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2023年9月25日 (月)

本・明智光秀と斎藤利三 本能寺の変の鍵を握る二人の武将(2020/3)・桐野作人

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2020年のNHK大河ドラマは、明智光秀の生涯を描く『麒麟がくる』
新史料から明らかになった、「本能寺の変」438年目の真実???
政変の決断はわずか3日前だった! キーマンは明智家中にいた!
明智光秀による「本能寺の変」の仕掛け人は、斎藤利三だった??

明智光秀家の家老であり、「本能寺の変」の仕掛人と推定される斎藤利三!
学説の最近のトレンドは「本能寺の変の原因は四国問題にあった」というもので、
四国政策(対長曾我部対策)の転換において、斎藤利三の関与が重視されている!
明智光秀や「本能寺の変」に対するイメージがガラッと変わる???


推理小説みたいなものである???
著者の本もよく読んでいる!
小説では
『反・太閤記 光秀覇王伝』
『織田武神伝』
かなり濃い作品は??
『だれが信長を殺したのか』
『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』
『真説 本能寺』
その他も読んでいるが………
テレビ出演も多い!

最近話題の四国問題と斎藤利三つである!
子孫と言う人間のように押し付けるのではない!
こうではないかと言う!
史料を読み解き、たいがい矛盾点があるが想定する!
そんなにきっちろ記録されるのか?
人から聞いた話に、風説もある!
結局は分からない………
内容は下記の通りである!!

 

はじめに  織田政権ナンバー2としての光秀
序 章 光秀の前史―知られざる雌伏の前半生
第一章 光秀、ナンバー2に上りつめる―畿内方面軍の形成
第二章 斎藤利三とは何者か
第三章 信長、四国政策を急転換す
第四章 光秀謀叛―その真相を考える
終 章 光秀と利三の最期
おわりに  光秀と京との関係
おもな参考文献

 

はじめに  織田政権ナンバー2としての光秀
15年間の付き合いで破局を迎えた!!
外様新参者がここまで来た………
原因は何か分からない?
本書は、四国問題と、利三に注目している!
信長から自害を命じられてかろうじて免れる!

著者もよくこれだけの史料に、文書など読んでいると!!
信長の方面軍!
・柴田勝家  織田家武闘派の巣窟
・佐久間信盛 追放
・羽柴秀吉
・滝川一益
・明智光秀  長浜、丹波と京の東西を抑えている!
また教養がある??
「天下人」とは?
光秀は、なり替わりうる立場にいたと???

 

序 章 光秀の前史 知られざる雌伏の前半生
◇ 出生に関しては分からない?
美濃土岐家? 土岐」明智家?
史料も違うようだ?
史料と言っても戸籍謄本があるわけではない!
自分が喋ったのか?
はったりもある??
傍流か、身分は低かったようだ!!

◇ 越前に10年間暮らした!
美濃の土岐一族で浪人して朝倉義景に仕える!
これは確実だと!!
福井県福井市 光秀屋敷跡に「明智神社」がある!
小さな祠である!

◇ 足利義昭が三好三人衆に追われ、越前に逃れた時、義昭に仕える??
と推測される?
光秀は医学に通じていた!
田中城? 二つあるがどちらか??

この時期はよく分からない!
・義昭とのつながり
・信長との関係
・三好三人衆
・六角承禎
・浅井と六角の抗争

約束の不履行、裏切りなんでもござれか?
読んでも分からない???

◇ 没年齢は??
・55歳 明智軍記
・57歳 綿考輯録
・63歳 織田軍記
・67歳 当代記
どうも、55歳に57歳説の方が当てはまりそうだと!
長男十五郎光慶が13歳だった?
それから考えても50代ではないかと!!
確実なことは分からないが、納得出来る??
【思うに光秀も何年生まれか分かっていなかった?】

◇ 光秀はなぜ急激に出世できたのか
・永禄11年 1568年 信長が義昭を越前から美濃に迎え入れている!
この時であった可能性が高い!
信長の妻と縁がある??
帰蝶と親戚だと???
著者の推測は??
・新参ながら柴田勝家らと並ぶ!
・三好三人衆撃退に奮戦する
・下級ながら幕臣で身分が高い
・義昭と信長を結びつける役目を果たしたから?

