本・信長を操り、見限った男 光秀 史上もっともミステリアスな武将の正体 ②(2019/9)・乃至政彦
②
第九章 天下布武の印判の真意
第十章 義昭と信長の上洛
第十一章 三者協議でつくられた五か条の条書
第十二章 延暦寺焼き討ちと将軍義昭の挙兵
第十三章 明智から惟任への改氏
第十四章 丹羽平定と御馬揃え・家中軍法
第十五章 信長への失望と本能寺の変
終 章 山崎合戦と惟任滅亡
脚注
おわりに
第九章 天下布武の印判の真意
著者は信長の傾奇者らしい信長独特の造語センスを言う!!
著者の分析!
細川政権→三好政権→織田政権を想定していない!
美濃、尾張、北伊勢を支配し、それを守るために介入した!
当時は、公家、寺家、武家の内、
武家が天下の権を握る???
天下とは五機内と言う狭い地域を示す!
天下とは日本を示す??
信長の意識が何処にあったのか??
「布武」は日本では使われていない?
中国古典「礼記」 「堂下布武」
要は信長の造語だと?
戦国武将は教養は無いものの方が多い!
が禅僧など僧が教育係で耳から実戦体験と合わせて理解する!
信長は、「かっこいい」と言うセンスで使った??
別に天下を狙えない武将も「天下」という言葉を使う例もある??
第十章 義昭と信長の上洛
・永禄11年 1568年 信長は上洛する!
足利義昭は征夷大将軍に任じられる!
信長は畿内の秩序回復を行い、引き上げる!
政権を再編する!
信長の手は加わっていない!
この時、14代将軍義栄が死ぬ!
新将軍は直属の兵を持たない!
で信長が兵を置く!
「五千計」???
5000と言えば相当数である!
光秀も京に置かれる!!
信長は美濃・尾張の関所を廃する!
・永禄11年 1568年 殿中御掟9か条、追加7か条
その一つである!!
門跡や僧侶、比叡山延暦寺の僧兵、医師、陰陽師をみだりに殿中に入れないこと
御足軽と猿楽師は呼ばれれば入ってもよい!
御足軽、非正規な立場で、曖昧な存在であると!
・永禄12年 1569年 本能寺の変
三好三人衆らが本国寺の義昭を攻撃する!
織田方には光秀も参加している!
この時、信長は死ぬ気で駆け付けた?
フロイスは岐阜に行っている!
・二条御所の改築を70日で仕上げる
・伊勢を攻め落とす
本人のその意識はなくとも、政権が見える!!
光秀は幕府と織田の両方に属している!
藤孝の部下とされている??
義昭、藤孝、信長と繋がっている!!
第十一章 三者協議でつくられた五か条の条書
永禄末年までの光秀は??
・藤孝の中間
・義昭の御足軽
・信長の在京武官
・永禄12年 1569年 長男誕生 玉より6歳年少!
14歳で父と同日に病死! 光慶!
【逸話をほとんど聞かない】
この時期、信長伊勢を攻め、上洛し、帰国する!
機内に干渉しないようにしている??
フロイスは信長に布教を認められている!
これを良く思わない、日蓮宗・朝山日乗と対立!
讒言する??
和田惟政が信長に干される!!
復権するが、幕臣は怯える!
・永禄13年 1570年
五か条の条書を光秀、朝山日乗に出す!
一. 将軍が御内書を諸国へ発する際には、まず信長に下命して書状を添えさせること
二. これまで出された将軍の御下知はすべて無効とし、御思案して定め直されること
三. 幕府に忠節した者に恩賞・褒美を与えるための土地がないときには、
信長の分国の中から提供するのでご下命くださること
四. 天下のことはいずれも信長に委任された以上、
誰であっても将軍の裁可を得るまでもく信長が意思どおりにおこなうのを認めること
五. 天下は御静謐となったのだから、朝廷のことはいつも怠りなくおこなうこと
両者は信長家臣と並んで働く??
「金ヶ崎の退き口」
信長の朝倉攻めである!
浅井長政の裏切りがある!
信長は一人で逃げ出す???
秀吉、光秀、池田勝正、家康らが殿か???
光秀の隊長デビューか??? 43歳である???
第十二章 延暦寺焼き討ちと将軍義昭の挙兵
・永禄13年 1570年 改元! 元亀に変わる!
