四国 (長宗我部他)

2023年9月29日 (金)

本・明智光秀と細川ガラシャ―戦国を生きた父娘の虚像と実像(2020/3)・井上章一・呉座勇一・フレデリック・クレイ

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謎の武将・明智光秀と悲劇のヒロイン細川ガラシャ!
戦国時代を生きた父娘は、どのような人物だったのか?
光秀が織田信長を裏切った本能寺の変の背景には、何があったのか?
キリスト教を学び改宗した気高く聡明なイメージはどのように伝わったのか?
石田三成率いる西軍の人質になることを拒絶して死に追い込まれた「気高い美女」とされるが、
本当の彼女はどのような才覚、性格、容貌の持ち主だったのか?
明智家の状況、当時の布教の様子、イエズス会の置かれた立場や日本戦略、
近代化の過程で変容したイメージなど幅広い観点から、父娘の実像を浮かび上がらせる!!

 

井上章一・呉座勇一・フレデリック・クレインス・郭南燕の4人が別々に書いている!
細川ガラシャである!
一章をを呉座勇一が光秀について書いている!
後はガラシャである!
その悲劇性があり、知性と美貌が後押ししている??
に行った時、ガラシャ通りがあった!
城内に!
内容は下記の通りである!!

 

まえがき  井上章一
第一章 明智光秀と本能寺の変
第二章 イエズス会士が作り上げた光秀・ガラシャ像
第三章 美貌という幻想
第四章 ガラシャの知性と文化的遺産
あとがき  フレデリック・クレインス

 

まえがき  井上章一
第一章 明智光秀と本能寺の変     呉座勇一
第二章 イエズス会士が作り上げた光秀・ガラシャ像  フレデリック・クレインス
第三章 美貌という幻想        郭南燕
第四章 ガラシャの知性と文化的遺産  井上章一

第一章は光秀で、他はガラシャである!
あまりガラシャについては興味がない!

ヨーロッパでは、高山右近、ガラシャが有名のようだ!
高山右近の武将としての能力はいかほどのものなのか?
山崎の合戦では先鋒であるが………

ガラシャは美人なのか??
美人とはどういうものか??
ヨーロッパにも広がる………

 

第一章 明智光秀と本能寺の変
第一節 明智光秀とは何者か
細川ガラシャ 光秀の三女!
・天正16年 1578年 忠興と結婚する!
藤孝の居城は勝竜寺城!

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ここはガラシャで売っている!
ガラシャ通り???

光秀の半生、生まれや家のことは分からない??
・美濃源氏土岐家の美濃明智氏??? そうであっても傍流!
・父の名前 光綱、光隆、光国?? 何時から「光」が通字になったのか?
・出身地? 多いが何処なのか? こじつけ??
  恵那市明智町城山 落合砦
  可児市
以上根拠は薄いと???

その経歴は??
・確かな史料では越前からが確認できる!
・足利義輝時代から幕臣?
・近江田中城に配置される?
・妻は妻木氏の娘で、光秀も美濃出身?
・随分衆 そこそこの身分??
・細川藤孝の中間
・興福寺と東大寺の争いでは、伝統軽視? 織田以前の書状は無効扱い??
要はよく分からない???


第二節 野心家、明智光秀
義昭の上洛の協力の信長への使者となる!
・永楽11年 1568年 
義昭上洛、征夷大将軍に任官する!

・永禄12年 1569年
本圀寺を三好三人衆が襲撃!
光秀は本圀寺を守る!
藤孝との関係は??

・永禄13年 1570年 
五か条の条書を光秀、朝山日乗に出す! 義昭に対してである!
一. 将軍が御内書を諸国へ発する際には、まず信長に下命して書状を添えさせること
二. これまで出された将軍の御下知はすべて無効とし、御思案して定め直されること
三. 幕府に忠節した者に恩賞・褒美を与えるための土地がないときには、
信長の分国の中から提供するのでご下命くださること
四. 天下のことはいずれも信長に委任された以上、
誰であっても将軍の裁可を得るまでもく信長が意思どおりにおこなうのを認めること
五. 天下は御静謐となったのだから、朝廷のことはいつも怠りなくおこなうこと

信長は光秀の能力を買う!
・金ヶ崎の退口
・姉川の戦いには出陣していない!
・「志賀の陣」
・比叡山焼討ち 光秀は積極的だった??
・近江志賀郡を与えられる! 坂本!
・藤孝と立場が逆転している
・「フロイス 他所ものであり外来の身であるので快く思われなかった」
・無攻めを嫁がす! 荒木村重、織田信澄、細川忠興!
・佐久間信盛追放で「近畿管領、機内方面軍司令官」


第三節 本能寺の変の動機を再考する
最近は四国説が主流である!!
・四国申し次は光秀!
・北陸は勝家
・中国は秀吉
・関東は一益
・本願寺が片付いたら近畿方面軍が不要となり佐久間信盛が追放される!
・四国政策の転換で、四国は信孝、長秀になる!

最近よく見るが………
信長は急進的改革者だったか???
検地も徹底していない!
軍事面でも革新性に乏しい?
・兵農分離? 銭で雇う兵士??
・軍役の規定がない! 光秀は独自のものがある!
・どんぶり勘定である!!

黒幕説があるが………
・朝廷黒幕説
結論は、成り立たないと!
三職推任問題!
小和田哲男 非道阻止説!

織田家の選択肢!
① 将軍になる 下剋上を非難される!
② 関白、太政大臣への就任
③ 義尋の子息善尋の将軍擁立
④ 義昭との和解

黒幕説である!
だいたい後世から見て、光秀は単独では政権を保てない?
そこで黒幕説である!!
学者らしい主張か??

◇ 藤田達生 朝廷黒幕説!
「私は義昭を『黒幕』と言ったことはない!」
「光秀の謀反は義昭からの働きかけにより起こったとしか考えられない」
言葉のお遊びか???
「黒幕」 「扇動者」
あまり変わりは無さそうであるが………
藤田達生は黒幕と言っていないと???

◇ 足利義昭黒幕説!
毛利、長宗我部の同盟を画した??
どちらにもメリットがあるのか?
どちらも青息吐息ではないかと?
「鞆幕府」と言い、後付けに過ぎない???
と思いますが………

◇ 光秀の政権構想は?
無いと言うのが主流である!
があると言う意見もある! もっとも短期であるが………
① 三好政権
② 織田政権

が光秀の場合、機内は空白区である!
秀吉が思わぬ速さで引き返したので狂った??

◇ 秀吉黒幕説!
半人は最大の利益を受けたものだと!!
つまり秀吉だと!
藤孝経由で情報を得ている???

◇ イエズス会黒幕説!
立花京子、安部龍太郎?
安部龍太郎はキリシタンを重要視しているが………
日本を馬鹿にしている?
イエズス会に操られていると???
だいたい光秀と誰がどう打ち合わせしたのか?
著者が書いていたが、証拠がないと言えばそんな書類残しているはずがないと!
アホらしくなってくるが………

ここまである? 他には??
本願寺、堺、家康、毛利輝元、長宗我部元親………
だいたい誰がどうやって連絡したのか?
症状など見つかれば終わりである!
ユリウスカエサルでも暗号を用いた?
そう言う小説を書いているのは井沢元彦!!!

 

第二章 イエズス会士が作り上げた光秀・ガラシャ像
光秀、ガラシャがイエズス会によりヨーロッパにどう伝わったか?

第一節イエズス会士による日本についての報道
・1540年 イエズス会創設 反宗教改革である!
教育機関でエリート教育を行う!
プロテスタントから取り戻す!

・1541年 フランシスコ・ザビエル 布教のためにアジアへ出発!
・1594年 鹿児島に到着!
ザビエルの日本の報告書!!
戦争を好み邪悪な宗教に加担している!
しかし、生活は質素、勤勉で正直、善良で合理的だと!
布教に期待している!!
活動するイエズス会士お数は??
・1560年まで  10人
・1575年    55人
・1579年    82人
・1583年    200近い教会に、15万人以上の信者?

日本史のルイス・フロイスの経歴!
・1532年 リスボンで生まれる!
・1548年 イエズス会に入会 ゴアに派遣
・1554年 マラッカに派遣
・1557年 ゴアに戻る
・1563年 日本 佐世保に到着
・1587年 秀吉はパードレ追放令を出す!
・1595年 日本に戻り、2年後長崎で死ぬ!

フロイスはトップになれない!
文筆には長けているが………
どうも「日本史」もどこまで信じてもいいのか??


第二節 フロイスがみた明智光秀
・1581~82年 報告はバラ色か?
実際九州は信者を獲得しているが、機内は高槻だけである!
日本での布教は領主からだと?
領民も領主の許可が欲しいと!
信長には期待している?

のぶながの 裏切りや密会を好み、刑を処するに残酷で、独裁的でもあったが、
己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、
忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。友人たちには、
人を欺くためにの方法を体得し、学習したと吹聴していた。

フロイスの光秀の評価!
信長の治世の初期には、ある貴族に仕えていたが
勤勉さ、慎重さ、鋭敏さが高く評価されるようになった
彼は皆から嫌われ裏切りを好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、
人々をだます戦術に巧みであり、抜け目ない
気質は勇猛で、築城術に精通していた

この時期は、信長と子息、
高山友照・右近父子である!

動機は野望説を取っている!
だいたい二人きりの密室の話がなぜ漏れるのか?
【本能寺の変の実行を重臣5人かに打ち明けている!】
【いったん口にした以上必ず漏れると?】
【これも誰が漏らしたのか??】
こう言う話が多いのは事実である!!

光秀は仏教徒である!
イエズス会にすれば、その方が話が通る!

安土城には、オルガンティーノ神父がいる!
イエズス会は光秀が読めなかった?
それより期待は、信孝と右近である!
右近は敵は光秀だと!
イエズス会にとっては良い話である?

イエスズ会、フロイスは、右近の活躍を大げさに書く!
信長は比叡山焼討ちなどで評価は高い!
が、信長の成果は神の働きだと??
信長はこれを忘れている!!
・摠見寺  神になろうとした? 自己神格化?
そんなことはない!
主君を討った光秀をキリスト教の英雄、右近が討つ!
これがヨーロッパにも伝わるが………

本能寺の変で、信孝に期待するが秀吉に殺される!
高山右近が期待である!
秀吉がターゲットになる!
右近の影響で改宗した武将!
・黒田官兵衛 シメオン
・小西行長  アウグスティヌス
・蒲生氏郷  レオ………

・1587年  バテレン追放令
右近も追放!
イエスズ会士もほとんどキリシタン大名の保護を受ける!
潜伏する!!!


第三節 細川ガラシャへの期待
ガラシャである! 光秀の娘と言うことで高名である!
細川忠興は嫉妬深い?
これに関する逸話は多いが………
・気性が非常に荒く
・過剰に嫉妬深く 【ただし側室多い】
・銃者に対して厳格である
・ガラシャを人目に触れさせない? これは普通のことのようだ?

ガラシャは忠興の留守の時に教会に行く!
ガラシャの知性を褒める!
話し合で納得して洗礼を求める!
が、秀吉の側室かも知れないと、慎重になる!
つけさせて忠興の妻と分かり、積極的になる!
ガラシャから忠興、そして秀吉と説得できる??
追放された右近の後釜期待である??

ガラシャは洗礼を希望するが、イエスズ会が慎重である!
バテレン追放令もある!
教会へ隠れて行こうとしたが、無理である!
で、侍女の清原マリアに洗礼させる! 間接的である!
ガラシャはギリシャ神話の「カリス」である!
美と優雅を司る三美神の総称である!
ラテン語では「グラティア」
「運命から与えられる幸運・寵愛」
「神が無償の賜り物として与えてくれるもの」
「賜物」と「玉」をかけたと??

イエスズ会の忠興に対する期待は脆くも潰れる!
侍女は追放される!
ガラシャは忠興から逃れて九州に行こうとするが止められる!

ガラシャはヨーロッパでも知られる存在である!!
・1595年 忠興の弟、興元が洗礼を受ける!
同じく三男興秋も洗礼を受ける!
関白秀次事件が起こり、殉教しようとする??

関ケ原の合戦である!
小笠原少斎! ガラシャに縁がある!
司馬遼太郎である!!
・玉の輿入れ時迎えに行く!
・本能寺の変で幽閉された玉を迎えに行く!
・関ヶ原合戦でガラシャを主命で手にかける!

イエスズ会は自害とは考えずに家臣に殺害されたと!
オルガンティーノは信者に焼けた屋敷にガラシャの骨を探させる!

イエスズ会は忠興に期待するが………
忠興はガラシャを追悼する!
・豊前で布教を許可する
・ガラシャの追悼ミサを大阪、豊前で盛大に行う!
・が忠興は改宗しない!!

・1614年 家康によるキリシタン禁令
布教より殉教に関心が移る!!

ガラシャも殉教者になる! 物語である!!
殉教死をもっとも理想的な信仰の形とする!
ガラシャも「丹後の女王 ガラシャ」として利用する!
理想化されている!!!

 

第三章 美貌という幻想
第一節 歴史小説のガラシャ像
美人像??
映画ドラマで演じたのは?
・香川京子
・八千草薫
・池内淳子
・岸恵子
・村松英子
・島田陽子
・栗原小巻
・鈴木京香………
そうそうたる顔ぶれである!
特に栗原小巻が印象に残る!!

◇ 司馬良太路の「胡桃に酒」 細川ガラシャ 忠興 小笠原小斎
これはアップしているので流用する!!
細川家の嫁取奉行は、小笠原少斎!
関ヶ原の合戦時、自害出来ないガラシャを斬ったのも小笠原少斎!
何か因縁じみたところがある!

ガラシャに忠興の事を聞かれる!
「お心映えすずやかにして、なみはずれての武勇のもちぬしである!」
ただ、側近の中には「くるい者ではあるまいか?」

歌学にも通じている!
茶道にも天賦の理解力がある!
甲冑、陣羽織、太刀の造りも自分で工夫したと言う!
それも実戦向きである!

忠興の父、幽斎がガラシャを褒めた!
忠興は父とは言え、ガラシャの容色に関心を抱いたと思ったが、違った!
『学問がある』
実際に後年、ラテン語とポルトガル語が喋るようになったようだ!

2年後、ガラシャを迎えに来たのが、小笠原少斎!

秀吉が死に関ヶ原の合戦になる!
大阪で人質になる!
細川家ではそうはいかない!
忠興がやらせない!
小笠原小斎はすでに死は覚悟している!
最後は、屋敷の男女をことごとく落としたようだ。
嫡男の嫁と、忠興の叔母は、宇喜多家に逃がした!
嫡男の嫁は、戦後忠興に責められるが………
この辺りの指示の見事さは、流石光秀の娘と言う!

ここでも美しすぎると!!!

◇ 「三浦綾子 細川ガラシャ夫人」
三浦綾子はキリスト教徒である!
美貌??
光秀の妻は痘痕になり妹を代わりにしようとしたが断る!
玉がからかうが、光秀は叱る!
そして心配する!
高山右近が自分の美貌に興味を示さないのは??
キリスト教に興味を持つ!
「コンテンツク・ムンヂ」 テキストである!

本能寺の変後、幽閉するが家臣が言う!
「あの光輝くような美しさでは、いかに事を密かに運んでも、
 他に漏れぬとは限りません」

◇ 「南条範夫 日本よもやま歴史観」
◇ 「永井路子 朱なる十字架 日本夫婦げんか考」
どちらも美貌としている!
教育界、言語学でも美貌としている??
【美しいと言うことはどう言うことか??】


第二節 日本とヨーロッパ
実際に美人だったか??
クレオパトラも楊貴妃もギリシャ神話に出てくる女神ヘレネも、
見た人間は別の時代である!
文献に美人と書かれても信じられるのか??
証明にはならない!!
「玉」の最後を忠興に報告するように命じられている生き残りの侍女、霜女の証言がある!
小和田哲男が書いていたが、柴田勝家の最後は老女を証人にして見せている?
この証言は信じられると!

どうも知性と徳性はみんな褒める!
が美しいとは書かれていない?
オルガンティーノは侍女頭、ルイザは美しいと認めている!
要は記録を残している人間は並み以上の知性がある!
なので美貌より知性に驚いたのでは???
美しくあらねばならなかった??

自殺は背教者である!!
自害だがそうしてはならないと!
日本での使命を終えたイエスズ会は伝道上のヒロインを求めた!
ガラシャ美貌説は、そのようなものの産物に過ぎないと??

・1698年 「気丈な貴婦人  グラーチア 丹後王国の女王」
ウィーンの王宮で上演される!
史実ではないが、理想化されている??

【自分なりにまとめると】
・美人説は、後世がつくり上げたようだ??
・知性徳性を褒められている!
・自害かどうか?? 殉教の意志はあったようだ???


第三節 ひろがる美貌説
「ジャン・クラッセ 日本西教史」
・1612年 禁教令
これは日本がどうキリスト教に対応するかの教科書になる?
江戸時代はガラシャの名前は使っていない!
1920年以降に広まる??

◇ 「徳富蘇峰 近世日本国民史」
蘇峰は美貌説でである!
根拠は、宣教師の文書??

◇ 「芥川龍之介 糸女覚え書き」
大して美しくない? パロディである??

ここまで読むと、どうでもよくなる感じであるが………

 

第四章 ガラシャの知性と文化的遺産
第二章で美貌説は打ち砕かれている!
ガラシャと言う洗礼名はガラシャが選んだ??
それを検証する!!!


第一節 修道士高井コスメの賛辞
ガラシャと会っているのは、グレオゴリオ・デ・セスペデス神父と、
修道士高井コスメの二人!
高井コスメは4時間前後話し合う!
感想は???
・宗教にこれほど深い知識持っている人にあったことにある!
・仝上
・過去18年でこれほど明晰な日本の女性と話したことはない

高井コスメは??
・1552年生まれ ガラシャの11歳年上
・1573年 イエズス会に迎えられる、織田信長を訪問!
・越前、高槻、大阪に居住
・1592年 天草で

説教で相当数の信者を獲得した?


第二節 ガラシャの奇策
ガラシャは即洗礼を希望する!
が教会側が危険と判断する!

ガラシャと言う洗礼名は、他に3人いるようだ!
・天草の領主の夫人
・豊後 大友宗麟の身分の高い貴人
・肥後

ガラシャは清原マリアによって洗礼を授けられた!
ガラシャとは、「めぐみ、いつくしみ」

「がらさ」
毎日50回祈っている!
ガラシャは「がらさ」の意味「めぐみ、いつくしみ」が刻まれた!!


第三節 ガラシャが学んだ教えとは
ガラシャの教科書は「コンテムツスムンヂ」
これを読み(ローマ字?)疑問点を質問する!
当然書状であるが………
ガラシャは翻刻する!
ローマ字から漢字、ひらがなである!
日本においては、救世主の画像が重要だったようだ?

不干斎ハビアン?
背教者??  棄教する!!
「妙低問答」 調べてみた!
自由に南蛮寺に出入りできない女性知識人を対象として、
妙貞と幽貞なる2人の尼僧の問答形式で、仏教・儒教・神道(しんとう)を論破し、
キリシタンの教義を説く!
遺族女性が読者である!
ガラシャのような………
ガラシャは、父光秀に対する「良心の呵責」
ガラシャがキリスト教から得られたのは、自分の罪を許し、
良心の呵責を和らげてくれるイエス・キリストの存在であり、
その存在への全面的な信頼であると!
それは、仏教、神道、儒教からは得られないものだったと!

 

あとがき  フレデリック・クレインス
・1988年 勝竜寺城の発掘調査
・1992年 「勝竜寺城公園」としてよみがえる!
・2020年 29回の「長岡京ガラシャ祭り」

・2018年 シンポジウム
「細川ガラシャの美しさ  誰が彼女を美しく描き出したのか」
この本が回答か??

解説で大分議論されたようだ??
何となく、美貌であるが、普通以上の美しさでは無いかと?
マフィーの法則!!
知性プラス美貌=一定!!
そんな事は無いか???

その議論から本書が生まれたようだ!!!

 


明智光秀と細川ガラシャ―戦国を生きた父娘の虚像と実像・井上章一・呉座勇一・フレデリック・クレインス・郭南燕

2023年9月28日 (木)

本・信長を操り、見限った男 光秀 史上もっともミステリアスな武将の正体 ②(2019/9)・乃至政彦

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第九章 天下布武の印判の真意
第十章 義昭と信長の上洛
第十一章  三者協議でつくられた五か条の条書
第十二章  延暦寺焼き討ちと将軍義昭の挙兵
第十三章  明智から惟任への改氏
第十四章  丹羽平定と御馬揃え・家中軍法
第十五章  信長への失望と本能寺の変
終  章 山崎合戦と惟任滅亡
脚注
おわりに

 

第九章 天下布武の印判の真意
著者は信長の傾奇者らしい信長独特の造語センスを言う!!
著者の分析!
細川政権→三好政権→織田政権を想定していない!
美濃、尾張、北伊勢を支配し、それを守るために介入した!

当時は、公家、寺家、武家の内、
武家が天下の権を握る???

天下とは五機内と言う狭い地域を示す!
天下とは日本を示す??
信長の意識が何処にあったのか??
「布武」は日本では使われていない?
中国古典「礼記」 「堂下布武」
要は信長の造語だと?
戦国武将は教養は無いものの方が多い!
が禅僧など僧が教育係で耳から実戦体験と合わせて理解する!
信長は、「かっこいい」と言うセンスで使った??
別に天下を狙えない武将も「天下」という言葉を使う例もある??

 

第十章 義昭と信長の上洛
・永禄11年 1568年 信長は上洛する!
足利義昭は征夷大将軍に任じられる!
信長は畿内の秩序回復を行い、引き上げる!
政権を再編する!
信長の手は加わっていない!
この時、14代将軍義栄が死ぬ!
新将軍は直属の兵を持たない!
で信長が兵を置く!
「五千計」???
5000と言えば相当数である!
光秀も京に置かれる!!
信長は美濃・尾張の関所を廃する!

・永禄11年 1568年 殿中御掟9か条、追加7か条
その一つである!!
門跡や僧侶、比叡山延暦寺の僧兵、医師、陰陽師をみだりに殿中に入れないこと
御足軽と猿楽師は呼ばれれば入ってもよい!
御足軽、非正規な立場で、曖昧な存在であると!