 

第一章 光秀、ナンバー2に上りつめる 畿内方面軍の形成
◇ 義昭から離脱、信長の家臣となる
光秀は、義昭と信長の両方に仕える!
・永禄12年 1569年には信長の家臣になっている!

光秀は武将としての才能もある!
・元亀2年 1571年 比叡山焼討ち、義昭から離脱を図る

◇ ルイス・フロイスの光秀評がある!
その才略、思慮、狡猾さにより、信長の寵愛を受けることとなり、
主君とその恩恵を利することをわきまえていた!
殿内にあって彼はよそ者であり、外来の身であったので、
ほとんど全ての者から快く思われていなかったが、
自らが受けている寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。

◇ 惟任日向守名乗りと「天下」
・元亀3年 1572年 坂本城築城
天主閣付き築城を許されたのは光秀だけである!

・天正元年 1753年 改元 信長が選ぶ!
朝倉、浅井を滅ぼし、義昭を追放!
・仝3年 惟任日向守を名乗る!!
信長は信忠に家督を譲る!
・仝4年 安土城築城

◇ 苦戦しながらも丹波攻略
・天正3年 1575年 丹波攻略を命じられる!
そのかたわら各地に動員される!
越前一向一揆、大阪本願寺、紀州雑賀、松永久秀、荒木村重、播磨三木城………

・仝4年 光秀病死の噂が広まる?? 死亡説もでる!
・仝7年 八上城 波多野兄弟が降伏! 鉄炮で負傷???
黒井城も落城!
信長は、光秀に丹後、丹波を与える!!
細川藤孝が丹後に入部する!

◇ 天下の面目をほどこし候
・天正8年 1580年 佐久間信盛追放
各方面に敵がいる!
・大阪本願寺
・毛利
・荒木村重
・播磨三木城 別所長治
・武田勝頼
・上杉謙信

信長は光秀を高く評価する!

◇ 畿内方面軍の成立と家臣団編制
・天正8年 1580年 大阪本願寺降伏
佐久間信盛追放で家臣団を編成する!

方面軍は?
・天正元年 1573年 信忠軍団
・仝3年 家督を譲られる!
・仝4年 柴田勝家 北陸方面軍
大坂方面軍 佐久間信盛

・仝8年 羽柴秀吉  中国方面軍
明智光秀  機内方面軍

・仝10年 滝川一益  関東方面軍
織田信孝  四国方面軍

光秀の家臣は
・初期   一門衆と古参の披官衆 美濃衆
・元亀2年 西近江衆、山城衆
・天正元年 旧幕臣衆
・仝3年  朝倉旧臣、丹波衆
・仝7年  長岡藤孝、細川忠興親子の丹後衆
・仝8年  筒井順慶、井戸良弘など大和衆
・準与力  津田信澄

光秀も明智の苗字を与えている!
【蒲生氏郷は、蒲生と郷の字を与えている! 蒲生郷舎!】

◇ 畿内近国の破綻と差出検地を主導
信長に「大和差出」を光秀と一益に命じる!
石高表示など統一し、軍役を課す!!

丹後も検地を実施している!
【これは歴史で習わなかったが………】

◇ 「天下」に手が届く光秀
光秀の方面軍は、他とは違う?
領国は京を囲むようにある!
現状は遊軍的存在? 何処にでも応援に出される!!
その気になれば京を占領できる??
もはやNo2か?

◇ 変容する「天下」
天下の概念!!
➀ 将軍が体現し維持すべき秩序
② 京都
③ 「国」を管轄する大名領域でない京都・畿内など「国」と棲み分けられた領域
➃ 広く注目を集め「輿論」を形成する公的な場

信長が変えていく!
A 地震と天下の一体化  遠国の大名に対してのものが多い
B 列島日本的な意味合い 信長に従えと
C 中国を含む東アジア  派手な馬揃えのパレード!