・仝 姉川の合戦
・仝 比叡山延暦寺焼討ち!
強く諫めたと??
そう言う記録は無いと言う?
この1年前の「滋賀の陣」 「志賀の陣」??
三好三人衆が挙兵!
延暦寺に敵になるなと言うが、無視される!
どうも延暦寺のええ下限さに怒った!
これの恨みがある!!
【信長は恨みを忘れない??】
仏教は五戒がある!!
・不殺生
・不邪淫
・不偸盗
・不妄語
・不飲酒
全然守っていない!!!!!
信長は3,000人殺す!!
【仏敵か???】
滋賀郡の統治を任される?
幕臣の中間から一郡域の支配を預かる!
坂本城を築城する!
光秀は築城の能力があったようだ!!
ここで統治し、比叡山と幕府と揉める???
信長と義昭が対立する!!
・元亀4年 1573年
本願寺、朝倉、浅井と信玄西上の義昭が呼応した??
信長は妥協しようとするが、義昭が応じない!!
光秀は義昭挙兵に呼応した幕臣を討ち取る!
この時期、信長は光秀に救われる???
ただ信玄は西上時、病死する!!
義昭は再度挙兵する!!
信長に人質を取られて京を追われる!!
信長は慎重に事を運ぶ………
・元亀元年 改元、 天正である!
各個撃破である!
・朝倉義景
・浅井長政
・三好義継
残るは本願寺と武田!!
義昭は毛利を頼る(えらい迷惑である)
安国寺恵瓊が動いている!!
「信長之代、五年、三年は持たるべく候 明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候
左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候 藤吉郎さりとてはの者にて候」
織田信長の転落と、羽柴秀吉の躍進を予想していると!
恵瓊の慧眼を示す逸話としてよく引き合いに出される!
【司馬遼太郎 もはや神に近いと褒め過ぎる!】
安国寺恵瓊は、義昭不在のてんかがどうなるか見立てた!
3、5年で帰洛しなければ、信長の代行政権は長続きしない!
秀吉は将軍がいない天下も仕方がないと………
信長は将軍を失う!!
権威のために蘭奢待の切り取りを申請する!
かって土岐頼芸がやった事と同じである!
長篠の戦を宣伝しまくり、
上杉、毛利も反織田に転じる!
越前府中で一向一揆を皆殺しにする!
「欲のため、仁・義・礼・智・信を忘れたる大将」
光秀は信長に称賛される! 戦況報告である!
「内容が具体的で、目の前で見ているようだ」
光秀の娘の縁談が決まる!
・信澄
・忠興
第十三章 明智から惟任への改氏
・天正3年 1575年
光秀は日向守と惟任の姓を貰う!
惟任の姓は、誰も使っていない??
戦国時代は家臣の改氏が行われる!
かっての名門とかの苗字を与える!
信長は変わっている???
子供の名前である!
「奇妙丸」「茶筅丸」「大洞」「小洞」
これはセンスがある????
「惟任」の前は「維任」と署名している!
信長は九州制圧を考えている!
・塙直正 「原田」
・簗田広正 「戸次」と似通う「別喜」
・丹羽長秀 「惟住」
著者の意見?
・織田大名としてのポーズをとる??
・実績のない受領地を選んで重臣の官途とする!
・九州旧族風の名前を与える
・九州なら接点がない!
ここまで来ると推理小説風である??
・惟住 コレズミはイズミと読ませる!
・惟任 コレトウはイトウと読ませる!
日向は伊東氏である!
イトウ日向守ではあからさまである?
で光秀は惟任とした??
ただ「信長公記」太田牛一は「維任」で通している!
写本は間違いと思い、「惟任」である??
光秀は明智の苗字にこだわっていない??
信長のセンスと趣味がそう名乗らせた???
第十四章 丹羽平定と御馬揃え・家中軍法
・天正3年 1575年 丹波平定!
が裏切られる!
・天正5年 1577年 再攻略
・天正7年 1579年 波多野兄弟降伏
・天正8年 1580年
「丹波国 日向守働、天下之面目をほとほし候」
丹波を光秀に、丹後を藤孝に与える!
亀山城を本城に、黒井城を斎藤利三に、福知山城を明智秀満を!!