・永禄12年 1569年 本能寺の変
三好三人衆らが本国寺の義昭を攻撃する!
織田方には光秀も参加している!
この時、信長は死ぬ気で駆け付けた?

フロイスは岐阜に行っている!
・二条御所の改築を70日で仕上げる
・伊勢を攻め落とす
本人のその意識はなくとも、政権が見える!!
光秀は幕府と織田の両方に属している!
藤孝の部下とされている??
義昭、藤孝、信長と繋がっている!!

 

第十一章 三者協議でつくられた五か条の条書
永禄末年までの光秀は??
・藤孝の中間
・義昭の御足軽
・信長の在京武官

・永禄12年 1569年 長男誕生  玉より6歳年少!
14歳で父と同日に病死!  光慶!
【逸話をほとんど聞かない】

この時期、信長伊勢を攻め、上洛し、帰国する!
機内に干渉しないようにしている??

フロイスは信長に布教を認められている!
これを良く思わない、日蓮宗・朝山日乗と対立!
讒言する??
和田惟政が信長に干される!!
復権するが、幕臣は怯える!

・永禄13年 1570年 
五か条の条書を光秀、朝山日乗に出す!
一. 将軍が御内書を諸国へ発する際には、まず信長に下命して書状を添えさせること
二. これまで出された将軍の御下知はすべて無効とし、御思案して定め直されること
三. 幕府に忠節した者に恩賞・褒美を与えるための土地がないときには、
信長の分国の中から提供するのでご下命くださること
四. 天下のことはいずれも信長に委任された以上、
誰であっても将軍の裁可を得るまでもく信長が意思どおりにおこなうのを認めること
五. 天下は御静謐となったのだから、朝廷のことはいつも怠りなくおこなうこと

両者は信長家臣と並んで働く??
「金ヶ崎の退き口」
信長の朝倉攻めである! 
浅井長政の裏切りがある!
信長は一人で逃げ出す???
秀吉、光秀、池田勝正、家康らが殿か???
光秀の隊長デビューか??? 43歳である???

 

第十二章 延暦寺焼き討ちと将軍義昭の挙兵
・永禄13年 1570年 改元! 元亀に変わる!
・仝  姉川の合戦
・仝  比叡山延暦寺焼討ち!
強く諫めたと??
そう言う記録は無いと言う?

この1年前の「滋賀の陣」 「志賀の陣」??
三好三人衆が挙兵!
延暦寺に敵になるなと言うが、無視される!
どうも延暦寺のええ下限さに怒った!
これの恨みがある!!
【信長は恨みを忘れない??】

仏教は五戒がある!!
・不殺生
・不邪淫
・不偸盗
・不妄語
・不飲酒
全然守っていない!!!!!
信長は3,000人殺す!!
【仏敵か???】

滋賀郡の統治を任される?
幕臣の中間から一郡域の支配を預かる!
坂本城を築城する!
光秀は築城の能力があったようだ!!
ここで統治し、比叡山と幕府と揉める???
信長と義昭が対立する!!

・元亀4年 1573年 
本願寺、朝倉、浅井と信玄西上の義昭が呼応した??
信長は妥協しようとするが、義昭が応じない!!
光秀は義昭挙兵に呼応した幕臣を討ち取る!
この時期、信長は光秀に救われる???
ただ信玄は西上時、病死する!!
義昭は再度挙兵する!!
信長に人質を取られて京を追われる!!
信長は慎重に事を運ぶ………

・元亀元年 改元、 天正である!
各個撃破である!
・朝倉義景
・浅井長政
・三好義継
残るは本願寺と武田!!
義昭は毛利を頼る(えらい迷惑である)

安国寺恵瓊が動いている!!
「信長之代、五年、三年は持たるべく候 明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候 
左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候 藤吉郎さりとてはの者にて候」
織田信長の転落と、羽柴秀吉の躍進を予想していると!
恵瓊の慧眼を示す逸話としてよく引き合いに出される!
【司馬遼太郎 もはや神に近いと褒め過ぎる!】

安国寺恵瓊は、義昭不在のてんかがどうなるか見立てた!
3、5年で帰洛しなければ、信長の代行政権は長続きしない!
秀吉は将軍がいない天下も仕方がないと………

信長は将軍を失う!!
権威のために蘭奢待の切り取りを申請する!
かって土岐頼芸がやった事と同じである!

長篠の戦を宣伝しまくり、
上杉、毛利も反織田に転じる!
越前府中で一向一揆を皆殺しにする!
「欲のため、仁・義・礼・智・信を忘れたる大将」

光秀は信長に称賛される! 戦況報告である!
「内容が具体的で、目の前で見ているようだ」
光秀の娘の縁談が決まる!
・信澄 
・忠興 

 

第十三章 明智から惟任への改氏
・天正3年 1575年 
光秀は日向守と惟任の姓を貰う!
惟任の姓は、誰も使っていない??
戦国時代は家臣の改氏が行われる!
かっての名門とかの苗字を与える!
信長は変わっている???
子供の名前である!
「奇妙丸」「茶筅丸」「大洞」「小洞」
これはセンスがある????

「惟任」の前は「維任」と署名している!
信長は九州制圧を考えている!
・塙直正  「原田」
・簗田広正 「戸次」と似通う「別喜」
・丹羽長秀 「惟住」

著者の意見?
・織田大名としてのポーズをとる??
・実績のない受領地を選んで重臣の官途とする!
・九州旧族風の名前を与える
・九州なら接点がない!

ここまで来ると推理小説風である??
・惟住  コレズミはイズミと読ませる!
・惟任  コレトウはイトウと読ませる!
日向は伊東氏である!
イトウ日向守ではあからさまである?
で光秀は惟任とした??
ただ「信長公記」太田牛一は「維任」で通している!
写本は間違いと思い、「惟任」である??
光秀は明智の苗字にこだわっていない??
信長のセンスと趣味がそう名乗らせた???

 

第十四章 丹羽平定と御馬揃え・家中軍法
・天正3年 1575年 丹波平定!
が裏切られる!
・天正5年 1577年 再攻略
・天正7年 1579年 波多野兄弟降伏
・天正8年 1580年 
「丹波国 日向守働、天下之面目をほとほし候」
丹波を光秀に、丹後を藤孝に与える!
亀山城を本城に、黒井城を斎藤利三に、福知山城を明智秀満を!!

安土城築城は??
・天正4年 1576年 摂津天王寺合戦!
足軽に交じって負傷する?

信長の用兵思想!!
少数精鋭と大動員の組み合わせにある?
その軍隊に原理原則は無い???
志ある者がしかるべき人数を連れて集い、大将の意向に従って、
結果を出せば褒賞する??

何の軍略も無いと言っている???
軍事的センスは無いと言っている!!
謙信や信玄は集団戦へ移す軍制になっている!

・天正9年 1581年 正月!
安土城の左義長を取り仕切っていた!!
これが信長に気に入られる!
そこで天覧御馬揃えの惣奉行に命じられる!
これを大成功させる!

「明智光秀家中軍法」を創成する!
これは調べてみた! 全文である!!
一 武者は陣地において、役者以外は大きな声を出したり雑談してはいけない
戦が始まった場面での軍勢配置や鯨波(敵を大声で威嚇すること)は下知に従うこと
二 先鋒部隊が指図する場合は、旗本侍の到着の後下知に従うこと
ただし先鋒部隊のみで行動を決定する場合は事前に申し聞いておくこと。
三 各々の部隊はそれぞれ足並みをそろえ、前後の部隊とも連絡を取り合うこと
鉄砲・槍・指物・のぼり・甲立・雑卒については、置き所を法度の定めている通りにすること
四 軍が進む際、馬乗りが遅れてしまうようでは、たとえ突然の戦であっても役に立たない
このような場合は領地を没収し、時によっては成敗する
五 旗本・先鋒と陣立てをするからには、足軽が敵と衝突し戦闘になる場合もあるが、
それでも下知を守ること
もし乱れたことをするものがいれば、身分に関係なく処罰する
また激しい戦闘地点の使者に対しては、どんな場合でも命令に従うこと
たとえ手柄を立てたとしても「法度」に背いた罪は回避できない
六 軍事行動や陣替の時、「陣取」として抜け駆けに士卒を遣わすことは禁止する
ただし、かねてから仔細を命じていた場合は、その到着を待つこと
七 兵士の食料の重量については、京都法度之器物(京都で作られた升)で三斗とする
ただし、遠方へ向かう場合は二斗五升とし、食料は一日八合ずつを領主から支給する
八 軍役の人数は百石について六人とする。百石未満の場合もこれに順ずる
九 百石から百五十石のうちは、甲をかぶった者一人・馬一頭・指物一本・槍一本を出す
十 百五十石から二百石のうちは、甲をかぶった者一人・馬一頭・指物一本・槍二本を出す
十一 二百石から三百石のうちは、甲をかぶった者一人・馬一頭・指物二本・槍二本を出す
十二 三百石から四百石のうちは、甲をかぶった者一人・馬一頭・指物三本・槍三本・幟一本・鉄砲一丁を出す
十三 四百石から五百石のうちは、甲をかぶった者一人・馬一頭・指物四本・槍四本・幟一本・鉄砲一丁を出す
十四 五百石から六百石のうちは、甲をかぶった者二人・馬二頭・指物五本・槍五本・幟一本・鉄砲二丁を出す
十五 六百石から七百石のうちは、甲をかぶった者二人・馬二頭・指物六本・槍六本・幟一本・鉄砲三丁を出す
十六 七百石から八百石のうちは、甲をかぶった者三人・馬三頭・指物七本・槍七本・幟一本・鉄砲三丁を出す
十七 八百石から九百石のうちは、甲をかぶった者四人・馬四頭・指物八本・槍八本・幟一本・鉄砲四丁を出す
十八 千石は、甲をかぶった者四人・馬五頭・指物十本・槍十本・幟二本・鉄砲五丁を出す。馬乗一人の着到は二人分になぞらえる

一から七条までが軍規、八から十八条までが軍役!
織田家としては画期的である?

信玄は言う!
「改善点があれば何でも指摘せよ」
「わが子孫だけでなく誰だろうとも、日本の中において、
迷うことなく数万の兵を率いて戦争を行えるよう、
信玄の軍法をこうして定めるものである!」

安土城は信長にしか似合わない!
・天正9年 1581年 御馬揃を行う!
これは、若公(義昭長男)に見せるためだと!
周囲の同意を得て足利将軍家を再興する???
問題は多い!
第一 足利将軍に人気が無い
第二 若公を預かっているのに、信長討伐を諦めない

信長は「摠見寺」を建立!
神として信長を拝め?
「死すべき人間にあらず、神の如く不滅のものなるが如く尊崇されんことを希望」

毛利を下し、義昭を引き取り若公へ家督を移譲させる!
毛利降伏後の総仕上げの準備は出来ていたと??
【本当かいなと???】

 

第十五章 信長への失望と本能寺の変
日本三大どうでもいい事件! 本郷和人が書いていた………
・本能寺の変
・坂本龍馬暗殺
・下山総裁暗殺

要は黒幕説から脱せよと!!
どう言う状況か???
・三職推任  受ければ若公将軍就任が出来ない!

信長はある密室において明智と語っていたが、
逆上し易く、反対意見を言われると堪えられない性質で、明智を足蹴にした
二人だけの間での出来事だったので、後々まで民衆の噂に残ることはなかった??
【ではなぜフロイスに伝わったのか??】

・これは事実だと?
・斎藤利三、那波直治の引き抜き
・四国問題
この問題に謎は無いと??
第一 信長に不満があった
第二 容易に殺害できる場所にいる
第三 決起後の武略を主導する立場にあった

要は光秀なりの成算があったと!
光秀は信長を「悪逆」と言うが意味は無さそう!
単に「敵」と言うこと??

「ときは今 あめが下しる 五月哉」
これに意味があるのか??
【分からない暗号で決起声明を出すかと?】

光秀にとっての武略は?
「仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略という!
これをみれば、土地百姓は可愛いことなり」
要は勝つことが全てだと!!

「本能寺の変」後に藤孝宛ての書状!
一 「元結を切ったことは仕方がない、考えてみれば仕方がない」
二 「摂津を分け与えますので待って行なす 但馬・若狭を望むなら仕方がない」
三 「自分の行為は忠興などを取り立てるためで、50日~100日の内に近国も落ち着くでしょう
その後は我が子光慶と忠興殿に政権を引き渡し、口出ししない」

何がやりたかったのか??
分からない…………
結局各個撃破どころかみんなの的になる??
秀吉が動けなかったら、光秀VS勝家である!
これも面白いIFであるが………

 

終  章 山崎合戦と惟任滅亡
家臣に家康は?
・家康   堺から三河へ!
・北畠信雄 伊勢より
・神戸信孝 摂津より 丹羽長秀!
・秀吉   即座に動く
・勝家   鈍い
・一益   関東で負ける

山崎の合戦で、負ける!!
先手衆は1万数千で同数??

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要は秀吉側の先手が光秀側になっていたかも?
・高山右近
・中川清秀
・池田恒興
そうなれば面白かった!!

光秀の最後は小栗栖???
どうもそうではなさそうである!!

 

脚注
メチャメチャ多い………


惟任光秀年表
1528年 享禄元年 1歳 美濃で生まれる
1547年 天文16年  20歳 美濃の土岐頼充に仕える
1556年 弘治2年 29歳 越前に移る
1560年 永禄3年 36歳 桶狭間の合戦
1563年 永禄6年 36歳 玉子(のちのガラシャ)が誕生
1565年 永禄8年 38歳 「永禄の政変」第13代将軍 足利義輝を暗殺
1568年 永禄11年 41歳 織田信長が足利義昭を立てて上洛
1569年 永禄12年  42歳 長男・明智十五郎(光慶)が誕生
1570年 元亀元年 43歳 比叡山 延暦寺焼討ち
1573年 元亀4年 46歳 義昭挙兵
1574年 天正2年 47歳 多聞城の留守番としtw派遣される
1575年 天正3年 48歳 長篠の戦い」 惟任に改名
1579年 天正7年 52歳 丹波八上城で皆殺し
1580年 天正8年 53歳 丹波一国を与えられる
1581年 天正9年) 54歳 京都天覧御馬揃の運営を仕切る
1582年 天正10年 55歳 本能寺にて織田信長を自害させる
「山崎の戦い」で、明智光秀敗死!

 

おわりに
読者の事を考えて書いたと!!
大河ドラマに便乗するのではなく、勝負する気で書いたと!!

 


信長を操り、見限った男 光秀 史上もっともミステリアスな武将の正体 ② ・乃至政彦

 

2023年9月26日 (火)

本・信長を操り、見限った男 光秀 史上もっともミステリアスな武将の正体 ①(2019/9)・乃至政彦

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生年月日や出自は諸説あり、信長に仕えるまでの前歴も不明………
本能寺の変の動機も闇の中………
だが、真偽入り混じる史料を一から精査しなおし、大胆にして繊細に推理を深化させることで、
光秀と信長の、あまりに意外な人間像が見えてきた!
謎に満ちた二人の関係を、エキサイティングに解明!


定説はどうなのか??
怨恨説、野望説、黒幕説………
要は光秀の考えだと!!
よくこれだけの史料を読めるものだと!
光秀に三成、吉継、氏郷は好きである!!
著者の本も何冊か読んでいるし、紹介もしている!
「仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略という!
これをみれば、土地百姓は可愛いことなり」
これが光秀の言葉と知った時は、唖然とした!!
内容は下記の通りである!! ① ②と分けて紹介する!!

 


まえがき  光秀と信長の、あまりに意外な人間関係とは
序 章 日の出の信長、燻る光秀
第一章 光秀の生年の謎
第二章 光秀が見た下剋上の美濃
第三章 光秀の出自を探る
第四章 越前での牢人生活
第五章 細川藤孝の幕府再興運動
第六章 「将軍の足軽衆」の実相
第七章 明智光秀の顔貌
第八章 岐阜への改称と信長の志


第九章 天下布武の印判の真意
第十章 義昭と信長の上洛
第十一章  三者協議でつくられた五か条の条書
第十二章  延暦寺焼き討ちと将軍義昭の挙兵
第十三章  明智から惟任への改氏
第十四章  丹羽平定と御馬揃え・家中軍法
第十五章  信長への失望と本能寺の変
終  章 山崎合戦と惟任滅亡
脚注
おわりに

 

まえがき  光秀と信長の、あまりに意外な人間関係とは
生年月日、出自も確かなことは分からない!
謎に満ちた戦国武将である!
本能寺の変も、怨恨説、野望説、黒幕説、選り取り見取りか???

光秀は3度、信長を操った………
➀ 信長は将軍擁立と打倒三好の道に引きずり込んだ
② 義昭を見限る一員をつくった
③ 明智を惟任に改名させた

信長の天下構想は??
それがどう言う意味を持つ???

 

序 章 日の出の信長、燻る光秀
・永禄二年 1559年 80人で上洛する!
この時、美濃の斎藤義龍が刺客を放つ!
長尾景虎も5,000人で上洛する!

この時光秀は越前にいる?
まともな俸禄もなく厳しい生活をおくっていた??
細川藤孝に仕えて信長のところに移る?

・ 永禄3年 1560年 桶狭間の合戦
・ 永禄7年 1564年 三好長慶死亡
・ 永禄8年 1565年 「永禄の政変」第13代将軍 足利義輝を暗殺される
足利義昭は信長を動かそうとする?
信長は積極的だと!!!

 

第一章 光秀の生年の謎
要は分からない??
明智の出ではないかも???
もし明智でも傍流である??

没年は??
・55歳
・67歳
一回り違っている!
・52歳説もある?
・43歳説??
67歳とでは34歳、三回り近く違う???
そもそも月経記録から推測である??

妻木氏光秀の正室とする?
姉妹だと言う説もあるようだが………
生まれた年も分からないのに、月日が分かるのか?
本書は、享禄元年 1528年とする!

光秀出生地は?
・ 恵那市明智町城山 落合砦
・ 可児市瀬田長山明智城
言ったもん勝ちか??
例えば本人が言ったとしても、誰かから聞いているはず??
実父も分からないの生誕地が分かるのか??
明智の名前がある??? それだけか??

例えば宮本武蔵である!
・播磨生誕説 兵庫県高砂市米田町 実家に近いのでこれと思いたい!!
・美作 岡山県東部 宮本村
・兵庫県揖保郡太子町宮本

黒田官兵衛は?
・近江木之本
・播磨西脇
ここは「軍師官兵衛」の時に行ったが、熱意が違った!
展示場では、ボランティアまで熱意があり、お茶まで出してくれた!!

・享禄元年 1528年
足利義晴の時代!
将軍が京から落ち延びている時代である!!
下剋上???

 

第二章 光秀が見た下剋上の美濃
土岐頼芸 戦国時代の美濃国の守護大名 土岐政房の次男!
土岐氏当主で兄の頼武及びその子・二郎頼充(頼純)と嫡流とが争う!
美濃国とその周辺国を巻き込んだ争乱の末、土岐氏当主、美濃守護となる!
が、後に重臣の斎藤道三に追放される!!

・永正14年 1517年 土岐政房は次男を後継者に指名!
ここで当然揉めて、政房・頼芸は負けて、頼芸は尾張へ亡命!
翌年、頼芸は兵を集めて戻ってくる!

・永世16年 1519年 朝倉が頼武の応援に付く!
これを繰り返す………

・大永5年 1525年 
頼武は「長井一族」に敗退する!
頼芸は「太守」として認められている!
しかし家督は二郎頼充が継いでいる?
頼芸は守護になるのが遅れる!
斎藤利政(道三)を重要視する!
親子二代の国盗りである!

・天文10年 1541年 道三は頼芸の弟を毒殺している!
某光秀が元服したころだと………

・天文12年 1543年 道三は頼充と争い越前に退かせる!
・天文16年 1547年 信秀の支援で返り咲こうとするが敗退!
頼充は道三の娘を娶る!
その後死亡! 毒殺と言われる!
・天文19年 1550年 頼芸は美濃を追われる!!
道三は残忍で有名である??

・天文23年 1554年 義龍に家督を譲る!
・弘治元年  1555年 義龍は兄弟を殺す!
・弘治2年  1555年 長良川合戦 道三敗死! 信長が動く!
道三は、信長に美濃の譲り状を渡している!

・永禄4年 1561年 義龍は一色に改名する! 33歳で急死!

光秀はどちらに付いたか分からない!
勝てば正義だと!!

妻木氏??
母に、年の近い姉妹が妻木氏?
光秀はフロイスに書かれる!
「裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、
戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった
また築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主で、選り抜かれた熟練の士を使いこなしていた」

道三を見ていると!! 道三そのものである??

「彼は誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、
その親愛の情を得るためには彼を喜ばせることは万時につけて調べているほどであり、
彼の嗜好や希望に関しては、いささかもこれに逆らうことがないように心掛け、
彼の働きぶりに同情する信長の前や、一部の者がその奉仕に不熱心であるのを目撃して、
自らはそうでないと装う必要がある場合などは涙を流し、
それは本心からの涙に見えるほどであった。
また友人たちの間にあっては、彼は人を欺くために72の方法を深く体得し、
かつ学習したと吹聴していたが、ついにはこのような術策と表面だけの繕いにより、
あまり謀略には精通していない信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい、
信長は彼を丹波、丹後二カ国の国主に取り立て、
信長がすでに破壊した比叡山の延暦寺の全収入とともに彼に与えるに至った」

相当なやり手である!
ただものではない!!
尾張には濃姫が嫁いでいるが頼れない?
近江には頼芸がいるので頼れない!
要は越前ぐらいしか無かった?
身分は「賤しき歩卒」???

 

第三章 光秀の出自を探る
著者のこだわりか??
・帰蝶とは書かない!!・
・義龍は道三の子でなく、頼芸の子??
【では土岐家を大事にしたのか?】

その出自は?
分からない??
土岐一族でも傍流の傍流か???
進士氏族?
道三亡き後、濃姫を頼っていない?

著者の推測は光秀の最初の主君は土岐頼充?
なぜ越前へ行き、収入も安定していなかった!
朝夕の飲食にすら困っていた??
「随分衆」???
光秀に土岐氏族の自覚は無かった!

妻木広忠! 光秀の伯父??
著者の推論?
・父 明智下野守
・母 妻木氏出身
妻木氏は「桔梗紋」
光秀は明智の一族であるが、敵流ではない!
謀反人と言うことで、伝説になった??

