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2023年5月 9日 (火)

本・誤解だらけの徳川家康 ①(2022/7)・渡邉大門

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家康は遺訓「人の一生は重荷を負て遠き道を行くが如し」で知られるなど
「寡黙な苦労人」と思っている人が多いが、
実はこの言葉は後世の創作だった!
「関ヶ原合戦で徳川家の覇権が確立」「神君伊賀越え」
「真田父子に恐れおののいた」などは、
近年の研究によって事実とはいえないことが判明!
これらは「松平・徳川中心史観」「アンチ家康」によるもので家康の神格化、
または面目潰しのためにつくられていたのだ!
本書では家康にまつわる様々な「誤解」を徹底的に検証し真実を解明!
従来の家康像を大きく覆し、新たな歴史を紡ぎ出す!

 

司馬遼太郎のファンである!
家康と言えば
・「覇王の家」が好きである!!
・「城塞」も楽しい! 大阪の陣はちょっとイメージが崩れるが………
・「関ケ原」で島左近が言う!!
律義者  本当の律義者は魅力が無い!
魅力があるのは、表向きは律義者を装い、裏では野望を秘めている人間だと!
つまり家康である!
反逆、裏切られ続けた信長との同盟を守り抜いた??

・「戸部新十郎 若き日の家康 三河武士団奔る」

現在では研究が進み、エピソードは否定されているものが多い!!
夢が無くなる………
俗説???
・新田源氏の末???
・世良田二郎三郎元信??  入れ替わり説は無視である!
内容は下記の通りである!! ① ②と分けて紹介する!!

 


はじめに
第一章 三河松平氏とはどういう一族か
第二章 桶狭間の戦い後の「清須同盟」はあったのか
第三章 なぜ徳川姓を名乗ったのか
第四章 家康は三方ヶ原の戦いで脱糞したのか
第五章 長篠の戦いは軍事革命だったのか
第六章 松平信康の切腹は信長の命令だったのか
第七章 家康饗応事件は真実なのか
第八章 本能寺の変後、なぜ家康は上洛を目指したのか
第九章 小牧・長久手の戦いはなぜ家康の「敗北」に終わったのか
第十章 秀吉に屈した真の理由とは何か
第十一章  五大老は上で、五奉行は下なのか


第十二章  石田三成と直江兼続の事前盟約説は本当か
第十三章  家康は三成の挙兵はどこまで予測していたのか
第十四章  秀忠の関ヶ原遅参は本当に大失態か
第十五章  関ヶ原合戦はなぜ虚説にに満ちているのか
第十六章  説合戦で家康の覇権は確立したのか
第十七章  家康はいつ秀頼を越えたのか
第十八章  秀頼との対立は何が決定的だったのか
第十九章  家康は真田氏を恐れていたのか
第二十章  大阪の陣で家康は死んだのか
終 章 家康は神になろうとしたのか
おわりに
主要参考文献

 

はじめに
小説は楽しい!
がエピソードの検証では夢が無くなるが………
本書もそうであるが、夢は冷めない方が良いのか??

東照公御遺訓も後世の創作? 寡黙な苦労人ではない!!
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし 急ぐべからず!
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし!
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え!
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる!
おのれを責めて人をせむるな!
及ばざるは過ぎたるよりまされり!」

「松平・徳川中心史観」 家康の神格化!!
・神君伊賀超え
・三方ヶ原の合戦時 脱糞した
・家康は真田信繁に追撃されて逃げた………

そう言うエピソードの検証、見直しがある!!

 

第一章 三河松平氏とはどういう一族か
新田源氏の末???
これはどうも嘘みたいである??
日本の家系も信じられるのか??
天下を取らなかったら、何を言われている???

だいたい記録が残っていること自体信じられないが………
はっきりしたことは分からないと!!