光秀は京を守護している立場であり、
信長自身を天下との考えには、危機感を抱いていたかも知れない?
自身No2の自覚があるならば??

◇ 光秀のナンバー2意識と「天下」守護の自負
② 京都
実際に京にしか勢力は及んでいない?
その京を囲む形での支配している光秀は、
信長に次ぐNo2に立場にあると自負していた?
その例としては、
➀ ゆるし茶 信忠の次に開いた!
② 洛中馬揃えの惣奉行 20万の見物客を集めた
③ 天正10年 正月参賀 「御幸之御間」見学 最初だったようだ!
➃ 坂本城の立地と存在意義
その京を囲む領域を抑えている自信がハードルを下げた??

 

第二章 斎藤利三とは何者か
◇ 光秀と信長の良好な関係
天正10年である!
・正月参賀 「御幸之御間」見学
・同じく茶会を開く
・3月  武田勝頼攻め
光秀は信長に最大限の忠節を示していた!!

◇ 光秀妹「ツマキ」の死去
・天正9年 光秀の妹「ツマキ」が死去!
立場は信長の内意を伝える死者の立場だと!
側室の可能性もある??
信長の近くで信長の内意などの傾向をもたらしていた?
その情報源を失う………
【これは大きくとらえられていない???】

◇ 重大な岐路  安土での家康饗応
天正10年 1582年 家康の饗応役を命じられる!
腐った魚は俗説であるが、何かあったようだ?
足蹴にされた?
こう言う話は誰が広めるのか?
そして斎藤利三の件がある!!!

◇ 斎藤利三 意外な登場
信長とおない歳のようだ??
稲葉一鉄の家臣か与力である!
一鉄の姪か、娘が妻で、春日局を生んでいる!
活躍している………

◇ 武勇を知られた利三
蒲生氏郷が利三に、武辺の大切さを説かれたと!
近江観音寺城攻めでも利三に教えられる!
氏郷が教えられるとは………

◇ 利三 光秀に仕える
利三が稲葉家から離れたのは?
・天正2年
・天正6年
・天正7年
・天正8年
いずれも軍記物である!

確実なものは、天正6年??
ちょっと遅いかも?
・著者は元亀2年 1571年、一気に所領が拡大した時機ではないかと?
【となれば稲葉一鉄と揉めるまでほっておかれたのか?】

◇ 親長宗我部勢力の中心人物として
・天正6年頃 長宗我部元親との関係を深める?
元親の息子に信長の「信」を与えて「信親」と名乗らせる!
利三は長宗我部元親と姻戚関係にある!
蜷川氏(利三の母の実家)、石谷氏である!!
利三の兄が石谷家を継いでいる!
・永禄6年 1563年 養父の娘が元親の正室になっている!

◇ 蜷川・石谷両氏と元親
この章長い!
が読んでいるとローカルな話になる??
斎藤、石谷、蜷川の三家は、明智と長宗我部の間に、
濃厚な親族・姻戚関係があり、両家のために連携していたと!

◇ 利三 秀吉と元親を取り次ぐ
対長宗我部外交は、光秀に、秀吉も絡んでいる!
秀吉は毛利の情報が欲しい!
長曾我部から欲しい!
ここで利三が間には行っていると!!
利三は黑井城を落とした光秀に与えられる!
その時期のようだ………

 

第三章 信長、四国政策を急転換す
◇ 良好だった織田・長宗我部関係
信長は、安房、讃岐の戦いについては光秀の相談するようにと!
敵の敵は味方!
信長も長宗我部も利用しようとしている?
信長は三好康長を長宗我部との取次にしていた!
が、元親が姻戚関係を利用して光秀を取次とした!