信長の家来は素性不明のものが多い!
越前で足利義秋と細川藤孝が流れ着き、信長との仲介役を申し出る??

 

第四章 越前での牢人生活
越前の光秀の特徴は?
・鉄砲の技術??
・「兵書」に詳しい
・戦国屈指の兵学者
・一向宗と戦う
・仕官したのか? 陪臣か?
・称念寺の門前に10年居住した!
【明智神社もある】

光秀の正室は??
近江の田中氏????
名前は熙子???
・永禄6年 1563年 長女玉が生まれる! 36歳である!
【光秀の三女ではないのか??】


第五章 細川藤孝の幕府再興運動
・嘉吉元年 1441年 嘉吉の乱
将軍義教を、赤松満祐が殺す!
光秀みたいな奴か??
この乱は全くの私怨、行き当たりばったりで、単に恐怖で将軍を殺したかった!

・永禄8年 1565年 永禄の変
将軍義輝暗殺!
・旧説では、松永弾正と三好三人衆??
・そうではないと? 三好義重、三好長逸、松永久道と言う!
これは松永弾正は関係なさそうである??
【この話は?? 信長は家康に対して、松永久秀が、世の中の人が成しがたいことを3つ成したと】
【1つ目は「将軍・足利義輝の殺害」、2つ目は「主君・三好義興の殺害」、3つ目は「東大寺大仏殿を焼き討ち」】

日本のクーデターは、後のことを考えていたのか?
後鳥羽上皇は??

三好政権はあったのか?
自らから政権を志向したわけではなさそうである!

織田信長は本能寺の変で暗殺され、織田政権は崩壊する!
が足利将軍が殺されても幕府は存続している!
その後は畿内の小競り合いか??
細川藤孝は、義輝の弟義秋を寺から連れ出す!
6歳から30歳まで僧である!!
いきなり武家の棟梁である!
藤孝は信長にも接触する?
この頃より、「麒麟の麒」を形どった花押を用いる!
が第一次上洛作戦は失敗する!
一色と織田の紛争である!!

光秀は藤孝でなく、別の奉公衆と出会っている!
近江高島郡の田中城で籠城している!
・越前で浪人し、田中城城主に気に入られて娘を娶る!
・幕府奉行衆沼田清信の目に留まり、医学を教える!
・当時は光秀は無名である!!

 

第六章 「将軍の足軽衆」の実相
藤孝の中間となる!!
・永禄10年 1567年 義秋は義昭と改名する!!
信長を頼る!
隠密裏にことを運ぶため、光秀が用いられる?
信長にどうやら信用される??

光秀の主君は???
・土岐頼充
・斎藤道三
・黒坂景久
・細川藤孝
・織田信長
足利義輝、土岐頼芸、朝倉義景には正式に直属した形跡はない!

 

第七章 明智光秀の顔貌
臨済宗 本徳寺所蔵!

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確かに光秀という証拠は無いようだ!!
戒名「輝雲道琇禅定門」
「輝」光、「琇」が秀で、光秀だと!!
しかしこれが光秀とは??

木製の座像もある! 慈眼寺!

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こちらは位牌もある!
「主一院殿前日州明叟玄智大居士」
日向守、明智が入っている!!

家康の「しかみ像」も家康ではない??
源頼朝、足利尊氏、武田信玄………
【夢が無くなるが………】

 

第八章 岐阜への改称と信長の志
信長がやったとされることは?
・兵農分離
・楽市楽座
・鉄砲の三段撃ち
・まったく新しい政体をつくる………

美濃併合で稲葉山城を居城とする!
沢彦宗恩が提案する!
・岐山 周の文王が首都とする
・岐陽
・岐阜

同時に「天下布武」の印判を使う!
信長のまわりには禅宗の高僧がいたようだ!
この時期天下が傾いていた?
信長には「天下を治める」意気込みはあった??
あくまで意気込みであるが………

 


信長を操り、見限った男 光秀 史上もっともミステリアスな武将の正体 ①・乃至政

 

2023年9月25日 (月)

本・明智光秀と斎藤利三 本能寺の変の鍵を握る二人の武将(2020/3)・桐野作人

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2020年のNHK大河ドラマは、明智光秀の生涯を描く『麒麟がくる』
新史料から明らかになった、「本能寺の変」438年目の真実???
政変の決断はわずか3日前だった! キーマンは明智家中にいた!
明智光秀による「本能寺の変」の仕掛け人は、斎藤利三だった??

明智光秀家の家老であり、「本能寺の変」の仕掛人と推定される斎藤利三!
学説の最近のトレンドは「本能寺の変の原因は四国問題にあった」というもので、
四国政策(対長曾我部対策)の転換において、斎藤利三の関与が重視されている!
明智光秀や「本能寺の変」に対するイメージがガラッと変わる???


推理小説みたいなものである???
著者の本もよく読んでいる!
小説では
『反・太閤記 光秀覇王伝』
『織田武神伝』
かなり濃い作品は??
『だれが信長を殺したのか』
『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』
『真説 本能寺』
その他も読んでいるが………
テレビ出演も多い!

最近話題の四国問題と斎藤利三つである!
子孫と言う人間のように押し付けるのではない!
こうではないかと言う!
史料を読み解き、たいがい矛盾点があるが想定する!
そんなにきっちろ記録されるのか?
人から聞いた話に、風説もある!
結局は分からない………
内容は下記の通りである!!

 

はじめに  織田政権ナンバー2としての光秀
序 章 光秀の前史―知られざる雌伏の前半生
第一章 光秀、ナンバー2に上りつめる―畿内方面軍の形成
第二章 斎藤利三とは何者か
第三章 信長、四国政策を急転換す
第四章 光秀謀叛―その真相を考える
終 章 光秀と利三の最期
おわりに  光秀と京との関係
おもな参考文献

 

はじめに  織田政権ナンバー2としての光秀
15年間の付き合いで破局を迎えた!!
外様新参者がここまで来た………
原因は何か分からない?
本書は、四国問題と、利三に注目している!
信長から自害を命じられてかろうじて免れる!

著者もよくこれだけの史料に、文書など読んでいると!!
信長の方面軍!
・柴田勝家  織田家武闘派の巣窟
・佐久間信盛 追放
・羽柴秀吉
・滝川一益
・明智光秀  長浜、丹波と京の東西を抑えている!
また教養がある??
「天下人」とは?
光秀は、なり替わりうる立場にいたと???

 

序 章 光秀の前史 知られざる雌伏の前半生
◇ 出生に関しては分からない?
美濃土岐家? 土岐」明智家?
史料も違うようだ?
史料と言っても戸籍謄本があるわけではない!
自分が喋ったのか?
はったりもある??
傍流か、身分は低かったようだ!!

◇ 越前に10年間暮らした!
美濃の土岐一族で浪人して朝倉義景に仕える!
これは確実だと!!
福井県福井市 光秀屋敷跡に「明智神社」がある!
小さな祠である!

◇ 足利義昭が三好三人衆に追われ、越前に逃れた時、義昭に仕える??
と推測される?
光秀は医学に通じていた!
田中城? 二つあるがどちらか??

この時期はよく分からない!
・義昭とのつながり
・信長との関係
・三好三人衆
・六角承禎
・浅井と六角の抗争

約束の不履行、裏切りなんでもござれか?
読んでも分からない???

◇ 没年齢は??
・55歳 明智軍記
・57歳 綿考輯録
・63歳 織田軍記
・67歳 当代記
どうも、55歳に57歳説の方が当てはまりそうだと!
長男十五郎光慶が13歳だった?
それから考えても50代ではないかと!!
確実なことは分からないが、納得出来る??
【思うに光秀も何年生まれか分かっていなかった?】

◇ 光秀はなぜ急激に出世できたのか
・永禄11年 1568年 信長が義昭を越前から美濃に迎え入れている!
この時であった可能性が高い!
信長の妻と縁がある??
帰蝶と親戚だと???
著者の推測は??
・新参ながら柴田勝家らと並ぶ!
・三好三人衆撃退に奮戦する
・下級ながら幕臣で身分が高い
・義昭と信長を結びつける役目を果たしたから?

 

第一章 光秀、ナンバー2に上りつめる 畿内方面軍の形成
◇ 義昭から離脱、信長の家臣となる
光秀は、義昭と信長の両方に仕える!
・永禄12年 1569年には信長の家臣になっている!

光秀は武将としての才能もある!
・元亀2年 1571年 比叡山焼討ち、義昭から離脱を図る

◇ ルイス・フロイスの光秀評がある!
その才略、思慮、狡猾さにより、信長の寵愛を受けることとなり、
主君とその恩恵を利することをわきまえていた!
殿内にあって彼はよそ者であり、外来の身であったので、
ほとんど全ての者から快く思われていなかったが、
自らが受けている寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。

◇ 惟任日向守名乗りと「天下」
・元亀3年 1572年 坂本城築城
天主閣付き築城を許されたのは光秀だけである!

・天正元年 1753年 改元 信長が選ぶ!
朝倉、浅井を滅ぼし、義昭を追放!
・仝3年 惟任日向守を名乗る!!
信長は信忠に家督を譲る!
・仝4年 安土城築城

◇ 苦戦しながらも丹波攻略
・天正3年 1575年 丹波攻略を命じられる!
そのかたわら各地に動員される!
越前一向一揆、大阪本願寺、紀州雑賀、松永久秀、荒木村重、播磨三木城………

・仝4年 光秀病死の噂が広まる?? 死亡説もでる!
・仝7年 八上城 波多野兄弟が降伏! 鉄炮で負傷???
黒井城も落城!
信長は、光秀に丹後、丹波を与える!!
細川藤孝が丹後に入部する!

◇ 天下の面目をほどこし候
・天正8年 1580年 佐久間信盛追放
各方面に敵がいる!
・大阪本願寺
・毛利
・荒木村重
・播磨三木城 別所長治
・武田勝頼
・上杉謙信

信長は光秀を高く評価する!

◇ 畿内方面軍の成立と家臣団編制
・天正8年 1580年 大阪本願寺降伏
佐久間信盛追放で家臣団を編成する!

方面軍は?
・天正元年 1573年 信忠軍団
・仝3年 家督を譲られる!
・仝4年 柴田勝家 北陸方面軍
大坂方面軍 佐久間信盛

・仝8年 羽柴秀吉  中国方面軍
明智光秀  機内方面軍

・仝10年 滝川一益  関東方面軍
織田信孝  四国方面軍

光秀の家臣は
・初期   一門衆と古参の披官衆 美濃衆
・元亀2年 西近江衆、山城衆
・天正元年 旧幕臣衆
・仝3年  朝倉旧臣、丹波衆
・仝7年  長岡藤孝、細川忠興親子の丹後衆
・仝8年  筒井順慶、井戸良弘など大和衆
・準与力  津田信澄

光秀も明智の苗字を与えている!
【蒲生氏郷は、蒲生と郷の字を与えている! 蒲生郷舎!】

◇ 畿内近国の破綻と差出検地を主導
信長に「大和差出」を光秀と一益に命じる!
石高表示など統一し、軍役を課す!!

丹後も検地を実施している!
【これは歴史で習わなかったが………】

◇ 「天下」に手が届く光秀
光秀の方面軍は、他とは違う?
領国は京を囲むようにある!
現状は遊軍的存在? 何処にでも応援に出される!!
その気になれば京を占領できる??
もはやNo2か?

◇ 変容する「天下」
天下の概念!!
➀ 将軍が体現し維持すべき秩序
② 京都
③ 「国」を管轄する大名領域でない京都・畿内など「国」と棲み分けられた領域
➃ 広く注目を集め「輿論」を形成する公的な場

信長が変えていく!
A 地震と天下の一体化  遠国の大名に対してのものが多い
B 列島日本的な意味合い 信長に従えと
C 中国を含む東アジア  派手な馬揃えのパレード!

光秀は京を守護している立場であり、
信長自身を天下との考えには、危機感を抱いていたかも知れない?
自身No2の自覚があるならば??

◇ 光秀のナンバー2意識と「天下」守護の自負
② 京都
実際に京にしか勢力は及んでいない?
その京を囲む形での支配している光秀は、
信長に次ぐNo2に立場にあると自負していた?
その例としては、
➀ ゆるし茶 信忠の次に開いた!
② 洛中馬揃えの惣奉行 20万の見物客を集めた
③ 天正10年 正月参賀 「御幸之御間」見学 最初だったようだ!
➃ 坂本城の立地と存在意義
その京を囲む領域を抑えている自信がハードルを下げた??

 

第二章 斎藤利三とは何者か
◇ 光秀と信長の良好な関係
天正10年である!
・正月参賀 「御幸之御間」見学
・同じく茶会を開く
・3月  武田勝頼攻め
光秀は信長に最大限の忠節を示していた!!

◇ 光秀妹「ツマキ」の死去
・天正9年 光秀の妹「ツマキ」が死去!
立場は信長の内意を伝える死者の立場だと!
側室の可能性もある??
信長の近くで信長の内意などの傾向をもたらしていた?
その情報源を失う………
【これは大きくとらえられていない???】

◇ 重大な岐路  安土での家康饗応
天正10年 1582年 家康の饗応役を命じられる!
腐った魚は俗説であるが、何かあったようだ?
足蹴にされた?
こう言う話は誰が広めるのか?
そして斎藤利三の件がある!!!

◇ 斎藤利三 意外な登場
信長とおない歳のようだ??
稲葉一鉄の家臣か与力である!
一鉄の姪か、娘が妻で、春日局を生んでいる!
活躍している………

◇ 武勇を知られた利三
蒲生氏郷が利三に、武辺の大切さを説かれたと!
近江観音寺城攻めでも利三に教えられる!
氏郷が教えられるとは………

◇ 利三 光秀に仕える
利三が稲葉家から離れたのは?
・天正2年
・天正6年
・天正7年
・天正8年
いずれも軍記物である!

確実なものは、天正6年??
ちょっと遅いかも?
・著者は元亀2年 1571年、一気に所領が拡大した時機ではないかと?
【となれば稲葉一鉄と揉めるまでほっておかれたのか?】

◇ 親長宗我部勢力の中心人物として
・天正6年頃 長宗我部元親との関係を深める?
元親の息子に信長の「信」を与えて「信親」と名乗らせる!
利三は長宗我部元親と姻戚関係にある!
蜷川氏(利三の母の実家)、石谷氏である!!
利三の兄が石谷家を継いでいる!
・永禄6年 1563年 養父の娘が元親の正室になっている!

◇ 蜷川・石谷両氏と元親
この章長い!
が読んでいるとローカルな話になる??
斎藤、石谷、蜷川の三家は、明智と長宗我部の間に、
濃厚な親族・姻戚関係があり、両家のために連携していたと!

◇ 利三 秀吉と元親を取り次ぐ
対長宗我部外交は、光秀に、秀吉も絡んでいる!
秀吉は毛利の情報が欲しい!
長曾我部から欲しい!
ここで利三が間には行っていると!!
利三は黑井城を落とした光秀に与えられる!
その時期のようだ………

 

第三章 信長、四国政策を急転換す
◇ 良好だった織田・長宗我部関係
信長は、安房、讃岐の戦いについては光秀の相談するようにと!
敵の敵は味方!
信長も長宗我部も利用しようとしている?
信長は三好康長を長宗我部との取次にしていた!
が、元親が姻戚関係を利用して光秀を取次とした!

◇ 信長の四国政策の急転換
信長朱印状!
「四国の儀は元親手柄次第切り取り候へ」
これは残っていない!
・天正10年 元親重視から三好康長登用に政策変更!
当然、元親は反発する!
信長も余裕が出来て来ている!
外様の元親より、家来の康長の方が良いと??
もっとも元親も阿波平定は順調ではないようだ!
伊予、讃岐を没収、阿波半国を元親に与える??
この条件と思われる??
が、利三は元親に静観するようにと!
【そんな余裕はあったのか?】

◇ 元親条件闘争に転じる
しかし元親は恭順姿勢に転じる!
利三宛である!!
➀ 延びたが受け入れる
② 阿波の引き渡しに応じる
③ 海部、大西の両城は確保したい
➃ 勝頼、東国平平を祝す

しかし土佐一国も確保できるか分からない………
5月のことのようだ?

◇ 光秀・利三は元親の恭順姿勢を知らず
土佐までの使者は時間がかかる? 2ヶ月と言う!
5月21日の日付けである!
本願寺の変は、6月2日である!
要は、光秀・利三は元親の恭順姿勢を知らずに本能寺に兵を進めた?

◇ 信孝の登場と「四国国分令」
信長は四国政策を改める!
・讃岐  信孝
・阿波  三好康長
・伊予・土佐  信長が淡路島に出馬してから申し渡すと!

信孝は康長の養子である?

◇ 信長 信孝の四国出陣を全面支援
信孝は、信忠、信雄より待遇が悪い??
・天正9年 洛中馬揃えである!
信忠90騎、信雄30騎、信孝10騎………

信長も信孝に配慮している!!
信孝はこの時期、伊勢二群である!
兵はかき集める!
丹羽長秀と、蜂屋頼隆を補佐につけている!
渡航するための水軍も信長は手配している!
信孝は飾りか??
調略によって片が付く???

◇ 信孝 出陣前にオルガンティーノと語り合う
信孝は熱烈なイエスズ会支持者だった………
オルガンティーノに四国平定後、デウスの教えを広めると!
出航予定は6月3日!
それを迎えることは無かった………

◇ 信孝は光秀・利三の潜在的な政敵
信長の「近国掌握構想」
・北陸  柴田勝家
・関東  滝川一益
・中国  羽柴秀吉
政権中枢から遠ざけられている!

信孝は光秀のNo2の地位、既得権を犯す存在だと!!

 

第四章 光秀謀叛 その真相を考える
◇ 光秀はいつ謀叛を決断したのか 3日前の光秀書状
上杉家臣宛ての書状の話は出て来ない?
当然であろうと思う!

・5月28日 伯耆の反毛利の国衆をへの書状!
本能寺の変の3日前だと!
謀叛はつゆほどにも、におわせていない??
カムフラージュでもない!
どうも3日前は決断出来ていない??

◇ 謀叛の決断は2日前
で、いつだったのか??
翌29日??
信忠が家康と堺に行く予定だった??
が信長の上洛で信忠も京に行く!
この時、堺に行っておれば「本能寺の変」は??
信長、信忠を一緒にやれる機会が転がり込んできた?
「天が味方している」
光秀は、京に情報拠点を持っている!!

◇ 高柳光寿・桑田忠親説の再評価
・高柳光寿
四国政策の変更!

・桑田忠親
足蹴にされたこと!

両者古典であるがこれを評価すべきだと!!

◇ 比較的妥当で有効な2つの仮説
光秀本人の声は??
一 信長・信忠父子が悪逆だから
二 単独行為で黒幕はいない
三 野心もなく無欲で、光慶、忠興のためにやったと!

そこで原因は??
➀ 四国政策の変更と、光秀、利三の立場
② 折檻事件

◇ 信長の政治理念「天下静謐」の視点から
信長は征服欲ではなく、「天下静謐」のためだっと???
それから四国攻めは逸脱していると??

◇ 信長の光秀折檻事件A フロイス『日本史』の場合
これが出ているのは?
A フロイス『日本史』
B『稲葉家譜』

実際はどうなのか?
何故折檻されたのか??
Aではフロイスに誰が教えたのか??
信孝??

◇ 信長の光秀折檻事件B 『稲葉家譜』の場合
那波直治である!
光秀が引き抜いたと?
先の斎藤利三に次いでである!
この稲葉一鉄も問題が多い??
だから家臣が離反する??
光秀・利三が処分の可能性があった??

◇ 稲葉家との訴訟問題と利三の「勘当」
那波直治を引き抜いたのは利三?
これは不当だと??
なので利三は切腹を命じられる!
がかろうじて救われるが………
何らかの処置はあったのか??
利三も不安だった………

稲葉貞道の妻は、帰蝶と従姉妹???
えこひいきではないかと!!!
光秀・利三には不満が残る!
5月下中のことと………

◇ 光秀折檻事件の新史料『政春古兵談』
加賀前田家にこの記述がある!
利三を返すように光秀は信長に言われるが、拒否!
信長は光秀の頭を張った??

◇ 信長の家臣団統制の矛盾
矛盾??
佐久間信盛は蓄財に励み家臣を抱えなかった?
これを信長に責められている?
となれば光秀も家臣を多く抱える………
それを何故責めるのか??
依怙ではないかと?・

◇ 稲葉家との訴訟沙汰の裁許は政変の4日前
稲葉家との訴訟沙汰の裁許は政変の4日前?
先に決断は2日前だとあったが………

利三は、柴田勝家の家臣も引き抜こうとした?
これは紛争になったのか?
明智家の不満は頂点に達していた!
・稲葉家との訴訟沙汰は4日前の裁許
・信長の折檻 半月前?
・自害を命じられた利三の憤慨
明智の不満は頂点に達していた?

信長への反乱!
古参の譜代 表立って抵抗しない!!
・佐久間信盛 広大な領域を治めているはず!! 付いてくる人間はいない!
・林秀貞
・丹羽氏勝

外様は? 激しく抵抗した!!
・浅井長政
・松永弾正
・荒木村重
・別所長治
これらは援軍を当てにできた??
彼らなりに成算があり実行した??

光秀は籠城なんか出来ない!
光秀は佐久間信盛追放から学んでいる??
家臣を抱え、信長の気にいるように努力している??
京まわりに領地があり、兵力も動かし易い!!
天が、信長を討てる状況を作ってくれたと??

【以下の話は出て来ない!】
光秀は、明智秀満、明智次右衛門、藤田伝五、斎藤利三、溝尾勝兵衛に打ちあけている??
これらの関係者はみんな光秀と同時期に死んでいる!
誰が漏らしたのか?? 他にはいないはずである!!
口にした以上絶対に漏れるとして、やるべきだと!!
やっても漏れているが………
この話は出て来ない! 出すにはええ加減な情報なのか?

◇ 光秀の自負と国替の小農政
有名な話である!!
丹波・近江を召し上げて、出雲・石見を与えると??
こう言う話はあるようだ!!
・近江長浜  堀秀政  秀吉の領土である!
・越前府中  菅屋長頼
・上野国、信濃2郡  滝川一益
宿老を遠方に飛ばし、機内は若手で固める??
あり得そうである!
秀吉は、備中、備後か??