・松平姓の始祖は「親氏」 上野国徳川郷で生まれる!
・時宗の僧侶「徳阿弥」と称し、三河松平郷で、松平の家に婿入りしたと!
・「親氏」から「家康の父 広忠」まで8代!
・「十四松平」「十八松平」 数え方が違う?? どちらにしても一族か??
・3代信光  三河進出
・4代親忠 5代長親 三河で勢力拡大!
・6代信忠 無能?
・7代清康 三河統一!  駿河では家督争い 花倉の乱である!
 守山崩れ! 阿部弥七郎に清康は殺される! 支配体制が崩れる!
・8代広忠 10歳の子供である! 今川を頼る!!
織田信秀と戦う!! 
当時の小土豪は生き残るために強い方に付く! 常識か??
 
・竹千代を今川に送るが、織田に奪われる! 広忠は於大の方を離縁する!
広忠は家臣 岩松八弥に殺される!
【2代続けて家臣に殺される??】
竹千代は織田信広と交換されるが、駿府に送られる!
今川一門に準じられて、太原雪斎から学問を授けられる?
元服し、今川義元の「元」を貰い、「元康」になる! 
「康」は清康の「康」を貰う!
築山殿を嫁に貰い、信康と娘をもうける!!
初陣を飾り、家臣団も喜ぶが、桶狭間の合戦になる!!


第二章 桶狭間の戦い後の「清須同盟」はあったのか
今川義元の目的は??
➀ 上洛
② 三河支配安定
③ 尾張制圧
➃ 東海地方制圧説

最新研究は③ 尾張制圧説が有力視されている!
この桶狭間の戦いはよく分からないようだ!
・今川義元が討ち取られた場所
・兵力? 兵数??
・正面奇襲か?
・迂回奇襲か?

信長も何を考えていたのか??
信長と言えば父の葬儀の振る舞いがある!
筑紫の僧なにがしが言った?
「あれこそ国を持ちたる人ぞ」
これもどうだか???

後に今川が岡崎城を捨てたので、岡崎城に入城する!
「清州同盟」「織徳同盟」
がこれは無かったと??
内容は??
➀ 療育画定
② 戦線協定
③ 攻守同盟
一次資料、二次史料とも記述が無いようだ!
ではどこからこの話が何処から漏れたのか???

で、「奇襲攻撃」か「正面攻撃」か?
まず兵数である!
今川2~4万は多過ぎる??
信長2~3千??
奇襲攻撃は「尾瀬甫庵 信長記」だが、信用は出来ない??
これは「信長公記」を下書きにしているが、創作が多く歴史小説に分類される??

最近は「信長公記」の正面奇襲攻撃が主流である!
が、そもそも合戦時の記録は客観的なのか?
自分に悪いことは言わない!!
政治状況は分かるようだが………


第三章 なぜ徳川姓を名乗ったのか
元康は織田と結び、今川と戦う!
が、築山殿と信康と亀姫が今川の人質である!
これを今川の重臣の息子と交換する!
三河を回復する!!
元康は嫡男・信康と信長の娘、徳姫と婚約する!
名を家康に改名する!
「元」を捨てる!
そう言う例は多いのか?
竜造寺隆信!
鍋島信安、信真→信昌→信生→直茂の順に改名!!
要は信の字を捨てたと!! それで自立した??

この「家」は何処から来たのか??
八幡太郎義家の「家」???
松平から徳川への改名は??

ここで三河一向一揆が起こる!!
一向宗 浄土真宗!
これらが大きな既得権を持っている!!
流通機構を支配し、年貢も納めない!
家臣も迷うが一気に参加する!
・本多正信  この男は問題が多い!! トラブルメーカーである!!
・本多正重
・渡辺守綱
・蜂屋貞次
・夏目吉信
・内藤清長

「どうする家康の場面である」
・現世の罪は、現世限りだ!!
・進むものは王土極楽!!
・退くものは無限地獄!
・みんな武器を持って集まれと!!
分かりやすい!!
半年余りで制圧し、本願寺派寺院を破却する!
一向宗に走った家臣の帰参は許す!!
三河本願寺派は20年間、思うように活動出来ない!!