安土城築城は??
・天正4年 1576年 摂津天王寺合戦!
足軽に交じって負傷する?
信長の用兵思想!!
少数精鋭と大動員の組み合わせにある?
その軍隊に原理原則は無い???
志ある者がしかるべき人数を連れて集い、大将の意向に従って、
結果を出せば褒賞する??
何の軍略も無いと言っている???
軍事的センスは無いと言っている!!
謙信や信玄は集団戦へ移す軍制になっている!
・天正9年 1581年 正月!
安土城の左義長を取り仕切っていた!!
これが信長に気に入られる!
そこで天覧御馬揃えの惣奉行に命じられる!
これを大成功させる!
「明智光秀家中軍法」を創成する!
これは調べてみた! 全文である!!
一 武者は陣地において、役者以外は大きな声を出したり雑談してはいけない
戦が始まった場面での軍勢配置や鯨波(敵を大声で威嚇すること)は下知に従うこと
二 先鋒部隊が指図する場合は、旗本侍の到着の後下知に従うこと
ただし先鋒部隊のみで行動を決定する場合は事前に申し聞いておくこと。
三 各々の部隊はそれぞれ足並みをそろえ、前後の部隊とも連絡を取り合うこと
鉄砲・槍・指物・のぼり・甲立・雑卒については、置き所を法度の定めている通りにすること
四 軍が進む際、馬乗りが遅れてしまうようでは、たとえ突然の戦であっても役に立たない
このような場合は領地を没収し、時によっては成敗する
五 旗本・先鋒と陣立てをするからには、足軽が敵と衝突し戦闘になる場合もあるが、
それでも下知を守ること
もし乱れたことをするものがいれば、身分に関係なく処罰する
また激しい戦闘地点の使者に対しては、どんな場合でも命令に従うこと
たとえ手柄を立てたとしても「法度」に背いた罪は回避できない
六 軍事行動や陣替の時、「陣取」として抜け駆けに士卒を遣わすことは禁止する
ただし、かねてから仔細を命じていた場合は、その到着を待つこと
七 兵士の食料の重量については、京都法度之器物(京都で作られた升)で三斗とする
ただし、遠方へ向かう場合は二斗五升とし、食料は一日八合ずつを領主から支給する
八 軍役の人数は百石について六人とする。百石未満の場合もこれに順ずる
九 百石から百五十石のうちは、甲をかぶった者一人・馬一頭・指物一本・槍一本を出す
十 百五十石から二百石のうちは、甲をかぶった者一人・馬一頭・指物一本・槍二本を出す
十一 二百石から三百石のうちは、甲をかぶった者一人・馬一頭・指物二本・槍二本を出す
十二 三百石から四百石のうちは、甲をかぶった者一人・馬一頭・指物三本・槍三本・幟一本・鉄砲一丁を出す
十三 四百石から五百石のうちは、甲をかぶった者一人・馬一頭・指物四本・槍四本・幟一本・鉄砲一丁を出す
十四 五百石から六百石のうちは、甲をかぶった者二人・馬二頭・指物五本・槍五本・幟一本・鉄砲二丁を出す
十五 六百石から七百石のうちは、甲をかぶった者二人・馬二頭・指物六本・槍六本・幟一本・鉄砲三丁を出す
十六 七百石から八百石のうちは、甲をかぶった者三人・馬三頭・指物七本・槍七本・幟一本・鉄砲三丁を出す
十七 八百石から九百石のうちは、甲をかぶった者四人・馬四頭・指物八本・槍八本・幟一本・鉄砲四丁を出す
十八 千石は、甲をかぶった者四人・馬五頭・指物十本・槍十本・幟二本・鉄砲五丁を出す。馬乗一人の着到は二人分になぞらえる
一から七条までが軍規、八から十八条までが軍役!
織田家としては画期的である?
信玄は言う!
「改善点があれば何でも指摘せよ」
「わが子孫だけでなく誰だろうとも、日本の中において、
迷うことなく数万の兵を率いて戦争を行えるよう、
信玄の軍法をこうして定めるものである!」
安土城は信長にしか似合わない!
・天正9年 1581年 御馬揃を行う!
これは、若公(義昭長男)に見せるためだと!
周囲の同意を得て足利将軍家を再興する???
問題は多い!
