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2023年1月12日 (木)

本・鎌倉殿と執権北条氏 義時はいかに朝廷を乗り越えたか ①(2021/9)・坂井孝一

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伊豆の地方豪族だった北条氏は、いかに流人時代の頼朝と出会い、
熾烈な権力闘争の末に承久の乱を制したのか?
源氏、朝廷側からだけでは見えてこない幕府内の駆け引きや争いの一部始終と、
複雑極まりない人間関係を、時政・政子・義時を軸に描きだす!
第一人者が通説を検証し、激動の時代をめぐる疑問の数々に答える決定版!

 


・旧著 「承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱」
・前著 「源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか」
本書と3部構成である!
坂井孝一も今や売れっ子か???
他にもあるが、こんなに鎌倉時代を呼んだのは、大河ドラマである!!
影響力がある!!
内容は下記の通りである!!  ① ②と分けて紹介する!!

 


はじめに
第一章 伊豆国における北条氏
第二章 流人時代の頼朝
第三章 頼朝の幕府樹立と北条氏


第四章 頼家・実朝政権下の北条氏
第五章 承久の乱と北条氏
おわりに
関連略年表
主要参考文献

 

はじめに
「承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱」
11世紀の院政開始から承久の乱後まで、
朝廷の視点、後鳥羽の視点から論じたと!

「源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか」
奥州合戦から頼朝を、
二代頼家、三代実朝の治世について源氏将軍に視点から論じ、
実朝暗殺と源氏将軍断絶の意味について考察したと!

残存史料は乏しい!
「吾妻鏡」「愚管抄」あたりの名前は知っている!

「頼朝説話」 貴種流離譚?
流離の貴種が苦難・試練を乗り越えて勝利する!
これを原拠として「曽我物語」「平家物語」の文学物語がある!!

「真名本」
よく分からないが、権力者に忖度する?

豊臣秀吉が家康より長生きすれば、歴史も変わった??
秀吉の生い立ち、生まれも変わったものになっていた??
家康も神にはなっていない??
北条も伊豆の小土豪がのし上がった!!
頼朝の旗揚げ時、せいぜい30~20人の動員力が、承久の乱では十万人??
多少??? 目をつぶって改編もあるのか???
それにしても、これだけ史料を読み解くのは大変だろう!
自分の眼で見なければ分からない?
人の意見だけでは…………
北条氏の伸長を描く???
義時は武功はあまり聞かない???
そのあたりはどうなるか???

 

第一章 伊豆国における北条氏
第一節 平安末期の伊豆国
五畿七道とは?

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五畿??
畿内ともいい、大和、山城、摂津、河内、和泉の五国
七道??
東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道の七道

伊豆は東海道に含まれる!
古来より政治犯の流罪の地と言う!
海を利用できると!

伊豆の武士団は??
婚姻で複雑に結ばれている!
天城山系の西側!
狩野、田代、天野、仁田、南条、江間、近藤………

天城山系の東側!
伊東、河津、宇佐美、大見………

工藤一族?
桓武平氏の祖 平高望の娘を母とする、木工助遠江権守 藤原為憲が、
木工の「工」と藤原の「藤」を組み合わせて「工藤」を名乗る!
伊東氏も相続で揉める!
八重姫の父、祐親!
この当時は分割相続か??
後妻の連れ子に子供を産ませる??

祐親は家継の孫(長男・祐家)である!
祐家は、次男・祐継、三男・茂光がいる!
祐継が危篤になり息子・後の工藤祐経の後見を行う!
祐経を還俗させて自分の娘と結婚させる!
が、祐経は不満で「横領」されたと訴える!
こうなれば祐親親子を暗殺しようとする!
娘を取り戻すが、祐経は祐親の息子・祐康を殺す!

ここに「伊東説話」がある??
祐親の描き方も書籍によって違う様だ?

曽我兄弟の仇討ちは?
① 曽我兄弟の「実父の仇討ち」
② 頼朝の「実子の仇討ち」
③ 祐親の孫曽我兄弟の頼朝に対する「祖父の仇討ち」
仇討ちについては後で出てくるが、複雑である!

で北条氏である!!
桓武平氏 平貞盛の流れを汲む上総介平直方の子孫?
当時は中程度の武士団だった?
時政の京志向がある!
牧の方も京都出身である!
山っ気のある人物だと??