徳川への改姓は???
家康の本姓は「源}
ここらはややこしい! 先例がない??
正親町天皇は家康を公家にしたい!
家康の家系の徳川では先例が無かった?
徳川の源氏には二つの系統がある!!
藤原氏になっていた??
【あんまり家系は信用出来ないのでは???】
「源」から「藤原氏」に改名させる?
「徳川」は「得川」と書くのが根本だと!!

・天文二十一(1552年)~二十三年 甲相駿三国同盟!
【これも同盟はあったが、三者が集まったのか??】
が、今川義元の死で崩れる!
信玄の駿河侵攻である!
義信の自害で、武田家臣の粛清がある!
氏真は孤立し、謙信と結ぶ!
今川の家臣も信玄に寝返る!
この時、北条が味方する!!

家康は遠江へ侵攻する!
今川はポーランドになる!
独ソではなく、徳川、武田の侵攻される!
今川は善戦する!
が、もはや死に体で、戦国大名としては生き残れない!
氏真は北条に保護されるが、武田と結び放逐されて、家康に保護される!
【蹴鞠を披露した話は無い!】


第四章 家康は三方ヶ原の戦いで脱糞したのか
元亀三年 1571年 三方ヶ原の戦い!
その後53歳で死ぬ!!
・その死は3年間秘匿よせ! 3年後諏訪湖に遺骸を沈めること!
・後継者は勝頼の息子、信勝! 16歳まで勝頼が後見すること!

その死は直ぐに広がったようだ!
天正三年 1575年 長篠の合戦で大敗!!

三方ヶ原である!
家康は負ける!1 大敗である!
武田の誇る武将たち!!
山県昌景、秋山虎繁、馬場信春………
結果は2,000の損失?
武田は200???

ここでの逸話がある!!
・脱糞した? 実際に馬に乗って糞など出来るのか?? 鎧もある?
・「しかみ像」 実際には「三方ヶ原」「長篠」とあり、家康が書かせたものではなさそうである!


第五章 長篠の戦いは軍事革命だったのか
もはや否定されているが、武田の騎馬隊はあったのか??
子供の頃の理解では、騎兵VS鉄砲であった!!
突撃する騎馬軍団に、馬防柵があり、鉄砲3,000が火を噴く!

この戦いの前、鳶ヶ巣山砦を攻撃する案を提案したが、信長に拒否される!
が、後で漏れるのを恐れたからだと、攻撃を命じられ、成功する!
この酒井忠次の、提案の話は出て来ないが………
鉄砲3,000と三段撃ちは事実なのか?

長篠城を勝頼が攻める!
援軍を求めて、鳥居強右衛門が使者で、援軍の確約を貰い帰城する!
が捕まり援軍は来ないと言えと言われるが、来ると言い磔で死ぬ!
織田・徳川は3万8千!
設楽原で戦うが、日本は騎兵戦など出来ない!
高原、平原、草原、砂漠などが無い!
ここも水田、畑か??
合戦を一次史料で捕捉するのは困難だと!
具体的な検証である!!
・三千挺の鉄砲は??
規則正しい射撃ではなく、1000人の鉄砲隊に5人の指揮官が付き、
敵を視野に入れた時に、状況に応じて射撃した!!

・武田の騎馬隊は?
当時は馬から降りて戦った! 日本の馬は小型であり耐久力もない!
突撃は否定的である!

合戦後、家康は攻めまくる??
➀ 二俣城 攻め落とす
② 光明城、犬居を攻め落とす
③ 諏訪原城 攻め落とす
➃ 高天神城で武田と対峙する!! 武田が占領する!
勝頼は戦いを続ける!!

天正六年 上杉謙信死す! 御舘の乱で景勝が勝つ!
景虎が死ぬが勝頼は北条との関係悪化で、甲相同盟は破綻!

天正八年 高天神城を家康は攻め、信長が援軍を送る!!
天正九年 高天神城落城! 遠江の支配権を獲得する!