◇ 信長の四国政策の急転換
信長朱印状!
「四国の儀は元親手柄次第切り取り候へ」
これは残っていない!
・天正10年 元親重視から三好康長登用に政策変更!
当然、元親は反発する!
信長も余裕が出来て来ている!
外様の元親より、家来の康長の方が良いと??
もっとも元親も阿波平定は順調ではないようだ!
伊予、讃岐を没収、阿波半国を元親に与える??
この条件と思われる??
が、利三は元親に静観するようにと!
【そんな余裕はあったのか?】

◇ 元親条件闘争に転じる
しかし元親は恭順姿勢に転じる!
利三宛である!!
➀ 延びたが受け入れる
② 阿波の引き渡しに応じる
③ 海部、大西の両城は確保したい
➃ 勝頼、東国平平を祝す

しかし土佐一国も確保できるか分からない………
5月のことのようだ?

◇ 光秀・利三は元親の恭順姿勢を知らず
土佐までの使者は時間がかかる? 2ヶ月と言う!
5月21日の日付けである!
本願寺の変は、6月2日である!
要は、光秀・利三は元親の恭順姿勢を知らずに本能寺に兵を進めた?

◇ 信孝の登場と「四国国分令」
信長は四国政策を改める!
・讃岐  信孝
・阿波  三好康長
・伊予・土佐  信長が淡路島に出馬してから申し渡すと!

信孝は康長の養子である?

◇ 信長 信孝の四国出陣を全面支援
信孝は、信忠、信雄より待遇が悪い??
・天正9年 洛中馬揃えである!
信忠90騎、信雄30騎、信孝10騎………

信長も信孝に配慮している!!
信孝はこの時期、伊勢二群である!
兵はかき集める!
丹羽長秀と、蜂屋頼隆を補佐につけている!
渡航するための水軍も信長は手配している!
信孝は飾りか??
調略によって片が付く???

◇ 信孝 出陣前にオルガンティーノと語り合う
信孝は熱烈なイエスズ会支持者だった………
オルガンティーノに四国平定後、デウスの教えを広めると!
出航予定は6月3日!
それを迎えることは無かった………

◇ 信孝は光秀・利三の潜在的な政敵
信長の「近国掌握構想」
・北陸  柴田勝家
・関東  滝川一益
・中国  羽柴秀吉
政権中枢から遠ざけられている!

信孝は光秀のNo2の地位、既得権を犯す存在だと!!

 

第四章 光秀謀叛 その真相を考える
◇ 光秀はいつ謀叛を決断したのか 3日前の光秀書状
上杉家臣宛ての書状の話は出て来ない?
当然であろうと思う!

・5月28日 伯耆の反毛利の国衆をへの書状!
本能寺の変の3日前だと!
謀叛はつゆほどにも、におわせていない??
カムフラージュでもない!
どうも3日前は決断出来ていない??

◇ 謀叛の決断は2日前
で、いつだったのか??
翌29日??
信忠が家康と堺に行く予定だった??
が信長の上洛で信忠も京に行く!
この時、堺に行っておれば「本能寺の変」は??
信長、信忠を一緒にやれる機会が転がり込んできた?
「天が味方している」
光秀は、京に情報拠点を持っている!!

◇ 高柳光寿・桑田忠親説の再評価
・高柳光寿
四国政策の変更!

・桑田忠親
足蹴にされたこと!

両者古典であるがこれを評価すべきだと!!

◇ 比較的妥当で有効な2つの仮説
光秀本人の声は??
一 信長・信忠父子が悪逆だから
二 単独行為で黒幕はいない
三 野心もなく無欲で、光慶、忠興のためにやったと!

そこで原因は??
➀ 四国政策の変更と、光秀、利三の立場
② 折檻事件

◇ 信長の政治理念「天下静謐」の視点から
信長は征服欲ではなく、「天下静謐」のためだっと???
それから四国攻めは逸脱していると??

◇ 信長の光秀折檻事件A フロイス『日本史』の場合
これが出ているのは?
A フロイス『日本史』
B『稲葉家譜』

実際はどうなのか?
何故折檻されたのか??
Aではフロイスに誰が教えたのか??
信孝??

◇ 信長の光秀折檻事件B 『稲葉家譜』の場合
那波直治である!
光秀が引き抜いたと?
先の斎藤利三に次いでである!
この稲葉一鉄も問題が多い??
だから家臣が離反する??
光秀・利三が処分の可能性があった??