 

終 章 光秀と利三の最期
◇ 天正10年6月2日
運命の日である!
明智の兵は家康を討つと思った??
この時に、信忠は逃げる時間はあった!
逃れていれば歴史は変わった???
【どこに逃げる? 大阪に丹羽長秀らがいる】

◇ 近江占領  朝廷・五山などへの寄進、信長親子の供養
光秀はやることをやっている!
が秀吉が早過ぎた??

◇ 山崎の敗戦と光秀・利三の非業の最期
味方がいない!
・細川藤孝・忠興
・筒井順慶
・高山右近
・中川瀬兵衛

秀吉が圧倒的に有利である!
光秀と利三は首を繋いで磔刑に処せられる………
死体は友人が夜陰に紛れて盗み出し、葬る!!

 

おわりに  光秀と京との関係
著者も本能寺の変の著作は多い!
➀ 四国問題と光秀・利三
② 折檻問題
最近の研究では四国問題が重要である!!
本命になりつつある!!
本書は絞っている!!

【以下の話は無い】
・ときは今 あめが下知る 五月かな 読み方
・くじを2度、3度ひいた!
・ちまきを皮ごと食べた!

あくまで折檻問題を重視している???

 

おもな参考文献

 


明智光秀と斎藤利三 本能寺の変の鍵を握る二人の武将・桐野作人

2022年11月 9日 (水)

本・戦国武将の明暗 ①(2015/3)・本郷和人

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生きるか死ぬか! 一瞬の決断が運命を分ける  
戦国時代、日本史上、最も過酷な時代に、武将たちは何を考え、どう行動したのか? 
時に果敢な決断が家運の隆盛につながる
「関ヶ原の戦い」という天下分け目の決戦を中心に、
生き残りをかけた戦国武将たちの明暗を解き明かす
通説はもとより、最新の研究成果も積極的に紹介しながら、
堅苦しくなりがちな歴史研究の最前線を、わかりやすく、面白く紹介していく。


売れないと言う著者の、歴史の疑問点は??
著者はよく見ているが、NHK好みか??
面白い例も多い!
内容は下記の通りである!! ① ②と分けて紹介する!!



まえがき
第1章 戦いは、なぜ起きたのか 関ヶ原考1
第2章 直江状に、家康は怒ったか 関ヶ原考2
第3章 天下統一とは何か 関ヶ原考3
第4章 官兵衛は軍師だったのか
第5章 女城主と日本無双の勇将


第6章 前田はなぜ100万石なのか
第7章 信長・秀吉・家康の夫人くらべ
第8章 城と命運をともに 女たちの戦国1
第9章 危機一髪の逃避行 女たちの戦国2
第10章  厚遇と冷遇の境界線 論功行賞
第11章  鳥居対井伊 譜代の争い

 

まえがき
著者の本は売れない! と自分で言っている!
著者と気が合いそうである!
◇ 直江兼続の「愛」 このいわれは?
◇ 最上領の長谷堂城、1,000の兵の城を落とせなかった? 武将と言うより行政官か?
◇ 黒田官兵衛が関ヶ原の合戦での天下狙い?
そう言う疑問が常に頭にある??
それより、天下を狙ったと言う方が面白い!!!


第1章 戦いは、なぜ起きたのか 関ヶ原考1
関ケ原の合戦の史跡巡りで、大谷吉継の陣に行った!
そこで松尾山を見た! かなりの距離がある!
「司馬遼太郎 この場面を、見えぬ目で見た」
無念さが伝わってきた!!

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小早川秀秋はもともと東軍だったと!
だから裏切り者ではないと???
松尾山に秀秋が陣取り、赤坂の家康大垣城が挟み撃ちにされる?
なので関ヶ原に移ったと!!

家康である! 書物をよく読んでいる!
項羽に仕えた丁公! 
劉邦を見逃し、項羽の死後、劉邦の元に参じたが、劉邦は処刑している!
項羽の臣下でありながら不忠を為した!
「臣下たちは丁公を盛らなってはならない」

関ヶ原の恩賞?
小早川秀秋は30万石???
黒田長政は、筑前52万石!
秀秋は15,000の兵と言う!
宇喜多秀家は17,000か??
100石3人として9,000人か?
当時の実数は分かるのか???

家康は恩賞は弾んだ!
が、途中からの裏切りには厳しかった!
大谷吉継を攻撃した4人!
◇ 脇坂安治 現状維持
◇ 赤座直保 改易
◇ 小川祐忠 改易
◇ 朽木元綱 減封

日本は戦後、軍事研究がタブーになった!
なので、この兵力とかの研究も進まない!

恩賞は、黒田長政12万石から筑前52万石の大出世である!
石田三成に四国で2ヶ国???
それより筑前1国を貰えと??
山内一豊は遠州掛川5.9万石から、土佐20万石に大出世である!
家康が、戦場の槍働きなど誰でも出来る!
居城である掛川城を家康に提供する旨を発言!
これが評価された!!
こう言う話は面白いが、出典はどうなのか??

◇ お茶会での石田三成が大谷吉継の膿が垂れたお茶を飲んだ???
◇ 黒田如水 「草履片方、木履片方」

◇ 毛利家は改易予定が、吉川広家により救われる??
石田三成は言う! 毛利家を取り潰さなければ恩賞の土地が無いと?
確かに!!!
家康も2枚舌を使った???
関ヶ原後、大阪城に籠城の作戦もあった!!
毛利輝元はともかく、毛利元康、立花宗茂らの戦闘意欲がある武将がいる!
毛利は、本当に助かったと思っている??
恨んではいない??


第2章 直江状に、家康は怒ったか 関ヶ原考2
いまだに真偽が言われている!!
最近は本物だと言われている!!
これを見て家康が激怒したと!
役者やのう!! ではないか???
出来合いレースか??

秀吉は高の家臣を引き抜く!
◇ 家康の石川数正 
◇ 同じく本多正信?? 失敗
◇ 伊達政宗  片倉景綱 失敗
◇ 島津家   伊集院忠棟
◇ 大友家   立花宗茂
◇ 丹羽家   長束正家
もっとあるとようだが………

秀吉のNo2の評価??
天下の仕置きが出来るのは大名には一人もなし、陪臣に三人!
条件は?? 3つのうち2つ必要だと!!
      気概  勇気  知恵
直江兼続  〇   〇
小早川隆景 〇       〇
鍋島直茂      〇   〇
大名には一つもないものが多い!!

律儀者???
家康である!!
これは信長との同盟を守ったことが大きい!!
が実際は??? 著者は評価するが………
そんな人間いるのか???

「司馬遼太郎 関ヶ原 島左近が言う」
本当の律義者、これは魅力がない!
腹の中に一物を持っている人間、これが問題だと!!
家康である!!

「厭離穢土 欣求浄土」
「穢土」は「江戸」と同じである!
地名を変える!!
◇ 蒲生氏郷  会津 黒川を若松
◇ 加藤嘉明  伊予 松山の名付け親
◇ 毛利輝元  広島 広島の名付け親
◇ 伊達政宗  千代 仙台に
◇ 加藤清正  隈本 熊本に
◇ 徳川家康  曳馬 浜松に


第3章 天下統一とは何か 関ヶ原考3
日本史上の三大謎とは??
◇ 邪馬台国は何処か?
◇ 明智光秀は何故本能寺に向かったのか?
◇ 坂本龍馬暗殺の黒幕は?

「藤沢周平 密謀」
ここに出てくる!!
家康、小山着陣時、佐竹善宣の家臣が夜襲を勧めている!!
小山撤退時、徳川追撃を兼続は主張した!
関ヶ原敗退時、江戸城攻撃を献策したが、景勝は取らなかった!!

三成、兼続密約説は無かった??
あれば、江戸城攻撃を行わなければならないと思うが?

頼朝の時代は、西国、坂東、奥州と3つに分かれていた!
一つではない!
要は、奥州、坂東、北陸、東海、近畿、中国、四国、九州………
分かれているが、信長が異常だと!!
この関ヶ原を、戦国時代の再来と見た??
なので上杉は勢力拡大を図った!
同じように考えたのは、九州の黒田如水!
天下取りでは無く、勢力拡大に走った………

関ヶ原番外編!
◇ 加賀百万石前田家  北陸で利長と戦い戦死する!
大聖寺城の山口宗水・修弘!
ここから山口多聞提督が出ている!

これに関係するが、家康の側室・お梶の方!
「一番美味しいものは?」「一番まずいものは?」
塩だと!! 
これを聞いた時、おかしいんちゃうかと???
塩だけ食べれて腹一杯になれるのか???

満済准后!! 黒衣の宰相!
足利4代義持。6代義教の政治顧問!
遠国を「鄙」それ以外を「都」とした!
◇ 鄙  関東、東北、九州
◇ 都  機内、中国、四国、中部
都から鄙へ??
天下を狙った蒲生氏郷?? 伊勢松阪12万石から会津若松92万石へ!

九州で天下を狙った????
黒田如水である!
頼まれもしないのに、九州占領地を増やしていた!!
最後は、バレたか????
潔い!!!


第4章 官兵衛は軍師だったのか
エピソードが並んでいる!!
◇ 12万石しか与えないのは警戒しているから?
◇ 関ヶ原で九州で銭で兵を雇った? 銭は使う時に使う! 二重取りも黙認する?
◇ 長政は家康に右手を取って感謝される! 左手は何をしていたのか?
◇ 晩ねん口うるさくなった? 長政の時代をやり易くするために!

NHKは一夫一妻が好き??
信長、秀吉、家康は側室が多い!
そうは言っても、細川忠興も側室は多い?
ガラシャには求めすぎ???
◇ 「江」
◇ 「天地人」 直江兼続とお船

変った例としては??
◇ 立花宗茂と誾千代
◇ 島津義弘

黒田如水は軍師なのか??
ただし軍師なんていたのか?
山本勘助?? 果たして信玄に軍師なんて必要だったのか?
日本人は参謀に憧れる!!
諸葛孔明がいい例か??
肉体的にハンデがある方が喜ばれる??
「籌を帷幄の中に運らし勝ちを千里の外に決す」

竹中半兵衛、楠正成………
黒田如水は、軍師と荒木村重に幽閉されたのと、天下を狙った??
これが必ず必要か?? そうでなければ視聴率が稼げない!

島津義弘である!
関ヶ原に兵1,500である!
当主の兄・義久がいる!
「山内昌之 嫉妬の世界史」
これは面白い!!
ここでこの兄弟のことが、家康と正信の会話で出てくる!
それが嫉妬である???

息子の嫁が、義久の娘??
その息子が亡くなり、弟が兄嫁と結婚する!
義久が生きている間は頭が上がらないが、亡くなると別居!
8人の側室で33人の子供が出来る!

薩摩の得意技??
「釣り野伏せ」
全軍を三隊に分け、そのうち二隊をあらかじめ左右に伏せさせておき、
機を見て敵を三方から囲み包囲殲滅する戦法!
中央の部隊のみが敵に正面から当たり、敗走を装いながら後退する、これが「釣り」
敵が追撃するために前進すると、左右両側から伏兵に襲わせ、これが「野伏せ」
このとき敗走を装っていた中央の部隊が反転し逆襲に転じることで三面包囲が完成する??
非常に難度の高い戦法である!!

◇ 耳川の合戦  大友宗麟
◇ 沖田畷の戦い 竜造寺隆信
◇ 戸次川の戦い 秀吉傘下の四国勢 仙谷秀久、長宗我部信親


第5章 女城主と日本無双の勇将
戦国時代の九州は、
◇ 薩摩 島津
◇ 豊後 大友
◇ 肥前 竜造寺

耳川の合戦で大友宗麟、没落! 秀吉に救援を求む!
沖田畷の戦いで竜造寺隆信戦死! 没落!!
島津が吸収を抑える!!
戸次川の戦い 秀吉傘下の四国勢 大敗し長宗我部信親戦死!
この大友家の武将に、立花道雪がいる!
雷に打たれて不自由な身体になり、刀は雷切丸になる!
ナルトの雷切? 千鳥か???
娘、誾千代に後を継がせる! 女城主である!
婿が立花宗茂! 高橋紹運の息子である!

島津は九州制圧に向けて筑前侵攻!
筑前岩屋城を攻める!

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20,000VS700!!
高橋紹運玉砕!
が、ここでの時間が毛利の救援を呼ぶ!
紹運は自ら玉砕し、息子にかける!
それは成功し、秀吉に「日本無双の勇将」と称えられる!
以降活躍し、関ヶ原では力を発揮出来ず、九州に帰り降伏する!
改易となりながらしぶとく復帰する!!

誾千代は1602年に亡くなる!
応誉上人を招いて良清寺を建立!
この末裔に、松田聖子がいる?

丹羽長重 長秀の息子!
秀吉の論理では長秀だから100万石近く与えた!
蒲生氏郷も同じである!
どちらも息子の時代は減封される!
長重は4万石にされ、小田原で活躍し加賀小松12万石!
北陸の関ヶ原、前田利長と戦い改易!
しぶとく陸奥白河10万石に復帰!!

 

戦国武将の明暗 ①・本郷和人

 

2022年10月31日 (月)

本・明智光秀10の謎 出生から三日天下まで(2020/3)・本郷和人

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天下統一まであと一歩と迫った主君・織田信長を本能寺にて討った織田家家臣・明智光秀
土岐一族の流れを汲むとも言われる光秀はしかし、
その前半生は未だ謎に包まれている!

いったい光秀は何者なのか?
なぜ、信長は光秀を重用したのか?
盟友・細川藤孝との関係は?
未だ解明されていない本能寺の変の動機は?
光秀は主君を討った謀反人か、暴君を討った正義の人か!?
三日天下に終わったのはなぜか?
人気歴史学者・本郷和人氏と、細川家・明智家の末裔である細川珠生氏が、
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公、
今一番ホットな戦国武将・明智光秀の実像に迫る!!


細川家・明智家の末裔???
こう言う場合は女性の方が徳である!
ガラシャの存在である!
末裔と言う人が本を書いているが、時間を損した!
だいたいこれが真実だと言う本は信じられない!!
陰謀説があるが、天下人を殺すのに陰謀??
備中高松城攻防戦、毛利の条件に秀吉は15日待って欲しいと!
使者が安土と往復する時間である!
ただし変の連絡は翌日届いたと!
毛利の陣と間違ったと!
陰謀説には使者がいる!
密書でも敵の手に落ちたら終わりである!
使者の人選は???
上杉に宛てて出した書状が変を決意していると??
信じられない!!
と言うことで、光秀である!!
内容は下記の通りである!!


はじめに  本郷和人
第1章 明智光秀の謎その1~5
第2章 本能寺の変に黒幕なし
第3章 正義の人・明智光秀
第4章 明智光秀の謎その6~10
おわりに  細川珠生


はじめに  本郷和人
光秀の資料は残っていない!
人材を能力で抜擢する信長だからここまでになった!
世襲か、才能か???
著者は、貧しい家に生まれ、努力や切磋琢磨を旨として来たと???
細川珠代との対談である!!


第1章 明智光秀の謎その1~5
謎1 光秀の前半生はどんなものだったか?
分らない???
生まれた年は?
◇ 享禄元年 1528年 55歳
◇ 永正13年 1516年 67歳
人まわり違うが………
67歳とすれば、ガラシャが生まれたのは47歳の時!
上3人が女性で、4番目が嫡男光慶!
若い頃に子供を作らなかったのか???
光慶も存在感がない! エピソードも残っていない!

出身地は?  要は分からない??
◇ 岐阜県可児市瀬田
◇ 岐阜県恵那市明智町
◇ 岐阜県山県市中洞
◇ 岐阜県大垣市上石津多良
◇ 滋賀県犬山群多賀町佐目
宮本武蔵の生誕地も3か所ある!
岡山県と兵庫県である………
徐副伝説の地
邪馬台国と多いが………

土岐源氏の一族??
要は分からない??
父親も分からい??
◇ 光隆
◇ 光国
◇ 光綱
本当のことは分からない!!

光秀の教養は??
諸国行脚で培った??
食うや食わずではないのか??
鉄砲の技術がある??
100発で68発、中央の黒丸である!
それならば、鉄砲足軽か??

長篠の戦いでの三千丁の三段撃ちは無かった??
「司馬遼太郎 国盗り物語」では、これを強調していて信じたが………
著者の言う、常識、定石は信じれるのか??

本能寺の変では、重臣5人に打ち明けたと!
明智秀満、斎藤利三、明智光忠、藤田伝五、溝尾庄兵衛ら五宿老??
違う説もあるが
一旦口にした以上漏れる!! やらなければならないと!!
が、この話何処で漏れたのか???
全員死んでいる! 本能寺の変の後、わずか数日である???

光秀の能力は??
◇ 味方をやる気にさせる
◇ ちゃんと飯を食わせる
◇ 褒賞を与える
軍事よりそちらのほうなのか???


謎2 帰蝶と光秀はイトコだったのか?
証拠はないし、資料は残っていない!
それほど重要な存在ではない??
しかしそうであれば、信長と光秀は結びつけやすい!!

正室でありながら子供が産めない??
やはり不利であろうと………


謎3 光秀はいかに義昭と藤孝に出会ったのか?
京か? 近江か? 越前か??
義昭と藤孝と出会う??
後に義昭の家臣は、光秀ではなく、藤孝が引き取る!
光秀は一度義昭を見捨てている!
その義昭が黒幕とは………
考えにくい!!


謎4 なぜ、光秀は信長に仕えたのか?
義昭は朝倉が動かないので、信長に接近する!
光秀はどのような立場なのか??
細川家の中間???
帰蝶と従兄弟であれば話が早いと!!
そんなものなのか??
信長にしてみれば足利将軍は使い道がある!
苦しい時に、利用している!

信長の評価は??
天才から普通の人まであるようだが………
藤孝は信長に仕えるのに葛藤がある??
結局、細川を捨てて長岡を名乗る!
藤孝、忠興はベタ褒めされている???
教養がある?? 福島正則とはどうかなと???


謎5 なぜ、信長は光秀を重用したのか?
朝倉のような大企業に行くか??
信長のような、ベンチャーに行くのか?
性格もある!!

信長に抜擢されるが、使いまくられている!!
その為にストレスが溜まる??
松永久秀、荒木村重など叛乱する!
最後は光秀か?
「光秀は正義の人」
何かしらの「大義名分」がある!!
「非道阻止説」
そんなかっこいいものか??


第2章 本能寺の変に黒幕なし
最近読みだした著者の本には必ず出てくる!
「鎌倉殿の13人」の解説をしていただけに、詳しい!
全てではないけれど、人間保険をかける!
関ヶ原が良い例で、真田のように両方に付く???

頼朝旗挙時に千葉常胤が家来になる!
その時、一人の若者 源頼隆を連れてくる!
源氏の一門で、八幡太郎義家の末である!
つまりいざと言う時の名目人である??
そう言う存在が必要だと!!
それを差し出すことは、頼朝に尽くすと!!

鎌倉時代!
◇ 宝治合戦  北条VS三浦 将軍を取り合う
◇ 霜月騒動  安達VS平  貞時を取り合う?

要は、自分の行動を正当化してくれる人間が欲しい!!
と言うことを言いたい????

そこで光秀である!
味方する武将はいない!!
与力の武将も敵になる!
黒幕、例えば義昭とすれば、すぐに義昭の命で信長を殺したと!
正当化する??
が何もやっていないから、私利私欲に走ったと思われた!!
そこから黒幕説は否定されると!!
野望説、怨恨説は成り立たず、最近の四国問題である!
義昭、長宗我部元親、光秀の共謀論???
四国、鞆、機内にいる光秀とどう連絡を取ったのか?
例えば、信長が死んだら、義昭は高らかに「室町幕府」の復興と言うのでは???
それに根回ししていない!
だから成功したのか??

◇ 権門体制論 天皇中心
◇ 東国国家論 将軍は東国の王である
頼朝に、奥州藤原氏は王か??

足利義昭は、秀吉の撤退に追撃命令をかけなかった!
時間が経てば光秀は有利であると!!

「申次」「取次」
担当者である!! ただし権益に結び付いている!!

光秀は四国・長宗我部元親の「申次」である!
「元親手柄次第に切り取り候え」
この方針が変わり、四国征伐になる!!
織田信孝に丹羽長秀が攻める!
これに不満を覚えたのが、斎藤利三か?
光秀は面目を潰される………

戦国武将の家臣団???
抜擢人事か? 門閥か??
信長は抜擢である!
滝川一益、羽柴秀吉、明智光秀………
その反面、反乱も多い!
浅井長政、松永久秀、荒木村重………
譜代も追放されている!
佐久間信盛………
ただ松永久秀、荒木村重は籠城した!
上杉に毛利と思うが………
佐久間信盛は素直追放された………
光秀だったら、恐らく兵は付いてきたのではないか??

朝倉孝景の「十七条の家訓」
戦う時は占いなどに左右されずに戦え!
重役の家に生まれたとはいえ重役になれるとは限らない!
そう言いながらも、越前以外の人間は信用するなと!!

武田信玄は甲斐から動かなかった?
駿府に動いてもおかしくないが………
信長は、清州、小牧、岐阜、安土と動いた!!

光秀の立場は、近江坂本、丹波を与えられて危機方面軍か??
◇ 柴田勝家 北陸
◇ 滝川一益 関東
◇ 丹羽長秀 予定は四国
◇ 羽柴秀吉 中国 いずれ九州?
◇ 明智光秀 近畿 いずれ九州?
信頼されている!!
信長も安心していたようだが………

最近よく出てくる天下とは??
「天下布武」
京都中心の空間に限定する!
そう言う説で、そうなると天下統一は秀吉がやり、家康が完成させた!
その間の光秀には何の発想も無かった??
信長がいなくなればそれでよいと!!

時代により人物像は変わる!
信長の評価も変わる!!!
◇ 幕末から明治  勤皇家??
◇ 戦後  天皇を否定した革命家

信長政権は、システムが完成せず、カリスマに頼っていた!

「大河ドラマ 麒麟がくる」
ドラマである!! 光秀の内面はどのようにでも考えれる!!