第六章 松平信康の切腹は信長の命令だったのか
天正七年 信康自害!
これは「本能寺の変」影響したと!
この事件は??
・元亀元年 家康は信康を岡崎城に入れて、三河を任せる!
家康は築山殿と不仲になっていた!
浜松城に行かず岡崎城に留まる!
信康は有能だったようだが、人格に問題がある??
徳姫を通じて信長の耳に入る!!
これにより信長は家康に二人の殺害を命じる!!

実際はどうだったのか??
徳川の武田政策である!
・家康 武田と戦い、方丈とも手を結ぶ!
・信康 武田との関係を見直す!

徳姫は信長に書状を贈り、家康は酒井忠次を派遣する!
家康は信長の意向に従い、武田と戦う!
ここで信康と意見が分かれて信康を殺す!
加担した築山殿も殺す!
決して強制されたものでは無いと!!

武田は滅亡に向かう!!
・天正十年 高遠城、高島城、深志城落城
・北条は攻めてくる!
・上杉は援軍を送らない!
・一門の穴山梅雪が裏切る!
・武田信豊 自害!
・岩殿城に向かうが、小山田信茂が裏切る!
・武田一門、親類、家老らは見つけ次第処刑される!
・天目山で最期を迎える!
・勝頼37歳、信勝16歳で死亡!!


第七章 家康饗応事件は真実なのか
展開は早く本能寺である!
・家康の光秀の饗応
・神君伊賀超え

光秀の失態とされるもの!!
・料理に悪臭が漂っていた?
・宿を光秀から堀秀政の屋敷に変更した?
・饗応役を外されて、秀吉の援軍を命じられる!
・光秀の用意した料理を琵琶湖に棄てた?
・森蘭丸が鉄扇で光秀の額を割った?
その他、足蹴にされたとかもある??
国変えの件もある!!
余り信用できる話ではないと!!

日本三大どうでもいい事件!!
・本能寺の変の黒幕
・龍馬暗殺の黒幕
・国鉄下山総裁の黒幕

日本人は陰謀論が大好きである!
著者はじめ多くの作家、研究者の本がある!
下らなかったのは、立花京子と光秀の子孫とか言っている人である!
時間の無駄だった!!!

「鎌倉殿の13人」
これに刺激されて色々読んだが、アホらしくなった!
障子越しに密談を聞いた?? それも政子が??
密談がなぜ漏れるのか??
光秀が信長への反逆を決意したと重臣に語っている!!
このメンバーも少し違うが…………
「いったん口にした以上いずれ漏れる!やるべきだと」
これは正しいが、その時のメンバーは負けた時に皆死んでいる!
誰が漏らしたのか???

フロイスの日本史!
・光秀と信長が密室で饗応の打ち合わせをしていて、足蹴にしたと!
「人々が語るところによれば」

光秀の饗応事件では多くの二次史料にはあるが、一次史料では確認出来ないようだ!

信長が、用済みの家康を討とうとしたと!!
家康を殺し、光秀、細川幽斉親子、筒井順啓らが本国を攻める??
この時家康は三河、駿河、遠江を支配している!
これが抵抗すれば…………
北条もどう動くか??
これを光秀らは3万もいない兵と思うが、討てるのか??
これは光秀が家康に伝えて逆に信長を討った………
理由は??
➀ 近畿周辺を信長の息子で固める! 居場所がない?
② 丹波、近江は取り上げ、遠国(石見・出雲か)に国替え?
③ 唐入りの計画??

「本城惣右衛門覚書」 必ず出てくる!!
光秀の軍に従い、書き残している!
家康を討つと思ったと!
ただこれは現在では、「秀吉への援軍が家康に変わった??」とされる!
それにそう思ったのは本人だけで、まわりの兵はどう思ったのか?
果たして信長は家康を用済とは思っていなかったのでは??
まだ北条、上杉、関東に奥州の敵がいる!!
まだまだ利用価値はあったと!!!

