やり過ぎて死ぬ!!!

筒井は松永と争う!!
そこらあたりはあまり興味はないが………
ただ順慶は信長に仕え、光秀の与力になる!
大和で1万の兵を持つ!!
本能寺の変がある!!
洞ヶ峠である! 勝つ方に付こうとした??
が、嶋左近は光秀に付くように進言する!!
左近は勝てると思っている!!
しかし細川幽斎、高山右近、中川清秀らは秀吉についてる??
が、筒井勢が味方すれば、迷っている小領主に影響を与える!
この話の真偽は分からない??
しかし、関ケ原の合戦時 「今時の諸侯は明智光秀や松永久秀のような果断にかけている」
といった話もある!!
ともあれ参加せずに筒井は生き残り、秀吉に目を通して止められる!!
明智に味方すべしと、言ったことは知れ渡っている!!

順慶が亡くなり、実子は居なく定次が後を継ぐが、出来は良くない??
老臣を信用しない!!
大和から伊賀に国替えになる?
大和は寺の勢力が強いし、伊賀は不気味である!!
どちらにせよ、秀吉に見透かされている??
この男では、家中は保てないと!!!

左近は身を引く!!
他家から声はかかるが、世捨て人になっている??
ここに石田三成が来る!!
仕官のお願いである!!
ここらははっきりしたことは分からい??
1万石か、2万石か??
どちらにしても半分を与える!!!
これに左近は応じる!!
右腕になる!!!
島津攻め、北条攻めがあるが、左近は参加していない??
忍城の水攻めに失敗する!!
これは秀吉の強要との話もある!!
朝鮮出兵から引き上げる!!
三成も出世している!!

佐和山に19万4千石を与えられる!
佐和山城を与えられて家臣も増える!!
蒲生備中(郷舎)、舞兵庫、高野越中、大場土佐………
司馬遼太郎・関ケ原によれば、蒲生家浪人と、関白英次の浪人を抱えたとある!
特に蒲生家浪人は良く戦ったと!
蒲生氏郷は、家臣に蒲生の姓と郷の字を与えた!
前田利家に意見されたようだが………
蒲生備中(郷舎)も良く分からない???
どうも名前がダブっているところもある!!
三成の近江衆、左近の大和衆らもいる!
三成の父と兄は有能であり、領地を治めている!!!!

打倒家康!!!
三成は、味方する大名を挙げる!!
が左近から見れば、10数家か???
ここらは定石通りに話が進む!
家康暗殺未遂事件???
前田利家が亡くなる!!
七将の三成襲撃による、家康の屋敷に逃げ込む話はない!!
左近と本多正信の話である!!
加賀前田利長反乱! 弟利政の動向!! 利長が屈する!!
となれば期待は上杉景勝である!!
会津で家康を迎え撃つ!!!
家康、何するものぞ!!!
関ケ原に向かうが三成は自信がない???
書状に頼り、各地の大名に味方せよと!!

大垣城で、島津豊久に夜襲を進言され、左近は同調する!!
が、三成が反対する??
堂々と戦野で勝負を付けたい!!!
これが間違っている???
実際には、関ケ原で戦ったのは、三成、大谷吉継、宇喜多秀家か???
小西行長も戦意は無い???
左近は家康を狙う!!
左近負傷でこの戦いは終わった……… 二発の銃弾である!!
黒田長政の執念なのか?????
三成は優柔不断だったのか………

「司馬遼太郎・関ケ原」を読んだのは40年以上前である!!
その時のおどろきと、感動に勝るものはないと思う!
それ以来何冊も読んでいるが、流している感じである!!!

 

戦国軍配者 嶋左近・山元泰生

 

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