第3章 正義の人・明智光秀
細川珠代はそう教えられたと!!
身びいきが激しい???
「仏の嘘を方便と言い、武士の嘘を武略と言う、百姓は可愛きことなり」
これは光秀の言葉と言われる!!
「正義の人」
どう言う意味なのか???
そんな人間はいない????????
ここらはどうとでも解釈出来る………

思い入れの問題では??
個人的には藤堂高虎が大好きである?????
それは司馬遼太郎の影響がある!!
あそこまで書かなくても良いと思うが………
鳥羽伏見の戦いで徳川を裏切る!!
「藩祖 高虎の体臭が身体中に染みついている」

徳永真一郎『影の人藤堂高虎』
火坂雅志『虎の城』
安部龍太郎『下天を謀る』
読む気も起らないが………

光秀は好きであるが…………
細川親子は…………

なぜ藤孝・忠興は光秀に協力しなかったのか??
藤孝は、足利、織田、豊臣、徳川と生き残った??
面白いものを見つけた! 忠興である!!
「家中の者どもは将棋の駒と思え 将棋の駒にはそれぞれの働きがある 
桂馬は頭に歩をつかれると、取ることも逃れることもできない駒だが、
一枚隔て筋違飛びの働きをする
それは飛車も角も及ばぬものだ 人もこのように、
一つの役目では不調法でも、他のことで役立つことがある
何もかも、ただ一人でできる者は百人いてもおらぬものだ
主君たる者は、このことを心得ておくべきである」
忠興は側室も多い!
忠興と光秀の子孫が、光秀を「正義の人」?????
よく言うなと思うが………
しつけの話があるが、相当厳しい………

光秀は、光慶と忠興に天下を譲る??
この時期、二人とも存在感はあったのか?
光秀の息子ながらほとんどエピソードがない??

「明智光秀家中軍法」
本能寺の変の一年前で、優れていると!!
全十八条!
抜粋である!!
一、武者は陣地において、役者以外は大きな声を出すことや、雑談してはいけない
一、軍が進む際、馬乗りが遅れてしまうようでは、たとえ突然の戦であっても役に立たない
  このような場合は領地を没収し、時によっては成敗する
一、百石から百五十石のうちは、甲をかぶった者一人・馬一頭・指物一本・槍一本を出す
一、百五十石から二百石のうちは、甲をかぶった者一人・馬一頭・指物一本・槍二本を出す
一、千石は、甲をかぶった者四人・馬五頭・指物十本・槍十本・幟二本・鉄砲五丁を出す
石高がちゃんと分らないと出来ない!!
検地もきっちりされていた???

緒方竹虎が光秀に似ている??
キリスト教については関心があった???
最後はこじつけか???
祖先のことは悪くは書けない???
そもそも藤孝、忠興が面従腹背? 一筋縄ではいかない親子である………


第4章 明智光秀の謎その6~10
謎6 光秀は名領主だったのか?
坂本城、亀山城、福知山城とは行った!
光秀は領民に慕われた??
福知山城は明智秀満!
斎藤利三は、丹波黒井城だが、山城なので行けなかった!!

光秀は?
◇ 築城の名手
◇ 治水を行う

丹波は重要である!
京へ攻めれる!
坂本と丹波で京を挟んでいると!

「明智光秀家中軍法」
怪しいところもあるようだ………
現実的ではない!!

「家中法度」
一、 織田家の宿老や馬廻衆に挨拶をする際には、道の片方へ寄って、お通し申しあげること
一、 洛中洛外での遊興見物は禁止する
これは本物ポイっと!!
統率力があり、人望もあったようだ………
だから本能寺の変は成功したと!!


謎7 光秀は残虐だったのか?
比叡山焼討ちである!!
よく言われているのは、秀吉は適当にやり、光秀は真面目にやったと!
これは定石か??

キリスト教との関係は??
関心はあったと??
配下の超大物 高山右近!!
頭のよい武将、蒲生氏郷、黒田官兵衛らは入信しているが……
茶人でもあると言う!
教養もある??

比叡山延暦寺は??
交易の中心であり、潤っていて女もいる!
堕落していると!!
光秀は合理的で無神論者か??
比叡山は、日本海交易で潤っていた?
京都の経済を考えるとジャマになる!!
これが信長の非道阻止説に繋がると!! 小和田哲男である………
あまりに信長を悪人にし過ぎる??

光秀は娘を攻略に使っていない!
長女は、荒木村重の息子で、後に明智秀満!
次女は、明智光忠
三女が、細川忠興

明智光秀の子孫は多そうである!
ひっそり生きている………
そうでもなさそうである!

 

謎8 本能寺の変の鍵は長宗我部元親か?
最近は本命視されている四国問題である!
四国は長宗我部元親の切り取り次第と!
長宗我部元親の息子、信親は信長の信を貰っている!!
四国の「申次」は光秀である!
攻めるのは、信孝に丹羽長秀!

この場合、重要なのは、斎藤利三!!
斎藤利三単独犯行説もある!
切腹を信長に命じられて恨みに思っている!!
稲葉一鉄から光秀にくら替えしている???
光秀はかばっていると!!!

が、この利三の娘が春日局である!
謀叛人と言って差別されなかった???

本当に末裔?? 明智憲三郎!
◇ 本能寺の変 431年目の真実
◇ 明智家の末裔たち 本能寺からはじまった闘いの記憶
これほど読んで無駄だと思った本も珍しい??
子孫と称する人も色々である………


謎9 本能寺の変の真相
真実は闇か??
「本能寺の変 431年目の真実」
こう言う本は、時間を無駄にする!!
自分の都合のようように解釈する!!

またまた出てくる!
「正義の人」?????
織田家は信長のカリスマで持っている??
結局、信長の政権構想も分からない!
「飛鳥尽きて良弓蔵れ 狡兎死して走狗烹らる」
これを恐れた???
やられる間にやると!!!

「小和田哲男 明智光秀」
これには50近くの原因、黒幕、共謀論があったが………

怨恨説
① 信長の振る舞いに我慢できなかった
② 母親が磔
③ 石見・出雲への国替え
④ 信長に足蹴にされた
⑤ 斎藤利三引き抜き

黒幕関与説
① 足利義昭説
② 朝廷説
③ 羽柴秀吉説
④ 徳川家康説
⑤ 長宗我部元親説
⑥ 毛利輝元説
⑦ 近衛前久説
⑧ 本願寺説
⑨ イエズス会説
⑩ 千利休・秀吉説
⑪ 伊賀者・秀吉説

共謀説
非道阻止説
突発的犯行説


謎10 なぜ「三日天下」だったのか?
変後の計画は無かった???
天皇を手中にしてそれから考える?
が、秀吉の中国大返しがあった!!
勝家は状況を見た!! 様子見である!
そうなれば光秀も打つ手はあった………
天下ということは意識していなかったと言う!!
日本に入ってきた儒教は、主君に対する忠誠を尽くす!
変っているようだ………
結局、藤孝、忠興、高山右近、中川清秀、筒井順慶みんな敵に回った!

藤孝の裏切りと、中国大返しが決めたと!!


おわりに  細川珠生
細川珠生はキリスト教徒で、洗礼名もガラシャだと!
相変わらず、光秀は「正義の人」だと!!

 

明智光秀10の謎 出生から三日天下まで・本郷和人

 

2021年9月 8日 (水)

本・戦国大名の戦さ事情 ②(2020/12)・渡邊大門

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第五章 軍師と戦術  その存在の「虚実」
第六章 戦いの実相  野戦・攻城戦の「凄惨」
第七章 戦後処理   「恩賞」と「制裁」の明暗
おわりに
主要参考文献


第四章 兵糧の確保  勝敗を決する「兵站戦」
〇 「腹が減っては戦ができぬ」  兵糧は勝敗を分ける
平安末期から兵糧調達の重要性は分かっている!
源範頼は西国に出陣した時、兵糧が欠乏する!!
頼朝が、全国に兵糧米を徴収出来るようにする!
南北朝時代は、「兵粮料所」が設定された!
その負担率が違う!!


〇 食料は「自前」か? 「支給」か?
腰兵糧は自前、長期は大名が支給する?
いろいろあるものである!!
◆ 持参出来なければ貸し付ける!
◆ 軍勢が不足していたら住民に頼むが、兵糧は与える!
◆ 秀吉は青田狩りを禁止する!
◆ 信長は甲斐出陣の際に、兵糧を補填する!
兵糧が無いと戦線が維持出来ない!!
大名による支給は必要だった!!


〇 兵糧調達の工夫と苦労
平時でも備蓄は必要である!!
いざと言う時、籠城戦のためでもある!!
北条氏で、米を持ち出そうとし、差し押さえをする!
厳重に保管されている!!


〇 兵糧の運搬はいかになされたか
慎重に、警戒して運ぶ!
疑問に思うのは、例えば三木城に兵糧を搬入する!!
魚住とか別府から運搬する!
どの街道を通るのか??
荷車で運ぶのか?
誰が?? 護衛は??
包囲されているので秀吉方の兵との戦いもある!
船で運んで積み下ろし時に襲われる!
荷台の宿送人
を命令で手配する!! 30人??


〇 戦場の補給部隊「小荷駄隊」の重要性
小荷駄は、最後尾に配置する!!
「陣夫(夫丸)」が担当する!
この部隊は戦闘には参加出来ない!!
輸送の他に土木工事にも参加する!!

「輜重輸卒が兵隊ならば、蜻蛉、蝶々も鳥のうち!
 電信柱に花が咲く!」
これは、昔からの続きなのか??
それとも陸軍の伝統が昔に波及したのか??


第五章 軍師と戦術  その存在の「虚実」
〇 武芸・気構え・知識を必要とされた戦国大名
戦国武将は武芸に励んでいる!
馬、槍、刀である!
◆ 朝倉孝景は、名刀を持ってはいけないと!
いくら高価であっても、100本の槍や刀には負ける!
◆ 伊勢宗瑞も馬と馬上の槍を勧める!
◆ 足利義輝は、剣を塚原卜伝、上泉伊勢守に学ぶ!
◆ 誠仁親王は兵法を学んでいる!
◆ 家康は剣を学び、馬術、鉄砲、弓術も学んでいる!

中国古典も必要である!
武経七書!!
『孫子』『呉子』『尉繚子』『六韜』『三略』
『司馬法』『李衛公問対』

足利学校は軍師の養成校ではない!!
◆ 小早川隆景
◆ 鍋島直茂
◆ 直江兼続
◆ 家康は天海を抱える


〇 「軍師」の概念の成立は江戸時代になってから
戦国時代は軍師はいなかった! 江戸時代に言われる!
軍配者である! 沢山いるうちの有名人である!!
◆ 武田信玄  山本勘助
◆ 今川義元  太原雪斎
◆ 上杉謙信  宇佐美定行
◆ 毛利輝元  安国寺恵瓊
◆ 羽柴秀吉  黒田官兵衛、竹中半兵衛
そんな軍師が、戦いを左右できることは無いのではないか????


〇 「兵法」のみならず「占い」にも通じていた軍師
占星術、陰陽道に通じている!
合戦の日取りを決める!
日本は多くの兵法書がある!
宿星、運気、日取、時取、方位を重要視している!
当時は神仏に畏敬の念を持っていたようだ!!!


〇 軍師が用いたさまざまなアイテム
軍配?? 軍配団扇である!!
日月星辰の文様、方位・方角、十二支、陰陽・天文・八卦、
二十八宿、梵字などを箔押しした!
たいそうなものである!!!
ほら貝も使う!!!


〇 軍師の決断 ① 山本勘助だけではなかった武田氏の軍師
小笠原原与斎???
武田家は、軍師の占いにより合戦の日取りを決めた??
卜筮??
中国古代の占意の方法!
卜は、亀甲を焼いて出来る亀裂による占い
筮は、筮竹による占い 

マジックか? 奇跡を見せて信用させる!


〇 軍師の決断 ② 大友氏の軍師・角隈石宗の無念
大友宗麟の、日向・耳川の大敗!!
出陣の日を角隈石宗が占う! 反対する!!
◆ 宗麟が49歳で厄年
◆ 羊申の方角への出陣は良くない
◆ 昨年の彗星の光の尾が西に靡くのは凶兆である

無視されて討ち死にする………


〇 軍師の決断 ③ 北条氏の軍配者・根来金石斎
根来金石斎??  根来出身!
名将たるものは、悪日や吉方を確認して出陣を決定すべきである!
もう一人、白井入道浄三がいる!
謙信が城を攻める!
静かな日がある??
何故か?? 城内に白井入道浄三がいる!!
今日は千悔日、先負の日である!
静かにする日である!!
だから城から攻めてこない???

信用出来るのかどうか??
危ないようだ………


〇 軍師の決断 ④ 上杉氏に仕えた軍師僧侶・清源寺是鑑
上杉景勝に仕える!!
間に、樋口予六が絡んでいる!!
書状に、吉日を選び報告すると!!
出陣の日を占ってもらっている!!


〇 知識は気象予報士なみ? 空模様を見て作戦判断
これは重要である!
KKDの世界か??
空模様で判断する!
信玄に仕えた、駒井高白斎がいる!
天候が左右した戦いは、桶狭間の戦い!
吉日にこだわって、チャンスを逃してはならない!!

秀吉は中国大返しで、上洛日を悪日と言われる!
が、これを切り返す!! 吉日だと!!!
知っている話がある!!
この本ではないが、家康も関ヶ原の時に同じような話がある!
西塞なので他の日に出発するのがよい??
家康は、「それならば、わしが出発してそれを開こう」


〇 史実では確認できない「兵法」の実際
五大兵法学!!
甲州流、越後流、北条流、山鹿流、長沼流!
他には楠流、風山流、源家古法、合伝流………
どうも江戸時代の浪人など職のない人間が生活のために広げた??
たまには純粋に研究する人もいたかも知れないが………
しょせん机上の兵法か???
陣形も実際あったのか??
これで勝てると言う方法は無い???


〇 「軍評定」はトップダウンではなく合議制が基本
「軍評定」は戦いの前に行う!!
しかし信玄、謙信、信長などは自分で決める!!
信玄は、軍評定で意見を述べさせる!
不満が溜まらないようにか???
この内容はトップシークレットなので伝わないのが多い!
◆ 源義経と梶原景時の対立
◆ 織田信長の桶狭間への出陣は、独断である!
◆ 羽柴秀吉の播磨での軍評定で、別所長治の家臣の献言を遮った!
◆ これが原因で離反した??
◆ 小田原評定 負けたから言われる逸話か?
◆ 関ケ原の合戦の、島津義弘の夜襲の進言を、三成は退けた!
後世に作られた話が多い???


〇 「迷信頼み」とは笑えない、出陣前の戦勝祈願
戦勝祈願は当たり前である! 例がある!!
◆ 太田道灌  沼袋氷川神社
◆ 織田信長  熱田神宮
◆ 上杉謙信  帝釈天、妙見菩薩、飯縄明神
◆ 武田信玄  飯縄明神

連歌を神社に奉納し、戦勝祈願する!
明智光秀の愛宕神社の連歌は、本能寺の決意表兵ではなく、
中国への応援の毛利に対する戦勝祈願と考える方が妥当であると!
著者は別の本で書いているが、この時期にわざわざ決意表明するかと!!


〇 出陣前のタブー掟  縁起をかついだ大名
◆ 三献の儀式? 打ち鮑、勝栗、昆布を食べる
打って、勝って、喜ぶ??
◆ 包丁をまたいで出陣する
◆ 兜の上に締める上帯の端を切って捨てる
◆ 北は避けられた
◆ 女性との性行為は禁止
◆ 旗竿の折れた位置
◆ 馬の嘶いた場所による
◆ 大将が乗る船に魚が飛び込めば吉??

根拠も何もない???
そう思えば宮本武蔵は偉い!!!


〇 「啄木鳥戦法」「鶴翼の陣」  机上の産物だった有名陣形
平安時代に唐に八陣を学び伝えた!
大江維時、吉備真備と言う!!
ここらは分からない!
1 魚鱗  中央部を突出させ、人の字型に配置する
2 鶴翼  鶴が翼を広げた形に兵を配置し、包囲する
3 長蛇  長く一列に並ぶ
4 偃月  中央部を後退させ、半月形に組む
5 鋒矢  足軽が前、騎馬武者を後ろで、季を見て突撃する
6 方円  鋒矢に陣形で攻め込まれたら、包み込み迎え撃つ
7 衡軛  前線を魚鱗、鶴翼で、第二陣以下を左右に縦に配する
8 雁行  斜めに陣を組む

もしやるなら相当訓練が必要ではないか?
命令系統が旨く行くのかと思うが………

◆ 川中島の武田の「啄木鳥戦法」
上杉の妻女山を攻撃し、山から下りてきたところを待ち構える!
相当兵力が必要? 各個撃破される!
◆ 上杉の「車掛」
先に出撃した部隊が後退し、替わりに新手が出撃するという、
次々に部隊ごとに攻めては退く………
相当な訓練が必要か???
調べてみる? 本当かいな??
越後でよく採用された陣形で、寒い冬季に移動し続けることで体を温める必要性から生まれた?

鶴翼の陣は、川中島の戦いで武田信玄が、
三方ヶ原の戦いで徳川家康が用いた?? 
要は臨機応変に対応したと言うことか?
戦国武将は、実戦で鍛えられている! 机上の軍学ではない!!


第六章 戦いの実相  野戦・攻城戦の「凄惨」
〇 実はほとんどわからない戦いの実相
兵の実数? 要は分からない!
これを使えば勝つと言う陣形???
そんなものは無い!
先日の歴史ものの実験があった!
秀吉の大垣城からの大返しを実証していた!
これは正しいと思うが、それなら「中国大返し」「啄木鳥戦法」
も実証して欲しいが………
半藤一利が、川中島の「啄木鳥戦法」は
時間的に不可能だと!


〇 信長の戦術 ① 桶狭間の嘘と実
今川の兵数は分からない!
信長公記では4万5千??
義元は桶狭間に進む!
勝っている…………


〇 信長の奇襲戦はほんとうか?
信長は奇襲しかない?
「迂回奇襲説」 そう思われていいた?
「信長公記」「甫庵信長記」を参考にする!


〇 新説・正面攻撃説と残る疑問
これに果敢に批判したのは藤本正行!!
鈴木眞哉も同様か??
史料を読み解いて、「正面攻撃説」を提唱する!
問題は兵力の劣る信長どうして勝てたのか?
天候などを味方にした………


〇 信長の戦術 ② 「長篠の戦い」の真相
問題の長篠の戦いである!
武田勝頼15,000!
家康5,000! 援軍信長30,000と言う!
酒井忠次の鳶ノ巣山砦を攻撃する!
前哨戦でもう不利である!!


〇 激突! 武田騎馬軍団VS織田鉄砲部隊
翌日、合戦となる!!
問題は、
◆ 武田の騎馬隊?? 突撃はあったのか??
◆ それに信長の鉄砲三段撃ちである??
これは「甲陽軍鑑」を参照にしている!
これも問題の書である!!


〇 「三段撃ち」への批判
鉄砲三段撃ちはあったのか? 藤本正行の批判!
◆ 代わる代わるの一斉射撃は不経済である!
◆ 三千もの鉄砲を一斉射撃させる指示は出来ない?
◆ 技量の低いものに合わせなければならなと!
要は分からない?
鉄砲の数も、三段撃ちも永遠に分からない!

武田の騎馬隊?? 突撃はあったのか??
鈴木眞哉の疑問??
◆ 騎馬は指揮官クラスである! 多くいない!
◆ 少ないので騎馬隊を編成出来ない!
◆ フロイス記述に、馬から降りて戦うとある!
◆ 「甲陽軍鑑」にも馬から降りて戦うと!
騎馬隊は無かった????

鈴木眞哉の本はよく読んでいる!
最近は書いていないようだが………
書くネタが少なくなった????


〇 「三段撃ち」への批判に対する反論
平山優が反論する! 三段撃ちである!
◆ 「段」は部隊を示す!
◆ 三段撃ちではなく、銃兵のみの三部隊を、三か所に配置した!
通説は誤読であると!!
◆ 「長篠合戦図屏風」には前と後ろの銃兵が描かれている!

騎馬隊は??
◆ 指揮官だけではなく、他にも存在する!
◆ 「甲陽軍鑑」には馬上戦闘の記録がある!
◆ 「信長公記」には、馬防柵のこと、武田が馬で攻めてきたと!
これも分からない?????


〇 長期戦の常道「兵糧攻め」のメリットとデメリット
攻撃のメリットは?
◆ 将兵の消耗が少なくて済む!
◆ 補給路を断つことによって情報も断つ!

攻撃のデメリットは?
◆ 長期戦になり、金に食料をがかかる! 続けなければ撤退になる!

籠城のメリットは??
◆ 兵の消耗が少ない?
◆ 少ない兵で対抗出来る!
◆ 援軍が期待出来る

籠城のデメリットは??
◆ 食料、武器の調達が出来ない! 援軍が来なければ敗北必至である!


〇 籠城戦のカギを握った兵糧の調達法
短期の場合は自前である!!
籠城戦の場合は備蓄がある!
御用商人を抱えている!!
これらから調達する!!
付近の村々から調達する!!

攻撃側は、主要な街道を封鎖し、搬入を阻止する!!


〇 兵糧攻めの手順
攻撃側は本陣を定める!
包囲すべく、土塁や柵を築く!
水の手を断つ! 
街道筋も封鎖する!!

籠城側は付城を築く!!
援軍を待つ!!
食料を断たれて、援軍が来なくなれば講和である!
調略を仕掛ける!!
内応者?? 攻め口を開けさせる!
城主に切腹を条件に、城兵を救う!!

城内に疫病が流行り、餓死者も出る!
人肉も最後には食べる………
籠城した城の例がある!
一応全部行っている!!


〇 兵糧攻めの実際 ① 三木の干殺し
ここは秀吉の本陣跡がある!
そこから見ると壮観である!
三木は内陸である!
別府や魚崎に上陸し三木まで兵糧を運ぶ!
相当な距離である!
どんな清算があって籠城したのか??
荒木村重からも運ばれている?

ここは完璧に包囲されている!!
援軍も兵糧も入らない!
城内は飢えで悲惨になる!
宣伝効果はある!!!
城主の切腹で降伏させる!


〇 兵糧攻めの実際 ② 上月城の戦い
ここは頂上まで登った!! 苦しかったが…………
この城の籠城は2度ある!
秀吉が毛利方の赤松政範を攻めて、尼子の残党を入れる!
山中鹿介である!
ここの案内板には、「しかのすけ君」がいる!
もっとも有名な人物なのか??