 

第二節 伊東氏と北条氏
伊東氏と北条氏の関係は??
時政の妻は伊東祐親の娘? 何女かは説があるようだが………
政子、義時の母である!
義時にとって祐親はじい様である!
祐親の娘は三浦義澄にも嫁いでいる!
ここらは複雑である!
河津三郎祐泰に曽我兄弟の母は嫁ぎ曽我兄弟を生むが、河津三郎祐泰は工藤祐経に殺される!
母は曾我祐信に嫁ぐ! 継父である!
弟は時政が烏帽子親で元服し、時致となる!!
祐親の息子・祐清の烏帽子親でもある!
複雑な関係である!!
生年月日があるが、よく分からない?
がこれから推測出来ることも多い??

◇ 妻:伊東入道の娘  順番はよく分からない!
女子:政子(源頼朝妻)
男子:北条宗時
女子:阿波局(阿野全成妻)
男子:北条義時
女子:畠山重忠妻
女子:足利義兼妻
男子:北条時房
女子:稲毛重成妻
同腹と見ている!!

◇ 妻:牧の方  女子が多い!
男子:北条政範  16歳で病死
女子:平賀朝雅および藤原国通妻
女子:三条実宣の妻
女子:宇都宮頼綱妻
女子:坊門忠清妻
女子:大岡時親妻?
女子:河野通信妻

それに生母不明の妻がいる??
どちらにしても子沢山であるが、女子が多い!
攻略結婚に使えるし、実際に使いまくっている!
こうしてみると、男子は義時と時房が残ったと!!
二人とも名を成した?
もっとも時房は「鎌倉殿の13人」で理解したが………!!

伊豆に流された頼朝は、伊東祐継(祐親のおじ)の下で始まる!
が43歳で亡くなり、祐親が乗り込む!
祐親の子供は??
伊東祐親の長男:河津祐泰
伊東祐親の次男:伊藤祐清
伊東祐親の長女?:北条時政前室
伊東祐親の次女?:三浦義澄室
伊東祐親の三女?四女?:八重姫
伊東祐親の四女?三女?
伊東祐親の息子:名前不明
これも異論があるかも知れない?
4人娘の順番も分からないが…………

本格的に婚姻関係で勢力を広げる!
北条、三浦に娘を嫁がせる!!
河津祐泰に狩野茂光の娘、曽我兄弟の母親と結婚させる!
工藤祐経と所領争いが起こると、嫁がせた娘を離縁させ土肥遠平に再婚させる!

平一門がこの世の春を楽しんでいるが、伊東祐親もその恩恵を受けている!
伊豆の勢力争いがある!
祐親のおじ狩野茂光の娘が河津三郎祐泰に嫁いでいるが!
この関係分り難い????
娘か孫娘か分かり難いが、推測している………

 

第二章 流人時代の頼朝
第一節 伊東祐親と頼朝
女癖の悪い頼朝の最初の妻である!
流人と言え貴人である!
まずは伊東祐親の娘・八重姫である!
三女である! が、名前は本当かどうか?
推理小説みたいになる??

京から戻れば八重姫が頼朝の子供生んでいる!
祐継が激怒する!
平家の家人でありながら源氏と関係する?
絶対にあってはならないことだと!
子供を殺し、八重姫を「江間次郎」に嫁がす!

祐継は頼朝を討とうとする!
が次男・祐清が頼朝を逃がす!
北条へ向かわす!
頼朝も今は敵対しない方がよいと!

千鶴殺害は、祐親にとっては当然の選択であると!
頼朝は恨みに思う!!

八重姫を江間次郎に嫁がせたのは、北条に近いところ言う、
祐親の思いやりだと???
そうかなと思うが??

祐親も「頼朝を殺したい」は無理もないことだと!

後に頼朝勝利で、祐親も捕らえられて、頼朝のところに引き出される!
が、助清が穏便に収めようと、時政のところに頼朝をやる?
これ以上揉ましたくなく、時政の元に行く!
無理なことではなく、収まったと!!
感状はどうなのか??


第二節 北条時政・政子と頼朝
頼朝は「東の小御所」に入る!
政子とのことも色々あったようだが………
時政の留守中に政子と結婚し子供が出来る??
時政もいなかった? 歓迎した??
山木兼隆と政子??
真剣に考えない方がよい??

時政は京志向がある?
京で、牧宗親と接触する!
この娘か、妹が牧の方だと!