第一 足利将軍に人気が無い
第二 若公を預かっているのに、信長討伐を諦めない
信長は「摠見寺」を建立!
神として信長を拝め?
「死すべき人間にあらず、神の如く不滅のものなるが如く尊崇されんことを希望」
毛利を下し、義昭を引き取り若公へ家督を移譲させる!
毛利降伏後の総仕上げの準備は出来ていたと??
【本当かいなと???】
第十五章 信長への失望と本能寺の変
日本三大どうでもいい事件! 本郷和人が書いていた………
・本能寺の変
・坂本龍馬暗殺
・下山総裁暗殺
要は黒幕説から脱せよと!!
どう言う状況か???
・三職推任 受ければ若公将軍就任が出来ない!
信長はある密室において明智と語っていたが、
逆上し易く、反対意見を言われると堪えられない性質で、明智を足蹴にした
二人だけの間での出来事だったので、後々まで民衆の噂に残ることはなかった??
【ではなぜフロイスに伝わったのか??】
・これは事実だと?
・斎藤利三、那波直治の引き抜き
・四国問題
この問題に謎は無いと??
第一 信長に不満があった
第二 容易に殺害できる場所にいる
第三 決起後の武略を主導する立場にあった
要は光秀なりの成算があったと!
光秀は信長を「悪逆」と言うが意味は無さそう!
単に「敵」と言うこと??
「ときは今 あめが下しる 五月哉」
これに意味があるのか??
【分からない暗号で決起声明を出すかと?】
光秀にとっての武略は?
「仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略という!
これをみれば、土地百姓は可愛いことなり」
要は勝つことが全てだと!!
「本能寺の変」後に藤孝宛ての書状!
一 「元結を切ったことは仕方がない、考えてみれば仕方がない」
二 「摂津を分け与えますので待って行なす 但馬・若狭を望むなら仕方がない」
三 「自分の行為は忠興などを取り立てるためで、50日~100日の内に近国も落ち着くでしょう
その後は我が子光慶と忠興殿に政権を引き渡し、口出ししない」
何がやりたかったのか??
分からない…………
結局各個撃破どころかみんなの的になる??
秀吉が動けなかったら、光秀VS勝家である!
これも面白いIFであるが………
終 章 山崎合戦と惟任滅亡
家臣に家康は?
・家康 堺から三河へ!
・北畠信雄 伊勢より
・神戸信孝 摂津より 丹羽長秀!
・秀吉 即座に動く
・勝家 鈍い
・一益 関東で負ける
山崎の合戦で、負ける!!
先手衆は1万数千で同数??
要は秀吉側の先手が光秀側になっていたかも?
・高山右近
・中川清秀
・池田恒興
そうなれば面白かった!!
光秀の最後は小栗栖???
どうもそうではなさそうである!!
脚注
メチャメチャ多い………
惟任光秀年表
1528年 享禄元年 1歳 美濃で生まれる
1547年 天文16年 20歳 美濃の土岐頼充に仕える
1556年 弘治2年 29歳 越前に移る
1560年 永禄3年 36歳 桶狭間の合戦
1563年 永禄6年 36歳 玉子(のちのガラシャ)が誕生
1565年 永禄8年 38歳 「永禄の政変」第13代将軍 足利義輝を暗殺
1568年 永禄11年 41歳 織田信長が足利義昭を立てて上洛
1569年 永禄12年 42歳 長男・明智十五郎(光慶)が誕生
1570年 元亀元年 43歳 比叡山 延暦寺焼討ち
1573年 元亀4年 46歳 義昭挙兵
1574年 天正2年 47歳 多聞城の留守番としtw派遣される
1575年 天正3年 48歳 長篠の戦い」 惟任に改名
1579年 天正7年 52歳 丹波八上城で皆殺し
1580年 天正8年 53歳 丹波一国を与えられる
1581年 天正9年) 54歳 京都天覧御馬揃の運営を仕切る
1582年 天正10年 55歳 本能寺にて織田信長を自害させる
「山崎の戦い」で、明智光秀敗死!
おわりに
読者の事を考えて書いたと!!
大河ドラマに便乗するのではなく、勝負する気で書いたと!!
信長を操り、見限った男 光秀 史上もっともミステリアスな武将の正体 ② ・乃至政彦
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