今度は毛利に包囲される!
籠城側3万で籠城側1万と言う!
今の城跡を見て1万も籠城出来たのか??
近くには福原城があるが落城している!
信長は上月城破棄を命じる………
戦略的には正しいが、織田家は信を失う………
神吉城、志方城から攻める!
補給のない上月城は落城し、尼子勝久は切腹、山中鹿介は斬られる………


〇 兵糧攻めの実際 ③ 有岡城の籠城戦
荒木村重である!
広大な城だった! 籠城には適していた!!
荒木村重も成算があって叛乱したが………
が高山右近に中川清秀は織田に残った!
本願寺、毛利、足利義昭が付いている!
結局は補給も間に合わず、援軍も来ず絶望的なる!
荒木村重も毛利に逃げる???
信長の怒りは、女子供を皆殺しにする!


〇 兵糧攻めの実際 ④ 鳥取城の餓え殺し
秀吉に攻められて、山名豊国には降伏する!
が、今度は毛利に攻められる!
城主に福光城の吉川経家が派遣させる!
ここにも行ったが、城は登れなかった………
有能な武将である!!
吉川経家は防衛計画を実行する!!
秀吉が高値で買い取った???
鳥取城は1,400が籠城し、農民2,000が入場する!
秀吉は日本海も抑えて、補給路を断っている!
セオリー通りに攻める!!
城内は飢えで人肉を食べている?
脳みそが旨い???

吉川経家が切腹を条件に、城兵の助命を願う!
植えた後に食事すると、
胃けいれんを起こして死ぬ人間が多い!!


第七章 戦後処理   「恩賞」と「制裁」の明暗
〇 戦死・自裁・逃亡・臣従……… 敗将のさまざまな「戦後」
戦いの終わり方!! 戦いに負けて終わる!
◆ 信玄無き後の武田家!
◆ 義元が戦死後の今川家! これはレアなケースだと!

籠城戦で城主が切腹する!
◆ 備中高松城の清水宗治の切腹!
◆ 播磨三木城の別所長治の切腹!
◆ 因幡鳥取城の吉川経家の切腹!

城主が家臣に愛想つかされる!
◆ 丹波八上城・波多野秀治  後に信長にはりつけにされる!

戦いで負けて敗走する………
◆ 関ケ原の合戦の、石田三成、安国寺恵瓊、小西行長 刑死!
◆ 宇喜多秀家は薩摩に逃げる!!  助命される!


〇 和睦・人質交換  死のみが解決策でなかった
和睦!
◆ 秀吉の九州征伐  島津の降伏を許す!

同じものとしてこれもなのか??
◆ 四国の長宗我部元親!
◆ 越中の佐々成政!
しかし小田原北条は???

和睦時に誓紙を交わす!
いろいろ読んでいると、破られるためにある??
神に誓いながら破る!!
関ヶ原、大坂の陣がそうである???

第二次世界大戦!
独ソ不可侵条約??
日ソ中立条約??
どちらも条約を破っている!!!

和睦には人質を交換する!!
知っている話では、備中高松の陣での、秀吉と毛利は人質を交換している!

黒田官兵衛は荒木村重を説得に行き、裏切ったと思われて、
長政を殺されるかける………


〇 「これは誰の首だ?」 意外に手間取った首実検
「伊東潤・首獲り」 これが詳しく面白い!!
頼まれ首、間違い首、要らぬ首、雑兵首、もらい首!

首実検である!!
◆ 女性と子供は認められない!
◆ 身分の高い武将は、兜とセット!
◆ 首実検の首は、化粧される!
◆ 大坂の陣 髪に功を焚き染めている!
◆ 今川義元の首は、家臣が取り戻す!
◆ 浅井長政、久政、朝倉義景の首を薄濃を施す!
◆ 真田信繁の首は、叔父の信伊が確認したが、
長年会っていないので分からなかった?


〇 戦死者の遺体はどう扱われたのか?
勝者側は遺体を回収する!
黒鍬や遺族である!
僧侶、陣僧が弔う………
敗者側はそのままである??
住民が憐れんで埋葬する??
腐敗臭に耐えれないからだと!!
明智光秀は、戦死した家臣を西教寺で弔った!

負傷した家臣をいたわった!
武田信玄は、湯治を行うため温泉を整備した話は無いが………


〇 戦よりもこちらが目的? 物や人の略奪
戦後は略奪が当たり前か??
「足弱」を獲る! 自分のものに出来る!!
女性、老人、子供………
身代金を払えば開放する例もある!

大阪に陣では、蜂須賀勢が170人連れて行ったと!!


〇 戦後領土画定の実際
薩長土の例がある!
◆ 島津  九州を占領する勢いで、講和しておれば良かったのか?
結局、薩摩、大隅、日向の一部である!
◆ 長宗我部  四国制は目前で敗れ土佐一国!
◆ 毛利  備中、備後、美作、出雲、伯耆をどうするか?
美作、備中を毛利が放棄する!
領土は恩賞になる!!!


〇 落城した城郭はどうなった?
要所にあり、使える城は補修される!
使い勝手が悪ければ破棄される!
関ヶ原以降は平城になる!
井伊直政は、佐和山城から彦根城に移す!!

落城したら城主は切腹!
家族も死ぬ! 
別所長治である!!
実家に帰されることもある! お市の方である!
女性は仏門に入る場合もある………


〇 明暗分かれた敗将の家臣たちのその後
負ければ帰農するか、仕官先を探す!!
負けると見越して敵に通じる!!
家康に通じた、穴山梅雪である!!
武田の赤備えは丸ごと家康に仕える!!
牢人は歓迎されない!
もはや戦いは終わる!!
もう召し抱えない!!
人余りである!!
帰農するか、商工業に従事するか??
だから唯小説の乱が起こった???


〇 合戦後の恩賞 ① 大名たちの場合
合戦に頑張るのは、恩賞の地を手に入れたい!!
成長志向である!
秀吉の天下統一により、戦いが無くなり恩賞の土地も亡くなる!!

転封!!
戦国時代と織豊時代は違う!
江戸時代は、鉢植え大名と言う!!
◆ 加藤清正は動きが少なかった!
◆ 森忠政  美濃金山(7万石)から信濃海津(13万7千5百こく)
◆ 美作津山(18万6千国)へ!

大坂の陣では恩賞は見込めなかった!!
なので戦意も乏しい………


〇 合戦後の恩賞 ② 家臣・雑兵たちの場合
家臣・雑兵たちである!
恩賞は必要である!!
武功で華々しいのは、一番槍、二番槍である!!
軍功には証人がいる??

この時代は、主君と配下の者の関係は、御恩と奉公で成り立つ!
ギヴ&テイクか??
恩賞を与えなかったり、働かなかったら関係は無くなる!!

佐久間信盛は信長に責められる!
働きが悪いと追放される………
自分だけ蓄財に励んでいる!!
要らなくなったから追放した!!
金がかかる人間は追放する!!

「闕所」 意味は???
裏切った家臣は所領を取り上げられる!!
それを恩賞として与えるようだ!!


〇 苛酷を極めた落武者狩り
「映画・七人の侍」
これに農民が刀を持っている場面がある!!
落ち武者狩りか??
穴山梅雪も一揆に殺害される!
光秀も落ち武者狩りに会う!
落ち武者狩りは徹底して行われたのは、
大阪に陣以降であると!! 何故か??
◆ 明石掃部らの生死が分からない!
◆ 激しい弾圧で、抵抗勢力を排除する!


おわりに
著者の本はよく読んでいる!
現在の知識で戦国時代を考えるなと!
安易に二次史料を使わない?
「合戦の舞台裏」が分かって面白い!!!

「司馬遼太郎・播磨灘」
安国寺恵瓊と羽柴秀吉の講和がある!
この返事に15日間、待って欲しいと!!
要は信長に確認しに行く往復の時間である!!
書状の使者なんか捕まれば終わりである!
そう思うと信じられない!
日本で暗号を使った例は聞かないが………


主要参考文献

 

戦国大名の戦さ事情 ②・渡邊大門

 

2021年9月 7日 (火)

本・戦国大名の戦さ事情 ①(2020/12)・渡邊大門

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小説やドラマなどで華々しく描かれることの多い戦国武将とその時代!
しかし、実際の史料から見えてくるのは、華々しさからはかけ離れた、
戦時負担に苦労する大名、規則で縛られる兵士、占い師まがいの「軍師」たち、
戦後処理の明と暗…裏舞台から見えてくる「人・物・金」の軍事システム!
戦国の「リアル」を読み解く!


渡邊大門の本はよく読んでいる!!
押しつけがましくないのが良いと思う!
いくさ事情である!
ここに足りないのは、糞尿の扱いである!
それに水である!!
備中高松城は、水攻めなので、周りに水はある!
が糞尿の始末は??
水攻めの池に浮いているのか??
上月城も行ったが、籠城兵は何処にいたのか??
この糞尿は?? 埋めるにしても体力が無い??
そんな疑問は解決しなかったが…………
内容は下記の通りである!! ① ②と分けて紹介する!!



はじめに
序 章 戦国大名の権力構造
第一章 将兵の動員  戦いの「経済的負担」
第二章 軍装と武具  戦場の「装い」と「兵器」
第三章 戦場の掟   軍の「法律」と「統率」
第四章 兵糧の確保  勝敗を決する「兵站戦」


第五章 軍師と戦術  その存在の「虚実」
第六章 戦いの実相  野戦・攻城戦の「凄惨」
第七章 戦後処理   「恩賞」と「制裁」の明暗
おわりに
主要参考文献


はじめに
戦国時代を現在に当てはめても分からないと!
一次史料と二次史料とがある!
記述されていることは裏を取る?
日記は伝記が多く、思い違いも多い?
比叡山焼き討ちも日記を見れば激しいが、
実際はそんなものでは無かった?



序 章 戦国大名の権力構造
〇 曖昧な「戦国」の時代区分
一般的には応仁元年(1967年)から始まり、
天正元年(1575年)の足利義昭追放までを言う!
諸説があるが、大阪に陣ぐらいまでが、戦国時代か??


〇 改めて問われる戦国大名の定義
戦国大名は戦後からである! 学術用語である!
それまでは、「分国大名」「領国大名」と言われる!
一国以上支配しているだけで無く、一群の支配、国衆でも見なされる?
戦国大名の権力は?
◆ 城を持っている! 城下町を形成している!
商工業の育成、寺、軍事力の強化!!
◆ 判物を発給する
◆ 分国法制定している


〇 時代で変わる戦国大名の出自
◆ 守護から
薩摩の島津、豊後の大友、周防の大内
◆ 守護代から
備前の浦上、越前の朝倉、出雲の尼子
◆ 国人から
安芸の毛利、備前の宇喜田、近江の浅井
◆ 土豪から
蜂須賀、前田、
◆ 一般からは秀吉!


〇 単なる主従ではなかった大名と家臣の関係
◆ 家中型家臣 譜代の純粋な家臣 奉行人としての官僚
◆ 国衆型家臣 自身の領国を持つ、穏やかな関係

変化がある!
◆ 惣領制 惣領が庶子を統制・支配する! が崩壊する!
◆ 寄親寄子性 擬制的な主従関係

役割は???
◆ 宿老  重臣
◆ 祐筆  代筆
◆ 戦目付 戦争の遂行
◆ 取次  諸大名との交渉

家臣の種類!!
◆ 一門衆 血縁関係があり、宿老になる
◆ 譜代習 古くからの家臣
◆ 外様集 途中から、負けた後に家臣になる!!

独断で意見をまとめず、家臣とも相談する!
◆ 別所長治は家臣の意見も聞き、織田と手を切った!!
◆ 毛利元就は、弟、尼子からの養子と争い勝つ!!
◆ 戦国大名と家臣は双務関係にあり、御恩と奉公を媒体とした主従関係にある!
主君に、仕えるメリットが無ければ見離す!!


〇 政宗が整えた伊達家臣団のユニークな構造
伊達政宗の家臣団は?
◆ 一門  伊達成実、石川、留守、亘理、岩城
◆ 一家  石母田、大條、柳川、栗川
◆ 準一家 猪苗代、保土原、上遠野
◆ 一族
◆ 外様

一門は役職に就けない!
仙台藩城下町、48館体制!
政宗家家臣団は、身分が低いながら登用された武士が多い!


〇 主君との同盟的性格が強かった上杉家臣団
1559年は! 「侍衆御太刀之次第」
◆ 直太刀衆   一族・庶子
◆ 披露太刀衆  中核家臣団  上越、中越、下越
◆ 馬廻年寄分衆 譜代年寄側近衆
◆ 信濃大名衆
◆ 関東衆

1574年は! 「御軍役帳」
◆ 一門衆
◆ 国衆  上・中群
◆ 国衆  下郡
◆ 旗本衆

謙信の家臣団の特徴!
◆ 国衆を完全に制圧したのではなく、同盟関係にある!
◆ 譜代の家臣に新参の家臣との対立!
要は謙信の支配は盤石なものでは無い!!
「越後の虎」は、配下とは穏やかな関係だと!!


〇 「幕府」対「守護」の構図だった室町期の戦争
室町期の戦争は??
◆ 1391年 「明徳の乱」 足利義満、11カ国の守護の山名氏を追放!
◆ 1399年 「応永の乱」 足利義満、大内氏討伐!
◆ 1441年 「嘉吉の乱」 6代将軍、義教を赤松満祐が殺害! 

守護が他国へ攻めることは無かった?
将軍が家督相続に介入しだして、応仁の乱に発展した???


〇 下剋上の世到来、戦乱の時代へ」
◆ 1483年 但馬守護職山名氏は、播磨に侵攻する!
幕府の守護職の任命を無視した戦いである!
結局山名氏は撤退する! 補給の問題がある!!
◆ 1538年 出雲の尼子氏は播磨に侵攻する! 侵攻と撤退を繰り返す!!
◆ 1552年 尼子晴久は8カ国の守護になる! ただし実力で勝ち取らなければならないと!

幕府VS守護職から、他国への侵攻が始まる!
伊豆の伊勢宗瑞である! 備中の国出身である?
関八州を掌握した!

斎藤道三は親子の国盗りである!
ここらの時代の流れは?? 
親父が何時仕えて、息子は何歳で引き継いだのか?

下剋上は、主君の器量不足が原因である??
主君より劣るものが成功するのか?
成功しても短時間か???


〇 「生きるか死ぬか?」 撃滅戦と敗将の家臣化
滅ぼすまでの例がある!! 毛利元就である!!
◆ 1551年 大内義隆は陶晴賢に滅ぼされる!
◆ 1555年 毛利元就は安芸厳島で、陶晴賢を破る!
◆ 1566年 月山富田城の尼子氏を滅ぼす!

大名が大きくなると家臣も必要になる!
負けた方の家臣も抱える!
◆ 毛利氏は、大内氏、陶氏、尼子氏から抱える!
◆ 宇喜多直家は、滅ぼした浦上家から抱える!
◆ 家康は武田家の「赤備え」の部隊を丸ごと井伊直政に預ける!

 

〇 戦争を避ける「知恵」  同盟関係と和睦

戦争は国境付近で行われる!
当たり前だ、攻めてくる敵は国境で迎え撃つ!
◆ 桶狭間の合戦 三河と尾張
◆ 備中高松城の水攻め 備中と備後
◆ 関ヶ原 美濃と近江

同盟はどのようなものか??
ここには出て来ないが、織徳同盟がある!
どちらにとっても益になる!!
◆ 甲駿相三国同盟! 武田信玄、今川義元、北条氏康!
お互いの領土への侵攻させない! 不可侵条約か???
婚姻でしばる!!
◆ 近功遠交 豊後の大友氏は、毛利対策で、備前の浦上氏と結ぶ!

和睦がある!!
◆ 勝利目前の攻撃側が一定の条件を付けて和睦する!
◆ 敗北寸前側が、自身の切腹を条件に開城する!
戦争回避の手段である!!


〇 「天下統一の戦争」の時代へ
足利義昭が信長に追放される!
信長包囲網である!!
毛利輝元、大阪本願寺、荒木村重、波多野秀治、別所長治………
上杉、武田………
天は信長に味方する!
武田信玄、上杉謙信と亡くなる!
後は各個撃破か??
松永弾正もいる!!

本能寺の変が起こる!
秀吉引き継がれて、四国、九州、小田原、奥州仕置を終える!
以降「鉢植え大名」になる!


第一章 将兵の動員  戦いの「経済的負担」
〇 兵農分離で「職業軍人」は生まれたのか?
日本は兵農分離が進んでいない!!
秀吉の太閤検地がある! 兵農分離策を押し進める!
◆ 兵と農を分離し、兵は農業に従事しない!
◆ 武士は農村から離れて、城下に住む!

信長は兵農分離の先駆者か??
そうとも言えないようだ………
イメージが先行している!!

安土城で家臣が火を出した! どうも単身赴任のようだ?
それで失火した!
信長は120人の尾張の家を焼かせた!
家族ぐるみで安土に住むようにする…………


〇 「武士か? 百姓か?」 選択を迫った秀吉
1586年 秀吉の11ヶ条の定め!
新しい主人に仕える時、旧主人の許可が必要!
◆ 奉公人  下層の侍身分 
◆ 中間・小者・荒らし子  武士の最下級身分
服装も決まっている!
兵農未分離の土豪に、百姓となるか、

1588年 刀狩り
九州が多い!!
肥後の佐々成政の一揆千積失敗で、農民から刀を取り上げる!
戦国時代のは、兵農未分離の状態が続いていた………
専門的な軍事訓練を受けた軍人の軍隊ではなかった??


〇 兵の動員は「陣触れ」から
北条氏の陣触れが書状で残っている!!
① 豊臣軍が攻めて来るので準備して欲しい!
以前から出陣が多く申し訳ない!
② 期限は改めて伝える
③ 来年におなるだろう
④ 武具の綺羅については不問にする
⑤ 普請道具も持参すること

命じられれば直ちに出陣した!!


〇 陣鐘と法螺貝は合戦スタートの合図
法螺貝は技術が必要である??
北条氏邦は、陣鐘と法螺貝で直ぐに馳せ参じよと!
吉川経家の鳥取城籠城戦!
攻撃側の秀吉は、陣鐘と法螺貝を鳴らし続けた………
これは威嚇であるが……


〇 「触口」 戦地での報告担当
「触口」
軍事の報告を担当する! 報告全般を担当する!
遠国の地に動員をかける時は、法螺貝では間に合わない!
その時は書状による!
合理的な連絡方法を確立していたと!!


〇 戦場へ赴く際に持参する物とは?
◆ 武器 刀、弓矢、鉄砲、火打石、火縄………
◆ 薬  どこまで効くのか?
◆ 兵糧 糒、炒り米、味噌、塩、梅干……
◆ 鍬、鉈、まさかり、鶴嘴………

米の戻し方は面白い???
これで第二次世界大戦も戦ったのか???


〇 戦時の負担を定めた「着到」
北条の例がある!
◆ 1572年 25貫文 3人
① 槍
② 指物持
③ 馬上

◆ 10貫文 2人
① 槍
② 馬上

◆ 284貫400文 36人
① 3本 大小旗持
② 1本 指物持
③ 1張 歩弓侍
④ 2挺 鉄砲侍
⑤ 17本 槍
⑥ 7騎 馬上
⑦ 1騎 自分
⑧ 4人 歩者
槍が主力か???


〇 着到の事例 ① 武田氏のケース
◆ 1562年 小諸城城主 大井高政  45人
① 槍   30本
② 弓   5張
③ 持槍  2丁
④ 鉄砲  1挺
⑤ 甲持  1人
⑥ 小籏持 1人
⑦ 指物持 1人
⑧ 手明  4人

所領の安全を保障して、軍役を求めたようだ………


〇 着到の事例 ② 上杉氏のケース
◆ 1575年 上杉景勝が、家臣吉江資堅に命じる
① 馬上  40騎
② 手明  40人
③ 大小旗 25本
④ 鉄砲  20挺
⑤ 槍   250本

◆ 上杉家全体では? 有力武将36人!
① 槍   3604本
② 手明  316人
③ 大小旗 368本
④ 鉄砲  316挺
⑤ 騎馬  566人
合計 5504人

◆ 1577年 81名の武将が記されている!
越中、能登、加賀、上野を含む!


〇 戦時だけとは限らなかった「軍役」
城の普請も、軍役である!!
◆ 1574年 秀吉は今浜城の普請を命じる!
身分によらずに動員される!
◆ 1587年 堀秀政は、佐和山上の弟に道普請を命じる!
北陸攻めへの対策である!
◆ 北条氏の書状は多い!

読んでいると、実情に合わせて人数を出させている???


〇 「軍役」は武将にとってかなりの負担
「御前帳」???
国家的な土地台帳である!
これによって動員数が決められる!
50万石なら、15,000人から25,000人である!

◆ 朝鮮出兵 島津氏 10,000人を苦しいので3,800人しか送れない?
それが活躍するが………
◆ 関ヶ原 島津は1,300人しか送らなかった!
◆ 同上 長宗我部盛親は2,000人でよいところ5,000人引き連れる!
◆ 同上 立花宗茂 1,300人でいいのに、4,000人引き連れる!

戦争は莫大な経費が掛かり、財政をひっ迫した………


第二章 軍装と武具  戦場の「装い」と「兵器」
〇 時代とともに変化する「軍装」
甲冑が重要である!!
平安時代は騎射戦である!
大鎧が重要である!
時代とともに、徒歩戦になる!!
人数も多くなる!
胴巻きに、腹巻を使用する!
軽装で戦う足軽が使う!

具足も進化する!
全身を覆う!!
籠手、脛当て、佩楯、面具とある!

「具足始」 元服した男子が初めて甲冑を着用する!
甲冑師が重用される!


〇 規律が求められた軍装の統一
軍装が統一されれば強く見える!!
◆ 武田の小畑一党は赤、武田信豊は黒!
◆ 同じく、飯富虎昌、山県昌景、浅利信種、内藤昌秀、小幡信貞が赤!
◆ 「井伊の赤備え」 武田家遺臣を井伊直政に預ける!
◆ 真田信繁も赤で統一した!