「延慶本」「山槐記」
色々あるようだがよく読めるなと思うが………
実際には時系列もわかないようだが………
これだけ並べられると余計に理解しがたいが………

 

第三章 頼朝の幕府樹立と北条氏
第一節 決死の挙兵
・1180年 以仁王の挙兵である!
「以仁王の令旨」
平家打倒である!
失敗し源頼政らと討たれる??

地方では既得権益の問題がある!
・相模  大庭景親と三浦氏
・上総  平家・伊藤忠清と上総広常
・下総  千田親政と千葉常胤
・伊豆  山木兼隆と北条時政

頼朝の元に「令旨」をもたらしたのは、新宮十郎行家!
しかし立とうにも人が集まらない!
様子見である!
三善康信が京の状況を知らせてくる!
頼朝は挙兵せらず得ない!!
効果的に戦果をあげたい!
山木兼隆である!!
卜筮により挙兵時を決める!
が人である!
佐々木4兄弟も参加し、かろうじて勝利する??
30人~40人の兵力である!
上総広常は2万騎??
300騎の兵力か?
石橋山の合戦で大敗する!!
三浦勢は増水で来られない!
大庭景親が言う!
「今受けている平家の恩こそ大事だと」
梶原景時が頼朝を見逃す………
これも事実かどうか?
これくらいのことでもなければ助からないと!!
安房に逃れる………


第二節 「鎌倉殿」頼朝と北条氏
・三浦勢は畠山と小競り合いをして義昭を失う!
 が、安房で頼朝に合流する!
・千葉常胤が参陣
・上総広常も参陣
・武蔵に入り武将たちが合流する
・畠山重忠合流する!

時政は甲斐に行く!
甲斐源氏 武田信義、一条頼忠らとどう戦うかと!
富士川合戦の前の「鉢田合戦」に甲斐源氏は勝利する!

富士川合戦の実際は?
時政と義澄が殴り合って、川に落ち、その音で水鳥が飛び立ち勘違いした?
そんなことは無い!
どうも甲斐源氏に手柄を持っていかれた?
頼朝は上洛したかったが反対される!
上総広常、三浦義澄、千葉常胤らである!
まず関東を固めるべきであると!!
常陸の佐竹を攻める!
この時期に、義経が参陣する!!

頼朝は「武家の都」鎌倉の主「鎌倉殿」になり、
武士たちは「鎌倉殿」を主君とする従者「御家人」となった!


第三節 頼朝政権下の北条氏
旗揚げ時は北条頼りだったが、そうではなくなる?
頼朝の期待は義時に移る……
義時は「江間」を継ぐ!
義時は北条の跡取ではないと!!
「江間小四郎義時」

八重姫は丁寧に扱われる?
祐親と同じく三浦に預けられる?
八重姫に関しては著者の思いがある??
推論に推論を重ねる………
頼朝がまた手を出さないように注意される!
この時期、頼朝は婚姻の仲介をして勢力安定に努めている!
義時の後妻、比企の娘「姫の前」も頼朝の口添えと言う!
この「姫の前」と結婚した時、泰時の亡くなったと思われる母は?
「阿波局」のようであるが、誰なのか??
著者の推論で、八重姫ではないかと!
泰時は最初、頼朝の「頼」を貰い、頼時と名乗っている!
頼朝の死後、この「頼」を捨て「泰」を選ぶ!!
この記録は書かれていたい?

「亀の前」  頼朝の愛人!
この存在を、牧の方が政子に教える!
政子は「後妻打ち」を牧の方の父か兄の牧宗親に命じる!
がこれを知った頼朝は怒り、髻を切る!
これに不満を抱いた時政が、伊豆に下国する!

まず時政の地位の低下がある!
しかし頼朝にしてみれば北条を切り離すわけにはいかない!
義時が同行しなかったのが大きい!

平家追討には、時政、義時親子は目立った働きをしていない!
平家滅亡後、千騎を率いて上洛する!
後白河上皇を難詰し、義経捜索のために「文治の守護・地頭」を認めさす!
独断に走り過ぎて引き上げさせられる!

・1192年 政子の次男・千幡の祝賀行事を担当する
・1193年 曽我兄弟の仇討ち
・1197年 大姫死去
・1199年 頼朝死去

 


鎌倉殿と執権北条氏 義時はいかに朝廷を乗り越えたか ①・坂井孝一

 

 

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