「唐入り」 これはあったのか???
信長である!!
日本を支配して一大艦隊を準備し、明に攻め込む!!
日本をキリシタン化してシナを征服し、キリシタン化する??
イエスズ会にとって明の布教は重要である!!
当時スペインは明征服を計画していた!!
スペインの明征服はあり得ても日本は………

神君伊賀超え??
どうも家康の神掛かった点を強調したようだ!!
長谷川秀一、茶屋四郎次郎らが交渉、金品をバラまいたと!!
まだまだ疑問は多い………
この時も自害しようとした???


第八章 本能寺の変後、なぜ家康は上洛を目指したのか
光秀が敗れて清須会議が行われる!
信長の後継者である!
この会談は、例えば「映画 清須会議」のようなものでは無かった?
・後継者は三宝法師と決まっていた!
・この後見人が信孝か、信雄か??
・二人は尾張と美濃の国境の策定である!
・この会議で秀吉は「頭一つ抜けた」が天下取りは意識していたか??

この時期、信長が死に関東は混乱している!“!
・滝川一益が北条に負けて敗走する!
・信長が行った武田亮の知行割は無効になる!
・家康は甲斐・信濃に侵攻する! 三河・遠江・駿河と支配する!
・北条は上野に侵攻する
・家康は北条と和睦する!!

家康の本なのでここで出てくる賤ケ岳の合戦はカットである!

信雄が秀吉とおかしくなる?
家臣を粛清する!!
小牧長久手の戦いの発端である?
秀吉と通じていた?
あるいは秀吉がちょっかいを出した??
介入する口実を探していた???
信雄も手を打つ!
・長曾我部元親の弟に書状を出す!
・毛利にもルートが無いが頼む?
・家康も直ぐに動く!
・秀吉も動く!

どちらも味方を募り、東海地方が戦場になる!!
書状をバラまく!!
各地の武将も隣国との関係がありどちらに付くが決める?

・天正十二年 1584年 長久手の戦いが始まる!!
この戦いは、秀次、池田恒興、元助、森長可らを家康は討ち取り、
局地戦で勝利する!
このポイントを家康は大事にする!
これも誤りがあるようだが………
戦場のことは分からないということである!
家康は後方攪乱を策す!
目的は上洛である!!

 

第九章 小牧・長久手の戦いはなぜ家康の「敗北」に終わったのか
家康はこのポイントを最大限に生かす!
和睦交渉になるが決裂する!
家康からであり、人質を出す!
・信雄の娘
・秀康
・久松貞勝 家康の異父弟
・石川数正の実子
・織田長益の実子
・滝川雄利の実子
秀吉は拒否する!!
再度戦うが、秀吉から和睦になる!
経緯と和睦条件は?
・一条目 長島が落ちそうになる!
・二条目 人質に精子を出す!
・三条目 南伊勢と伊賀は秀吉へ
・四条目 尾張で犬山、河田の城に軍を置きその他の城は破棄
・五条目 家康も和睦を浴する
・六条目 和睦が成立すれば秀吉は帰陣する

外交戦でも秀吉は有利に展開する!
上杉、佐竹………
信雄は毛利、長曾我部を動かせなかった!
結果は秀吉の完勝だったようだ!!


第十章 秀吉に屈した真の理由とは何か
天正十年(1582年)3月 武田氏は滅亡!
甲斐、信濃、上野の武田遺領は織田氏家臣に分与される!
本能寺の変で、北条氏が上野に侵攻し、滝川一益率を神流川の戦いで撃破!
越後の上杉景勝、相模の北条氏直、三河の徳川家康が、攻め入る!!
「天正壬午の乱」である!

徳川家康が南信濃へ、上杉氏は北信濃へ、北条氏は東信濃へと侵攻!
德川、北条で和睦が成立!
条件に、真田の上野沼田領と北条氏の信濃佐久郡を交換もあった!
昌幸は沼田領や吾妻領を巡り北条氏と争っていた!
天正13年1585年 昌幸に沼田領の北条氏への引き渡しを求める!
昌幸は拒否し、敵対関係にあった上杉氏と通じる!
家康は昌幸の造反に、家臣の鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉ら7千の兵を派遣する!
第一次真田合戦である!
真田は2千以下の兵??
結局徳川は負ける!!