赤は目立つようだ…………


〇 刀 「武士の心」の使い方
刀の産地は、相模、美濃、山城、大和、備前…………
多くの名工がいる!
古備前派、小一文字派、福岡一文字派、粟田口派、千住院派………

の進化がある!
◆ 奈良時代 剣 両刃で刺す
◆ 平安時代中期以降 太刀 刃を上に向けてぶら下げる
◆ 鎌倉時代中期以降 打刀 刃を下に向ける 鍔が付く
◆ 脇差  小型の刀

材料は玉鋼!
良質な部分を、皮鉄、心鉄に選別する!
ドラマで見る限り、正装で刀を打つ!
火、ふいごが重要か???
片目、ちんばになるか???


〇 弓矢 鉄砲以前の主力飛び道具
弓は高度な熟練が要求される!
弓の素材は??
イヌガヤ、イヌマキ、クワ、アズサ、ケヤキ??
平安時代以降は、木と竹の合成「伏竹弓」
江戸時代は「ひご入り弓」

合戦の始まりは矢を射かける!
弓の性能もだんだんと上がり、遠くに打てるようになる!
強力になる!!!
鉄砲の修練が簡単になると、弓はすたれる!


〇 槍 突き、払い、叩き  万能の武具
槍は主要な戦力である!!
◆ 元寇により槍が出現した!
◆ 「応仁・文明の乱」で足軽が槍を使う!
◆ 朝倉孝景 1本の名刀より、100本の槍!
◆ 斎藤道三は、槍の重要性を認識していた!
◆ 穂の長さにより区分がある
◆ 穂先も、直槍、片鎌槍、両鎌槍
◆ 北条氏照は、竹槍は不可と言う!
◆ 槍衾  威嚇できる
◆ 信長は三間半の槍を思いつく! 実際は使い難い!!

大平洋戦争 竹槍で戦わそうとした日本!!
北条氏でも無理と悟っている!
日本陸軍がいかにあほかと言うことか………


〇 刀より「コスパ」が良かった槍
槍がある! 刀に比べて鉄の量が少ない!
鉄砲は熟練を必要としたが、槍はそこまでではない!!
薙刀もある………
刀や鉄砲に比べて生産性が良い!!
主要な武器である!!

「映画・ワーテルロー」
サーベルをふるって突撃するイングランド騎兵!
迎え撃つフランス槍騎兵!!
槍も大きさがある!!


〇 鉄砲 伝来の通説に疑問符
昨今は、種子島と言うことも疑問視されている??
昔読んだ本に、これが種子島でなく屋久島に流れ着いたらどうなっていたか?
鹿児島の阿久根市も伝来の候補地と言う!
ネジの構造を教えてもらうために、娘を差し出した??
そんなことは無いだろう………
要ははっきりとは分からない!!
近江国友、日野、根来、堺が生産地である!!
畿内を握ったものが、鉄砲を握る?
つまり天下である!!!


〇 信長の海外交易は鉄砲原材料確保のため?
鉄砲は黒色火薬が用いられる!
硝石70~85%、硫黄10~20%、木炭5~10%である!
日本で硝石は取れない! 輸入に頼る………
火縄は、木綿・檜、竹が使われる!
使い分けがあったようだ!!
こうなると、経済力のある大名が有利なのか………


〇 鉄砲を制する者が天下を制す
鉄砲は数もあるが、銃者の能力が左右する!
鉄砲集団は、雑賀、根来がある!
訓練が必要である!!
訓練していなければ処罰される!
東国の場合は、5~10%の装備と言う!
狩猟をしていたものも動員される!!
国友と堺を押さえた信長、秀吉が有利である!


〇 大砲 その圧倒的破壊力
大筒???
口径が、20mm、30mm、75mmある??
16世紀後半に使用される!

◆ 1575年 立花道雪は娘に大鉄砲15挺と小筒1挺を贈る
◆ 1589年 北条は大筒20挺を鋳造させる
◆ 1578年 秀吉は神吉城攻撃に大鉄砲を使う
◆ 1586年 臼杵城にこもる大友宗麟は、石火矢を使う
◆ 1614年 大阪の陣で、家康が使う

稲富流の稲富祐直は、細川忠興に仕える!
後に刺客を放たれる………


〇 投石 シンプルながら効果絶大
「橋本忍・戦国鉄砲商人伝」
これは面白い!
商人は甲斐にの武田信玄に鉄砲を披露する!! 
武田家は冷ややかである??
鉄砲は連射出来ない!! 武田の石礫隊がいる!
悪夢を見ることになる!!
飛び立つ鳩をみな撃ち落とす!!!
この石礫隊は、相手に嫌がられるが、上杉謙信の軍は耐えたようだが………
鉄砲は連射出来ない!!信玄に言われる!!
「その飛び道具、この国ではものの役に立たぬ! 
海を越えどこか違う国に売りに行け!!」

これを思い出す!!
礫、飛礫、印地………
そこらに落ちている石が武器になる!
有効性も高い!!!


〇 「騎馬戦」は疑問? 馬の活用術
馬はもう役目を終えた???
モンゴルは全て騎兵で、変え馬も持って遠征に行く!
戦争に、農業に、物流に使う!!
戦国武将は馬術を重視する!!
名馬がいる!!
◆ 山内一豊  鏡栗毛
◆ 武田信虎  鬼鹿毛
◆ 本多忠勝  三国黒
◆ 柴田勝家  百里鹿毛
◆ 前田慶次  松風
◆ 森長可   伯楽として名高い道家弥三郎を抱える!
そこで長篠の合戦になる!!
騎馬隊の突撃はあったのか??
結論は出ない! どちらも反論出来るようだ!!


〇 戦国大名が活用した「水軍」の威力
海の土豪??
まったくの海賊ではない!
陸上でも関所があり、通行税を取る!
海でも船の通甲料を取る!!
織田と本願寺での争いで、
毛利水軍、村上水軍VS九鬼水軍か??
鉄工戦である!!

◆ 安宅船 母船!
◆ 関船  機動性に優れている!
◆ 小早  少人数で俊敏に動ける!

武器は??
◆ 熊手
◆ 藻外し
◆ 船槍
◆ 琴柱棒
◆ 火矢
◆ 鉄砲
◆ 焙烙火矢

朝鮮侵攻では、水軍が活躍する!!
日本は負けるが………


〇 城 要塞にして作戦本部
山城、平山城、平城………
立地も考える!!
◆ 攻撃する場所が一方向!
◆ 川の近く!
◆ 主要な街道の近く!
◆ 海の近く!
◆ 付城
◆ 支城を造り、ネットワーク化する!
城普請は領民の仕事のようだ??


第三章 戦場の掟   軍の「法律」と「統率」
〇 軍令・軍法・禁制  大名家中の「ルール」
軍令・軍法・禁制とは???
◆ 軍令 軍や陣中での命令、作戦・用兵に関する統帥の意味
◆ 軍法 戦争の方法・戦術・兵法、軍隊の法律・刑法・軍律
◆ 禁制 禁止事項、制札、定書、掟書

実例 ① 上杉氏の軍法
1531年 越後衆合戦の注意事項!
① 陣取りや、陣場で争わない
② 喧嘩に知り合いと称して加担しない
③ 軽率な振る舞いは、古法によって沙汰する
④ 無断で陣払いしない、もし行う場合は全て引き上げること
⑤ 陣取りの時、道や陣場の前を広くとる
⑥ 用心を怠らないこと
⑦ 具足を脱ぎ置いて油断しない

1555年 上杉謙信(長尾景虎)軍陣誓書!
① 私が唯一唯二の掟である
② 陣中で喧嘩をしてはならない
③ 備についての情報は正しく伝えること
④ 行き先がどこであろうとも景虎の考え通り奔走する
⑤ 合戦が終わり、重ねて出陣要請があった時、一騎だけでもはせ参じること

ここまで忠誠を求めるのは珍しい!!


実例 ② 今川氏の軍法
1559年 今河義元戦陣定書
① 兵糧と馬飼料は、着陣した日から与える
② 出陣の日には、間違いなく出発すること
③ 喧嘩口論は、双方とも処罰する
④ 追立夫、押買、狼藉をしてはならない
⑤ 新しい主人に仕える場合は、古い主人に断ること! 
無断で主を変えることを禁じる!
⑥ 城を攻撃するとき、計画以外の攻撃を禁止する!
⑦ 陣は奉行の支持に従う!

違法な手段で手柄を上げることを禁止する!!


実例 ③ 毛利氏の軍法
毛利元就の11か条に渡る軍法!!
◆ 命に背いたら、過失である!
◆ かってに軍功を挙げても忠誠とは認めない!
◆ みっともない真似をするな!
勇敢に戦うことを命じる!!


〇 まるで生徒手帳? 城の見張り時に定められた細かな規則
1559年 信玄の在番の軍法である!!
① 昼夜の番を怠らない
② 番所において、大きな声を出さないこと
③ 楽や雑談をしないこと
④ 下女などに対して、戯言をしないこと
⑤ 歩行のとき、法度に背むかないこと!

1569年 信玄の定書! 駿河久能城!
① 門城戸の番を昼3回、夜5回に改めること
② 諸城戸は、酉の刻に閉門、辰巳の刻に開門!
③ 当国衆を城内に入れていけない
④ 板垣信頼が巡検し、破損部分を修繕する
⑤ 敵と戦う時に、塀際で戦うこと
⑥ みだりに城外に出かけることを禁止する
⑦ 大酒を飲むことは禁止する
⑧ 人質の見張りを疎かにしない
⑨ 具足などの武具は折に触れて点検すること
武田家の法に対する厳しさと、具体的であることが分かる!!


〇 郷民からの支持につながった上杉氏「掟書」
1560年 長尾景虎の春日山城の城の留守の家臣に出す!
合戦時は、領民に「避難場所として春日山城」を指定する!
郷民からの支持を貰う!!


〇 就業規則のような北条氏の「定書」
1575年 小曲輪の主事について定書!
① 朝の開門は日の出を確認する! 夜は入相の鐘、日没を確認してから!
背いたものは厳罰に処す
② 掃除を欠かさず、竹木を切ってはならない
③ 病気などの場合は、代理、報告して指示に従う
④ 一日中寝ないで、芝の上を歩かない
⑤ 武具をしかるべき場所に置く
⑥ 番衆中で不逞のものは容赦せず、主であれば報告する
⑦ 将兵のいる時間の指示がある

指示は具体的である!!!


〇 「抜け駆け厳禁!」 「関ヶ原の戦い」における軍法
会津征討時の15か条の軍法!!
① 喧嘩口論は禁じる
② 味方の地で放火、狼藉を行うものは成敗する
③ 味方の地で田畠における陣取りを禁止する
④ 先手に断らずに物見は出さない
⑤ 先手を差し越えて出陣した場合、軍法に背向くので成敗する
⑥ 理由もないのに他の備に交らない
⑦ 行軍の時に、脇道は通行禁止である
⑧ 奉行の指示に違反すれば成敗する
⑨ 使者がどのような人物でも、指示には従う
⑩ 持鑓は禁止する
⑪ 馬は合バレさせない
⑫ 小荷駄隊は、他の軍勢に交らない
⑬ 諸商売や狼藉は禁止する
⑭ 下知なく陣を引き払ったら処罰する
⑮ 陣中での人返しを一切禁止する

軍勢の統制を図る!!


〇 「大坂の陣」 効果のなかった前田氏の軍法
前田家は、大阪の陣」に際して軍法定を制定する!!

第一条 行軍や布陣で備の統制を守ること
第四条 後尾の者は、先陣に紛れ込んではならない
第五条 利常の指示に従わなければ、手柄を認められない
第六条 諸事につき奉公人の指示に従うこと
第七条 利常の使いの身分がいかなる者でも指示に従う
第十条 牢人衆は先陣に加わってはならない

大坂冬の陣で真田信繁に負けている!
聞き取り調査がある!!
① 陣替のとき命令に従わない
② 鉄砲の者を連れて撃たせなかった
③ 退却の時鉄砲の者を連れて首尾よく行かなかった
④ 組の鉄砲頭が先へ出ようとした時、正確な状況が伝わらなかった

前田家の敗北した要因は、軍法違反だった!


〇 「お上」からではなく、住民の要請で出された「禁制」
制札は???
① 制札は上から一方的に与えられるものでは無く、
必要とするもの要請で下付される!
手数料が必要!
② 敵側が発給される場合もある!
③ 制札の存在で、軍隊が駐留したことを意味しない!

◆ 御判銭 禁制そのものの代金を意味する!
◆ 取次銭 禁制発行を取り継いだ者への謝金!
◆ 筆耕  禁令の執筆料

信長は礼銭を禁止する!!!!!


〇 禁制の実態  「テンプレート」があった?
要は雛形があり、花王も押されている!
後は禁制の文字の下に、村落や寺社の名前を書く!
分かり易い話である!
テンプレートがあった………


〇 禁制発行の礼金を「踏み倒し」
備中高松城攻めが終わる!
吉備津神社が「御半銭」を納入しなかった!
高額なので払えなかった!!!

 

戦国大名の戦さ事情 ①・渡邊大門

 

2021年9月 6日 (月)

本・清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?(2020/7)・渡邊大門

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秀吉はいかにして、織田家の後継者たる信雄、信孝を追い落とし、
勝家、家康を凌駕したのか!?
秀吉が大きく飛躍するきっかけとなったとされる「清須会議」。
しかしながら、秀吉の天下取りへの道のりは、「清須会議」に限らず、
少なからず俗説がまかり通っている。
織田家の人々、ライバルとなった諸将との関係にも注目しながら、
秀吉の天下人までの道のりを、丹念に検証する。


最近感じるのは証言は当てになるのか??
特にウソが多い???
◆ わざと、本当に嘘をつく!!
◆ ごっちゃになって分からくなっている!
◆ ここまでは確かであるが、それ以降は、色々聞いて分からなくなっている?
戦国時代の書状も、都合よく書かれていてウソもある!!
味方にするには、ウソも必要である???
研究者も大変である!!
裏を取らなければならない!!
新しい史料と喜んではならないようだ!!
地道な研究が必要か??
著者は押し付けがましいことは言わない!!
どちらともいえない???
内容は下記の通りである!!


はじめに
序 章 清須会議への道のり  信長の死と後継者問題
第一章 従来説に見る清須会議の展開
第二章 清須会議の真相と新たな政治体制
第三章 清須会議後の争乱  賤ヶ岳の戦い
第四章 徳川家康の屈服  小牧・長久手の戦い
第五章 関白就任と家康の従属
第六章 豊臣政権の確立
おわりに
主要参考文献


はじめに
清須会議?  清州会議?
これも司馬遼太郎か? 
この会議は「新史・太閤記」にある!
どうも史実とは違うようだが………
そういう事では「三谷幸喜・清須会議」もエンターテインメントか??
俗説を排する………
信孝と信雄の関係!
後継者??
宿老???
秀吉の天下取りを検証する!!!


序 章 清須会議への道のり  信長の死と後継者問題
本能寺の変は3時間余りで、クーデターは成功する!!
やることはやっている!
朝廷を押さえている!!

織田軍団は?
◆ 北陸  柴田勝家、佐々成政、前田利家、
◆ 中国  羽柴秀吉
◆ 関東  滝川一益
◆ 四国  信孝、丹羽長秀、津田信澄
◆ 摂津  中川清秀、高山右近
光秀にとっては状況は良い??
中川清秀、高山右近は与力である!
大和にも与力の筒井順慶がいる!!
弾正はもう死んでいる………
信忠は京である!!
秀吉の大返しが無かったら、どうなっていたか??
相手は家康か、勝家か??

秀吉が毛利と講和し、大返しで光秀を破る!!
織田家をどうするのか??
清須会議である!!
主導権は秀吉にある!!


第一章 従来説に見る清須会議の展開
織田家の宿老 羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興!
そして同盟者、徳川家康!!

柴田勝家 織田家一の宿老!
加賀、能登、越中……… 織田家武闘派の巣窟と言う!
本能寺の変の翌日、越中魚津城が落ちる!!

池田恒興 信長の乳兄弟!
光秀の与力ではない! 功績は大きい?

丹羽長秀 軍事・政務の要!
摂津で四国攻めで軍はいたが、まとめ切っていない!
功績は大きい??

滝川一益 関東の抑えとして期待が大きい!
が、本能寺の変後、北条に敗れて宿老から落ちる???
信長あっての一益か??

徳川家康 本能寺の変の時は兵が無い!
それでも三河に帰り、一戦混じる気であった!
一益と同様に出遅れた!!

清州会談も、その記録は一定ではない!
従来設?
後継者に三法師を確立! 勝家は信孝を推す!
長秀、恒興は秀吉に取り込まれる!
所領配分も秀吉のペースになる!!
ここで主導編を握り、天下人へと乗り出す!!

二次史料には何が書かれていたのか?
◆ 小瀬甫庵 太閤記
三法師が継ぐのは規制の事実! 秀吉を褒める!
◆ 川角太閤記
清須ではなく岐阜! 池田恒興が出て来ない!
秀吉の意見に勝家が同調している! 後見人は秀吉!
◆ 細川忠興軍功記
勝家が遅れる! 秀吉の主張が通る!
◆ 総見記
信孝、信雄では片方を立てるわけにはいかない!
三法師を立て、後見人は、信孝、信雄で、4人の宿老が政務を担当する!
◆ 惟任謀叛記
後継者は三法師で、政務は宿老4人!

以上をまとめると!
① 三法師が家督を継ぐ!
② 尾張は信雄
③ 美濃は信孝
④ 政務は4人の宿老

他の史料としては??
◆ イエズス会日本年報
信孝が後継者なら布教に良い! 都合の良いことを報告している!
◆ 日本教会史
秀吉の策謀と見る??

当時の状況は???
◆ 信忠の死! 後継者も亡くなった!!
◆ 信雄は三成を討てなかった!
◆ 信孝は秀吉軍に参加した!

最近の天下論??  天下とは??
① 京都を中核とする世界!
② 義昭や信長ら特定の個人を離れた存在!
③ 将軍の管轄領域 大名の管理する国とは違う!
④ 広く注目を集め、「輿論」を形成する公的な場!
この時期は、畿内???
日本と言う意味はもっと後!!
秀吉の天下統一の頃からか………


第二章 清須会議の真相と新たな政治体制
他の記録がある!!
◆ 多聞院日記 伝記である!!
4老臣に、堀秀政が入り、5人と言う!
5人で政務をみる!!
信雄と信孝が争った………
◆ 金井文書 
信雄と信孝が三法師の名代を争う………
家康が誓紙を出している!

各地の状況は??
◆ 秀吉は信長の息子を養子として迎えている! 秀勝である!
信長の後継者ではないと秀吉は言う!
◆ 「若君様」 三法師である??
◆ 信孝と信雄は、三法師の名代を争い、家督を争ったわけではない!
◆ が、二人が争ったとも言えるようだ???
◆ 堀秀政が三法師のお守りをする! 名人太郎である!
◆ 細川藤孝、忠興、松井康之に加増する!
◆ 滝川一益が領地に不満である?
◆ 信孝・信雄の美濃と尾張の国境の争いがある!

信長の葬儀がある!!
身内に重臣は参加していない!
棺の前後は池田輝政に羽柴秀勝である!
信孝に信雄は参加していない?

国境問題?
自然が境目なら問題は少ない!
川なら問題ない???
美濃と尾張で兄弟で問題になる!
これは解決した記録はないようだ!
その争いで、葬儀どころではないと!

三法師は信孝が預かっている?
早期に安土城への帰還を主張する秀吉!
慎重な勝家?
主導権争いである………
その勝家の不満である! 堀政秀への書状!!
◆ 勝家が秀吉と約束して決めたことは相違ない!
信孝の勧めでお市の方を貰う!
◆ 清須会議の決定が変わる?
◆ 勝家は長浜を貰っているが、不正はしていない!
◆ 三法師を安土に戻す?
◆ 秀吉の勝手な振る舞いが多い!

秀吉は信孝の家臣に書状を出している!
言い訳じみている???
秀吉は信孝との対決を覚悟する??

この章は???
◆ 三法師の家督相続は既成事実!
◆ 信孝と信雄は名代を争った!
◆ 名代は認めず、4人の宿老が守り立てる!
◆ 領地配分では秀吉が有利になる!
◆ 秀吉は与党形成に走る………
◆ 信孝と信雄は不仲になる!
◆ 信長の葬儀は秀吉が行う!
◆ 「ハシマカマ  羽柴がまま」????


第三章 清須会議後の争乱  賤ヶ岳の戦い
北陸、関東甲信越、東海、東北、畿内、中国、四国、九州!
どうなっているのか?
畿内、中国は織田家が押さえている!!!
越後は上杉!
東海は家康!
四国は長宗我部!
九州は島津!
東北は論外で、問題は関東の北条に甲斐、信濃の跡地である!

各地で争乱が起きる!!!
信濃は、上杉、北条、徳川、織田!
甲斐は、北条、徳川!
家康、氏直は和睦する!
◆ 家康 甲斐・都留、信濃・佐久!
◆ 氏直 上野・沼田、吾妻!
◆ 沼田が後に問題になる! 真田である!!

その前に、勝家・信孝VS秀吉の戦いがある!
賤ケ岳の戦いである!!
まず信孝の謀叛である! 力があったのか??
秀吉は長浜の柴田勝豊を調略する!
美濃が調略されて、武将たちが秀吉に付く!
信孝は和睦を求める!!
名代が信孝から信雄に代わる!
恒興、長秀、秀吉は認める!!

信孝は勝家と結ぶ! 一益も同調する!
秀吉は上杉景勝と和睦する!
秀吉は搦手から攻める??
家臣を篭絡する!
まず一益が降る!!
秀吉の勝家攻めがある!!
敵に敵は味方??
勝家も毛利に書状を出す!!
足利義昭もである!!
秀吉の方が、こう言う調略は得意である!
はなから秀吉有利か??
この時に、秀吉は結城氏にも書状を出している!
毛利にも手を打っている??

猛将・佐久間盛政が急襲する!! 鬼玄蕃である!
中川清秀が討ち死にする!!
ここ引き上げるとの指示を守らない!
更に戦果を広げようとする………
が、大垣にいた秀吉の大返しがある!!
「美濃大返し」
道々に兵糧を手配する!!!

賤ケ岳には行っている!!
当然ロープウエーである!
しかしその時地元の青年が歩いて登って来ている!
少し話したが、ここの景色が好きだと!
こんなところに何万の兵がいたのか??
登だけでも疲れる!!
このあたりの兵数については、ホラ、誇張がある!
宣伝戦である!!
勝家は滅びる………
前田利家は裏切る!!
信孝の死については分からない??
切腹とあるが………
信雄に殺されたのか?
信雄は秀吉の傀儡になる??