◇ 稲葉家との訴訟問題と利三の「勘当」
那波直治を引き抜いたのは利三?
これは不当だと??
なので利三は切腹を命じられる!
がかろうじて救われるが………
何らかの処置はあったのか??
利三も不安だった………

稲葉貞道の妻は、帰蝶と従姉妹???
えこひいきではないかと!!!
光秀・利三には不満が残る!
5月下中のことと………

◇ 光秀折檻事件の新史料『政春古兵談』
加賀前田家にこの記述がある!
利三を返すように光秀は信長に言われるが、拒否!
信長は光秀の頭を張った??

◇ 信長の家臣団統制の矛盾
矛盾??
佐久間信盛は蓄財に励み家臣を抱えなかった?
これを信長に責められている?
となれば光秀も家臣を多く抱える………
それを何故責めるのか??
依怙ではないかと?・

◇ 稲葉家との訴訟沙汰の裁許は政変の4日前
稲葉家との訴訟沙汰の裁許は政変の4日前?
先に決断は2日前だとあったが………

利三は、柴田勝家の家臣も引き抜こうとした?
これは紛争になったのか?
明智家の不満は頂点に達していた!
・稲葉家との訴訟沙汰は4日前の裁許
・信長の折檻 半月前?
・自害を命じられた利三の憤慨
明智の不満は頂点に達していた?

信長への反乱!
古参の譜代 表立って抵抗しない!!
・佐久間信盛 広大な領域を治めているはず!! 付いてくる人間はいない!
・林秀貞
・丹羽氏勝

外様は? 激しく抵抗した!!
・浅井長政
・松永弾正
・荒木村重
・別所長治
これらは援軍を当てにできた??
彼らなりに成算があり実行した??

光秀は籠城なんか出来ない!
光秀は佐久間信盛追放から学んでいる??
家臣を抱え、信長の気にいるように努力している??
京まわりに領地があり、兵力も動かし易い!!
天が、信長を討てる状況を作ってくれたと??

【以下の話は出て来ない!】
光秀は、明智秀満、明智次右衛門、藤田伝五、斎藤利三、溝尾勝兵衛に打ちあけている??
これらの関係者はみんな光秀と同時期に死んでいる!
誰が漏らしたのか?? 他にはいないはずである!!
口にした以上絶対に漏れるとして、やるべきだと!!
やっても漏れているが………
この話は出て来ない! 出すにはええ加減な情報なのか?

◇ 光秀の自負と国替の小農政
有名な話である!!
丹波・近江を召し上げて、出雲・石見を与えると??
こう言う話はあるようだ!!
・近江長浜  堀秀政  秀吉の領土である!
・越前府中  菅屋長頼
・上野国、信濃2郡  滝川一益
宿老を遠方に飛ばし、機内は若手で固める??
あり得そうである!
秀吉は、備中、備後か??

 

終 章 光秀と利三の最期
◇ 天正10年6月2日
運命の日である!
明智の兵は家康を討つと思った??
この時に、信忠は逃げる時間はあった!
逃れていれば歴史は変わった???
【どこに逃げる? 大阪に丹羽長秀らがいる】

◇ 近江占領  朝廷・五山などへの寄進、信長親子の供養
光秀はやることをやっている!
が秀吉が早過ぎた??

◇ 山崎の敗戦と光秀・利三の非業の最期
味方がいない!
・細川藤孝・忠興
・筒井順慶
・高山右近
・中川瀬兵衛

秀吉が圧倒的に有利である!
光秀と利三は首を繋いで磔刑に処せられる………
死体は友人が夜陰に紛れて盗み出し、葬る!!

 

おわりに  光秀と京との関係
著者も本能寺の変の著作は多い!
➀ 四国問題と光秀・利三
② 折檻問題
最近の研究では四国問題が重要である!!
本命になりつつある!!
本書は絞っている!!

【以下の話は無い】
・ときは今 あめが下知る 五月かな 読み方
・くじを2度、3度ひいた!
・ちまきを皮ごと食べた!

あくまで折檻問題を重視している???

 

おもな参考文献

 


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