真田が秀吉を頼り、信濃の小笠原も秀吉に走る!
そして石川数正である!!
徳川におりずらくなった???
秀吉の引き抜きか??
数正は「康輝」と名乗っていて出奔して「吉輝」と変える!
これで秀吉は家康攻めを決意する!!
が、天正の大地震で断念する!
一夜で崩壊した帰雲城もある!
ここで和睦になる!
どちらも和睦を欲していたのか??

秀吉は妹? 朝日姫を家康に嫁がす!
迎えに天野景能を派遣するが、秀吉は不満である!
無名なので………
この時期真田が徳川に属することを応じず、人質も出さない!
真田討伐は何とか免れる!!
家康は屈する!!
秀吉に臣従する!!

沼田・吾妻領の、真田と北条の争いがある!
北条に沼田城と知行地の2/3とし、
真田には名胡桃城と残りの1/3を与える!
が、北条が名胡桃城を攻撃する!
「惣無事」に背くと小田原攻めになる!
22万と言う兵である!!
北条は各方面から攻め込まれて、支城が陥落!
氏政らは死を命じられるが、家康の娘婿氏直は除名される!
関東が空く!!


第十一章 五大老は上で、五奉行は下なのか
関八州に信雄を入れようとしたが、拒否されて改易!
家康が行く!
【この時は抵抗しなかったのか? 人望も無かったのか?】
家康を関東に追いやった??
ではなく、北関東に東北の支配は完全ではない!
江戸は可能性を秘め、埋め立て、灌漑などが進む!!
もっとも江戸城の整備は江戸幕府が開かれてから、天下普請で整備される!

豊臣政権に組み込まれる!
慶長五年 1596年 内大臣になり「江戸内府」と呼ばれる!
五大老に五奉行! この呼び方にも異論があるようだ!
江戸時代以降に使われている!!

五大老は?
・徳川家康
・前田利家
・毛利輝元
・宇喜多秀家
・小早川隆景
小早川隆景が亡くなると、秀秋ではなく上杉景勝が加えられる!
前田利家の場合は、息子利長が継ぐが………

五大老の原型は?
・天正十六年である! 6名!
・織田信雄
・徳川家康
・豊臣秀長
・豊臣秀次
・宇喜多秀家
・前田利家

文禄四年 1595年 秀次切腹後、
起請文を提出! 家康、輝元、
➀ 秀頼を別心なく守り立てる
② 秀吉の定めた法度を守ること
③ 違反するものは処罰する
➃ 東国は家康、西国は隆景、輝元に任せる
⑤ 在京し下向する時は、家康と輝元が交代で暇を取ること

同じく連署掟!
・徳川家康
・毛利輝元
・前田利家
・小早川隆景
・上杉景勝
内容は?
➀ 諸大名の婚儀は秀吉の許可を得て決定する
② 諸大名は誓紙を交わすことを禁じる
③ 口論した場合、我慢した方に理がある
➃ 無実の主張があれば双方を呼び寄せ解明する
⑤ 乗り物の許可は、家康・利家・景勝・輝元・隆景、古公家ら………

ここからは分かり難い!
当時の呼び方である!
五大老は「奉行」と、五奉行は「年寄」と呼ばれた!
両者は自分たちの方が格上と思っていた!

五大老の仕事は?
➀ 朝鮮からの撤退
② 大名の謀反や家中騒動への介入
③ 領地の給与

五奉行の仕事は?
➀ 主要都市の支配
② 豊臣家直轄領の統括

毛利輝元は三成側に付く!
五大老で心得違いをするものは輝元は奉行に協力する!

秀吉亡き後、家康は婚儀を進める!
ここで対立するが、結局詫びを入れる?
実際は同格だった??
以後の騒乱は、両者の対立から生まれたと!!

 

誤解だらけの徳川家康 ①(2022/7)・渡邉大門

 

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