秀吉は中国、毛利と和睦する!
領土分割が決まる!
秀吉がかなり譲歩した………

秀吉は大阪城を普請し、その力は信長を凌駕している!
信長の一周忌法要が行われる!!
ここに来て、信雄は危機を感じる………


第四章 徳川家康の屈服  小牧・長久手の戦い
信雄は重臣2名を粛清する!!
2人は秀吉に通じている???
秀吉VS信雄???
敵の敵は味方??
長宗我部元親は???
信雄は家康と結ぶ!!
どちらも味方にするために、不利なことは書かない!!
秀吉は上杉、木曽と結び、関東の諸将も味方につける!!
遠交近攻である!!
北条も動けない!!

初戦は家康有利である…………
秀吉は伊勢、和泉でも戦う!
雑賀衆に根来衆とも戦う!
どちらも戦後えらい目にあっている!

長久手の戦いで秀吉は負ける!!
池田恒興、元助、森長可らが死ぬ!
秀吉の負けである!
功名に逸った…………
今は従っているが、元は同僚が多い!!
局地戦だが負けは負けである!
秀吉は対応に追われる………
が、秀吉は逆襲に転じる!!
しかし滝川一益が敗れて没落する!!
信長あっての一益か???

景勝が信濃に進出する!
こう言う状況下で和睦の話が持ち上がる!
これは決裂する!!
家康側から人質を出す!
秀吉からは出さない???
が秀吉はこれを蹴る!!
対峙が続くが、双方和睦を模索している!
秀吉は信雄と和睦する!
信雄は長戦に耐えれない????
そう思えば、信長の本願寺攻めは日本では例外的な戦いか??
信雄に続き、家康も和睦する!
家康に対しては、秀吉も含むものがある???

状況は秀吉に有利である?
◆ 家康・信雄の毛利、長宗我部への協力依頼は、応じられていない!
◆ 佐々成政ぐらいか??
◆ 逆に秀吉は、上杉、関東の諸将を味方にしている!
◆ 毛利も味方である!
◆ 財力は秀吉が上である!!
◆ 信雄が耐えられない!!
◆ これ以上戦っても得るものが無い!
和睦がなったとはいえ、家康は臣従したわけではない!!

秀吉に逆らった武将たちは各個に撃破される!
◆ 佐々成政!
◆ 雑賀に根来衆!
◆ 長宗我部! 


第五章 関白就任と家康の従属
信雄が上洛する!!
秀吉は官位の斡旋を行う!
秀吉自身も、正二位・内大臣である! 高位高官である!

秀吉の討伐がある!
◆ 紀州征伐 根来寺、雑賀衆、太田城の水攻め!
◆ 長宗我部元親  圧倒的な戦力差があった!
◆ 佐々成政 

秀吉は関白になる!
秀吉が天下を意識する??
「関白相論」
朝廷の争いがある!
二条昭実VS近衛信輔!!
秀吉のために、近衛前久が秀吉を猶子にする!
秀吉を関白にして、その後を信輔に継がす…………
秀吉は朝廷を取り込む!!
官位を利用し、豊臣の姓を作る!!

家康は苦戦である!!
北条との和睦で、沼田を北条に渡せと真田に命令する!
真田昌幸は徳川に属している!
武田滅亡から、動き回っている!!
家康は真田が命令を聞かないので、第一次上田合戦になる!
鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉ら7000名で攻撃する!
真田の罠にはまる!! 舐めていたのか??
真田も手は打っている!
上杉を頼る!
一連の戦いで、真田は秀吉を頼る!
秀吉と家康の間に緊張が走る………

石川数正が出奔する!! 理由は??
◆ 秀吉に従うべきだと!
◆ 強硬派の中で孤立している!
◆ 信濃小笠原氏の指南をしていたが、秀吉に付いた!
◆ いずらくなって出奔する!!
石川数正の名前?
家康から康を貰い、康輝!
秀吉から吉を貰い、吉輝!
秀吉の配下を選ぶ!!

秀吉は家康討伐を決めるが………
天正の大地震が起こる!
帰雲城が消える!!
被害が大きい中で講和が進む………
信雄が家康の元に行く!!
もはや家康は勝てないと察する!!
味方は北条ぐらいである!
敗北は必至である!!

秀吉は朝日姫を家康の嫁がす!!
ここでひと悶着がある!
再戦にはならない!!
家康は上洛し、官位を貰う!
当然、秀吉より低い!
家康に従っていた、木曽、小笠原、真田を家康に戻すが、
真田は従わない!!
これが将来問題になる???
九州に東北以外は秀吉が支配する!!


第六章 豊臣政権の確立
九州の島津征伐である!
先に島津に申し渡す!!
◆ 大友吉統 豊後一国、肥後半国、豊前半国、筑後一国
◆ 毛利元就 肥前一国
◆ 秀吉直轄 筑前一国
◆ 島津   残り! 薩摩、大隅、日向、肥後半国、豊前半国
後から考えると条件は良い???
長宗我部も土佐一国になる! 
上手く行けば阿波も貰えていた?

筑前岩屋城の、高橋紹運がいる!
ここには行ったことがある!
島津は劣勢であるが、豊後に侵攻し、長宗我部を破る!

秀吉は本腰を入れる!
島津は浮き足立ち、本国に撤退する!
各地で負け、多くの武将を失う!
根白坂で負ける!!
島津は降伏する!!

秀吉は公家社会の頂点に立つ!
羽柴と豊臣の姓を与える!!
貰った方は名乗らなければならい??
偏諱を与える!
秀は身内、吉はその他、外様である!

大谷吉継
大友吉統
田中吉政

宇喜多秀家
織田秀信
蒲生秀行
小早川秀秋
小早川秀包
伊達秀宗
徳川秀忠
毛利秀元
毛利秀就
結城秀康

秀吉は官位も使う!!
小田原北条攻めである!
真田が絡んでいるが、うまく利用されている??
名胡桃城の引き渡しである!
が、秀吉は毛利、長宗我部、島津は取り潰していない!
北条に対しては厳しい!!
はなから潰す気である!!
それとも恩賞の地が欲しかったからか???
北条は降伏する!
次は奥州征伐である!!
天下は日本を意味する?
畿内ではない???

家康は江戸に移る!!
信雄は三河・遠江の転封を拒否して改易される!
もはや一戦する気もない??

信長の息子としては………

三法師、秀信は関ケ原で岐阜城で戦い負ける!
信長の子孫は近世にも生き残るが………

秀吉の天下取りは、天正十年六月 本能寺の変後から始まり、
天正十四年十二月の「豊臣」姓を下賜をもって実質的に完成した!
秀吉の意識は、発給文書の中にもみられるようだ!


おわりに
著者の意見である!
秀吉は明るく陽気な知恵者でなく、
周到な準備により相手を屈服させる!!
織田家、家康である!
朝廷も巻き込んで官位を利用する!!
信長の行動は、まだ良心的であると!!


主要参考文献

 

清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?・渡邊大門

 

2021年9月 5日 (日)

本・関ケ原合戦全史 1582-1615 ② (2021/1)・渡邊大門

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第七章  関ヶ原合戦への道のり
第八章  関ヶ原合戦の開戦
第九章  東北の戦い
第十章  九州の戦い
第十一章 戦後処理と大名配置
第十二章 関ヶ原体制から徳川公儀の確立へ
おわりに
主要参考文献


第七章 関ヶ原合戦への道のり
進軍ルートである!
◆ 家康は東海道
◆ 秀忠が中山道
どちらが本軍なのか??
兵数より大名の質である!
どちらが本軍か??
これは家康が負けた場合のために
秀忠軍に徳川譜代の大名を付けた!

秀忠軍の方が本軍ではないかと?
そう言われている!!
その本軍が、真田に引っかかるのかと?

装備の面から考える!
「備」 戦闘単位!!
◆ 総大将の構える旗本備え
◆ 先備、先手備、中備、脇備、後備………
◆ 小荷駄隊

戦闘の手順!
① 鉄砲足軽の一斉射撃
② 槍部隊
③ 騎馬隊の突撃

両軍の違い??
秀忠軍は、信濃の大名も多い!
ではその役割は??
① 前軍、後軍の編成
② 役割が違う
③ 両軍は一体かつ不可分の関係になる
どちらが精鋭かの判断はしにくい!!
が個人的には、家康と秀忠の将の差がある!
豊臣の武断派を秀忠が使えるのか??
当然家康である!
だから秀忠の方に譜代が多い!!

この本では人質の話は出て来ない!
ガラシャの話もない!
まず伏見城攻防戦である!
鳥居元忠である! 奮戦する!
甲賀者の裏切りがあった!!
しかし圧倒的な兵力差で戦った!
死は覚悟しているが、攻める方も今一だった??
島津義弘が籠城への参加を申し出るが断られる!!
これは事実か??
この状況で、島津義弘ほどの武将が島津が参加しても勝てないことは分かるはず!
つまり後日の捏造か?? 最初から家康に付きたかったと!

〇 小早川秀秋の心中は??
① 上杉の反乱時、伏見城へ使者を送り家康に忠節を誓う!
② 兄、木下延俊の姫路城を譲り受けようとして拒否される
③ 家臣、稲葉正成、平岡頼勝は徳川方?
④ 稲葉正成の息子が家康に近習する
⑤ 三成からは、秀頼幼少時は天下を委任する
筑前、筑後、播磨に加えて、播磨一国を与える
⑥ 鳥居元忠に拒否される
⑦ 黒田長政らに使者を送っている
⑧ 心から西軍に服していない
去就に迷ったのは、秀秋だけでない!
伏見城に入場しようとしたが拒否される!
当たり前である! 城方にすれば、裏切られる心配がある!
ましてや攻防戦の最中に伏見城に入場出来るのか??

〇 脇坂安治・安元父子である!
播磨龍野である! 関ヶ原で裏切っている!
関ヶ原にも行っているが、大谷吉継の陣から小早川秀秋の陣が見える!
ここから攻め込まれたのか???
見えぬ目で見た!!
脇坂安治については、司馬遼太郎がよく分かる!
司馬遼太郎 貂の皮「新潮文庫・馬上少年過ぐに収録」
命をかけて出世した??

〇 阿波・蜂須賀家政は家康に付きたい!
阿波は一時毛利に占領される!

〇 丹後田辺城 細川幽斎
ここも真剣に攻撃したのか??
東軍に付きたかった武将もいる???

〇 毛利の伊予侵攻
関ヶ原の合戦後、撤退!

〇 伊勢 安濃津城の戦い
ここには九鬼家がいる! 吉川広家が攻める!

〇 北陸 前田利長
前田利長も兵数の割には今一か??
大谷吉継が活躍する!

〇 岐阜城 織田秀信
家康が江戸から出て来ない!
戦えば出動する! そう言われて福島正則は喜ぶ!
岐阜城攻めでは、池田輝政と先陣争いをする!
落城する!

〇 大津城 京極高次
関ケ原の合戦の勝利の一日前に降伏する!
しかしそこまで兵を引きつけたことを評価される!!

家康も三成も書状を出している!
いつも思うが、誰が運ぶのか??
見つかったらどうするのか???


第八章 関ヶ原合戦の開戦
家康は岐阜城落城を受けて
9月1日  江戸出発
9月14日 大垣到着
家康到着で東軍は士気が上がる!
秀忠の軍を待たずに開戦する!
それほど重要視されていなかった??

杭瀬川で島左近が小競り合いをする!
家康の選択は??
① 大垣城での決戦
② 西上して輝元との決戦

がここで家康、輝元の和睦がある??
毛利秀元に安国寺恵瓊は知らない!
井伊直政と本多忠勝、吉川広家である!
家康は関ヶ原に向かう………
関ヶ原は、関ケ原町と垂井町にまたがっている!
熱意が違った! ほとんど遺跡は関ケ原町にある!
しかし桃配山もそんなに人数が配置出来るのかと?
両軍15万である!!
こう言う場合、まず糞尿の心配をする!
そこら中に転がっていたのか??
石田三成は島清興に蒲生頼郷である!
地図が添付されているが、そこには蒲生郷舎とある!
ここらあたりはややこしい!

何故関ヶ原で戦ったのか??
境い目????
日本の中央だからか??
関ケ原の合戦が始まる!

〇 井伊直政と松平忠吉の抜け駆け
この章長い!!
戦法は名誉だと!
福島正則は譲らないと!
松平忠吉はそれまで登場しない??
関ヶ原で急に出てきた! それも抜け駆けで………
知っている話では、秀忠の代理だと????

しかし危険を冒してまで抜け駆けするのかと??
戦死の可能性も高い??
現に井伊直政は負傷している!!

著者の考えは?
井伊直政は先鋒を正則に譲って欲しいと要請した!
要は、抜け駆けは無かったと!!
妥当な考えであると思う!

〇 福島軍と宇喜多軍の死闘
弱体化したと言え戦意は高いと信じたい???
福島正則は切り崩されている???
乱戦だったようだが…………
しかし明石全登が活躍する!!

〇 小早川秀秋
宇喜多秀家の善戦も、秀秋の裏切りで崩壊する!
態度が不明なので、家康が鉄砲を撃たせた??
双方から良い条件を出されている!
ここでも黒田長政が調略している!
浅野幸長も説得する!!
と言っても会えるわけではない???
使者が行き交うが、バレるのではないかと思うが………
三成には、どうも戦力として期待されていなかった?
迷っていたが、問鉄砲は無かったようだ!!

〇 寝返った諸将
待遇が分かれる!
ここでは秀秋、脇坂安治、小川祐忠・祐滋親子を例に出している!
小川祐忠・祐滋親子は所領没収!
同じ裏切りでも評価が違う??

〇 黒田長政の奮戦
確かに奮戦している!!

〇 島左近の最期と西軍壊滅
鬼神のごときの戦いである!
が黒田隊の鉄砲により負傷する!
秀秋の裏切りで西軍は壊滅する…………
西軍で戦った諸将は落ち延びる………
秀家、小西行長、三成………
小西行長は記録が無いようだ…………
大谷吉継は腹を切っている!! 潔い!!!
長宗我部、長束、安国寺恵瓊は逃げる!!

毛利は輝元がすでに屈している!
それなのに、阿波や伊予に出兵して支配領域を拡大しようとした!
秀元の援軍要請にも応えていない!
秀元は戦う気があった!
が吉川広家がそうはさせなかった???
秀元は現実に関ヶ原を見ている!
この時、毛利が参戦しておればと言う気持ちがある!!
後に吉川広家に対してはきつかったようだが………


第九章 東北の戦い
政宗は上方より上杉討伐を優先させたい!
家康に出陣を願う!
すでに上杉を攻撃している!
政宗は引くに引けない???

〇 上杉は越後の一揆に侵攻がある!
まず越後に残っている旧臣に一揆を起こさせる!!
が失敗に終わる! 越後侵攻も頓挫する!
状況確認のための捨て石??

〇 小山評定後、江戸に引き上げる家康に対して追撃を主張した!
これも兼続に責任を押し付けるためではないかと?

〇 政宗の動向??
兼続は政宗を警戒している!!
「百万石のお墨付き」
家康も人が悪い! 守るつもりのない手形か??

これも「司馬遼太郎・関ヶ原」だが、
毛利家が東軍についても所領は安堵されないと!
恩賞として与える土地は取り潰さなければならない!
三成は計数に明るいのですぐに分かる!
政宗の百万石も与えられないはず?
なのにみんな信じたいことを信じる!!

〇 上杉の作戦は??
四方敵である!
佐竹善宜は味方か??
兼続の最上領への侵攻が始まる………
この攻めも、少し熱が入っていなかった???
政宗に救援を依頼する!
兼続は長谷堂城を攻撃するが落とせない!
兵力を温存したのか???
関ヶ原の結果が届いたのはいつか??
9月29日と言う…………
兼続は最上領から撤退する!!


第十章 九州の戦い
「滝口康彦・西の関ヶ原」は面白かった!
ちょっと悲しい感じもしたが………
九州は西が多い!!
東は黒田官兵衛と加藤清正??
杵築城主、松井康之もである!
他は西が多い!!
大友家再興をかけて大友吉統が兵を挙げる!
大友吉統は輝元の命を受けて豊後に入部する!
豊後を力で奪回しようとしたのではない!

黒田官兵衛はこれをチャンスと見て、家康に切り取り次第との約束を貰う!
兵は有名な銭で集めた………
清正とは強固な協力関係にある!
官兵衛は大友吉統を引き入れようとする!
大友吉統は旧臣らが集まってくる!
五,六千人の兵だと!!

杵築城は重要である!
官兵衛は大友吉統を捕らえる!
大友氏は諸説があるが滅亡する!!

官兵衛の策は??
① 小倉城を落とし、広島を狙う
② 備前を長政に与えて、官兵衛は別家を立てる
③ 清正と勝ち取った領土は自分のものにしたい!
二人は九州制圧を目論んだ!
それは薩摩を除いて成功する!!

立花宗茂が帰国しているが、降伏させる!
鍋島勝茂は裏切っている!

家康の薩摩侵攻作戦! 
毛利輝元に攻撃させる?
が、薩摩のなりふり構わない弁明がある!
黒田長政も仲裁する!!
薩摩攻撃は中止になるが、清正が抗議する!
結局は切り取り次第は認められないようだ!
政宗と同様か………


第十一章 戦後処理と大名配置
まずは、薩摩の関ヶ原からの脱出である!
その後、領地の配分が決まる!

① 毛利輝元は周防・長門の二カ国
② 安芸・備後は福島正則に
③ 細川忠興は30万石相当を豊前に
④ 山内一豊は土佐を
⑤ 島津はまもなく解決する
⑥ 東国も兼続が使者を出したので解決する
⑦ 前田利長には加賀一国を
「領地宛行状」は政治的理由で出されていない?

勝者の加増は?
① 結城秀康  越前75万石
② 松平忠吉  尾張52万石
③ 蒲生秀行  会津60万石
④ 池田輝政  播磨52万石
⑤ 前田利長  加賀129.5万石
⑥ 黒田長政  筑前52.3万石
⑦ 加藤清正  肥後51.5万石

加増に関しては確認している!
福島正則は過分であると!
黒田長政は四国2カ国と筑前かを選んだ!
外様大名は西国へ追いやられる!
それに対して一門、譜代は大幅な加増になる!!
この中で豊臣は摂河泉の一大名になった??
がまだ全国に飛び地はあったようだ!

伊達政宗の書状によれば、秀頼を立てて挙兵する者がいるかもしれない!
秀頼は家康が養育すべきだと!
まだ秀頼には威光があった???

西軍の武将は??
◆ 石田三成  捕らえられた説は諸説ある
◆ 安国寺恵瓊 逃亡生活の上捕まる
◆ 小西行長  キリシタンで自害せず
この3人はスケープゴードにされる!

◆ 毛利輝元  大幅な減封!
黒田親子が救おうとする!
が輝元の背信行為を責められる!
グレーゾーンでたいがいの人間にはあるが………
領地没収で広家に1.2国与える???
これの不満を唱えると毛利家が取り潰される!
結局、長門・周防の2カ国を与えると!
責任は全て安国寺恵瓊に押し付ける?

◆ 伊達政宗 
「百万石のお墨付き」は反故にされる!
やり過ぎではないか??
家康の方が一枚上だった!!

◆ 上杉景勝と直江兼続は??
1/3の知行になる………
ここも兼続に責任は押し付けられる??
堺屋太一言う、減らしたとは言え、家は残った!
毛利と同じく、成功ではないかと!

◆ 宇喜多秀家
薩摩に逃れる!
秀家は首謀者ではない!
殺すまでもなかった??
いずれ復帰できると思った!
薩摩はかばう! 島津と家康が和睦する!
結局許されて、八丈島に流される………
経済的には苦しかったようだ!
かっての旧臣たちが援助したようだ!
福島正則の家臣がたまたま流れ着いて酒を渡した話は出ていない?
敗者でありながら誰よりも長く生きた!!
この男だけが、養父の期待に応えたと!!

第十二章 関ヶ原体制から徳川公儀の確立へ
関ヶ原後、家康は征夷大将軍になる!
それでも秀頼と家康の双方に訪問していた!
が家康が秀頼を訪問しなくなる!
2年後、秀忠に将軍職を譲る!!
以降、忖度が始まる!
秀頼の訪問が少なくなる!
でも家康はそれなりの配慮を見せていた!

家康の政策??
◆ 鉱山の直轄化  大久保長安?
◆ 都市部への奉行配置 
◆ 京都所司代の設置 外様大名の監視
◆ 諸大名と姻戚を結ぶ
◆ 秀頼の関白就任を妨害する???
◆ 武家官位の推薦県の独占
◆ 御前帳と国絵図の徴収 城もか? 丸裸になる!
◆ 江戸城の天下普請 秀頼も協力する?
◆ 駿府城の普請
◆ 「五百石夫」 五百石で一人の人夫を出す
◆ 秀頼は外されるが………
◆ 改易と大名配置 対秀頼対策
伊賀 筒井貞次の改易と藤堂高虎の入封
丹波 前田茂勝の改易と松平康重の入封
10万石以下の家康派の大名を配置している!
◆ 後陽成天皇の譲位!
家康が上洛し秀頼と会見する!
二条城である!
加藤清正、浅野幸長、福島正則らが説得する!
◆ 三ヶ条の法令の誓約
徳川幕府を意識させる!
しかし秀頼は署名していない!
◆ 二重公儀体制??
たしか信長と義昭もそう言われていた??

家康は豊臣政権を温存しながら徐々にその権限を吸収した!
豊臣家の影響力は小さくなる!!
家康の遠謀が実った???

最後に「司馬遼太郎・関ヶ原」である!
最後に京に来た黒田官兵衛が言う!
あの男は成功した!!
秀吉亡き後、
三成ほどの寵臣が家康に走ったらどうなっていたか?

世の中の秩序が無くなる????
個人的には、三成の笹尾山の陣で関ヶ原を見た!
無念だっただろう……… 大谷吉継もである!!


おわりに
諸説、珍説は省いたと!
良質な一次資料を参考にしたと!


主要参考文献

 

関ケ原合戦全史 1582-1615 ② ・渡邊大門

 

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