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2021年9月 5日 (日)

本・関ケ原合戦全史 1582-1615 ② (2021/1)・渡邊大門

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第七章  関ヶ原合戦への道のり
第八章  関ヶ原合戦の開戦
第九章  東北の戦い
第十章  九州の戦い
第十一章 戦後処理と大名配置
第十二章 関ヶ原体制から徳川公儀の確立へ
おわりに
主要参考文献


第七章 関ヶ原合戦への道のり
進軍ルートである!
◆ 家康は東海道
◆ 秀忠が中山道
どちらが本軍なのか??
兵数より大名の質である!
どちらが本軍か??
これは家康が負けた場合のために
秀忠軍に徳川譜代の大名を付けた!

秀忠軍の方が本軍ではないかと?
そう言われている!!
その本軍が、真田に引っかかるのかと?

装備の面から考える!
「備」 戦闘単位!!
◆ 総大将の構える旗本備え
◆ 先備、先手備、中備、脇備、後備………
◆ 小荷駄隊

戦闘の手順!
① 鉄砲足軽の一斉射撃
② 槍部隊
③ 騎馬隊の突撃

両軍の違い??
秀忠軍は、信濃の大名も多い!
ではその役割は??
① 前軍、後軍の編成
② 役割が違う
③ 両軍は一体かつ不可分の関係になる
どちらが精鋭かの判断はしにくい!!
が個人的には、家康と秀忠の将の差がある!
豊臣の武断派を秀忠が使えるのか??
当然家康である!
だから秀忠の方に譜代が多い!!

この本では人質の話は出て来ない!
ガラシャの話もない!
まず伏見城攻防戦である!
鳥居元忠である! 奮戦する!
甲賀者の裏切りがあった!!
しかし圧倒的な兵力差で戦った!
死は覚悟しているが、攻める方も今一だった??
島津義弘が籠城への参加を申し出るが断られる!!
これは事実か??
この状況で、島津義弘ほどの武将が島津が参加しても勝てないことは分かるはず!
つまり後日の捏造か?? 最初から家康に付きたかったと!

〇 小早川秀秋の心中は??
① 上杉の反乱時、伏見城へ使者を送り家康に忠節を誓う!
② 兄、木下延俊の姫路城を譲り受けようとして拒否される
③ 家臣、稲葉正成、平岡頼勝は徳川方?
④ 稲葉正成の息子が家康に近習する
⑤ 三成からは、秀頼幼少時は天下を委任する
筑前、筑後、播磨に加えて、播磨一国を与える
⑥ 鳥居元忠に拒否される
⑦ 黒田長政らに使者を送っている
⑧ 心から西軍に服していない
去就に迷ったのは、秀秋だけでない!
伏見城に入場しようとしたが拒否される!
当たり前である! 城方にすれば、裏切られる心配がある!
ましてや攻防戦の最中に伏見城に入場出来るのか??

〇 脇坂安治・安元父子である!
播磨龍野である! 関ヶ原で裏切っている!
関ヶ原にも行っているが、大谷吉継の陣から小早川秀秋の陣が見える!
ここから攻め込まれたのか???
見えぬ目で見た!!
脇坂安治については、司馬遼太郎がよく分かる!
司馬遼太郎 貂の皮「新潮文庫・馬上少年過ぐに収録」
命をかけて出世した??

〇 阿波・蜂須賀家政は家康に付きたい!
阿波は一時毛利に占領される!

〇 丹後田辺城 細川幽斎
ここも真剣に攻撃したのか??
東軍に付きたかった武将もいる???

〇 毛利の伊予侵攻
関ヶ原の合戦後、撤退!

〇 伊勢 安濃津城の戦い
ここには九鬼家がいる! 吉川広家が攻める!

〇 北陸 前田利長
前田利長も兵数の割には今一か??
大谷吉継が活躍する!

〇 岐阜城 織田秀信
家康が江戸から出て来ない!
戦えば出動する! そう言われて福島正則は喜ぶ!
岐阜城攻めでは、池田輝政と先陣争いをする!
落城する!

〇 大津城 京極高次
関ケ原の合戦の勝利の一日前に降伏する!
しかしそこまで兵を引きつけたことを評価される!!

家康も三成も書状を出している!
いつも思うが、誰が運ぶのか??
見つかったらどうするのか???


第八章 関ヶ原合戦の開戦
家康は岐阜城落城を受けて
9月1日  江戸出発
9月14日 大垣到着
家康到着で東軍は士気が上がる!
秀忠の軍を待たずに開戦する!
それほど重要視されていなかった??

杭瀬川で島左近が小競り合いをする!
家康の選択は??
① 大垣城での決戦
② 西上して輝元との決戦

がここで家康、輝元の和睦がある??
毛利秀元に安国寺恵瓊は知らない!
井伊直政と本多忠勝、吉川広家である!
家康は関ヶ原に向かう………
関ヶ原は、関ケ原町と垂井町にまたがっている!
熱意が違った! ほとんど遺跡は関ケ原町にある!
しかし桃配山もそんなに人数が配置出来るのかと?
両軍15万である!!
こう言う場合、まず糞尿の心配をする!
そこら中に転がっていたのか??
石田三成は島清興に蒲生頼郷である!
地図が添付されているが、そこには蒲生郷舎とある!
ここらあたりはややこしい!

何故関ヶ原で戦ったのか??
境い目????
日本の中央だからか??
関ケ原の合戦が始まる!

〇 井伊直政と松平忠吉の抜け駆け
この章長い!!
戦法は名誉だと!
福島正則は譲らないと!
松平忠吉はそれまで登場しない??
関ヶ原で急に出てきた! それも抜け駆けで………
知っている話では、秀忠の代理だと????

しかし危険を冒してまで抜け駆けするのかと??
戦死の可能性も高い??
現に井伊直政は負傷している!!

著者の考えは?
井伊直政は先鋒を正則に譲って欲しいと要請した!
要は、抜け駆けは無かったと!!
妥当な考えであると思う!

〇 福島軍と宇喜多軍の死闘
弱体化したと言え戦意は高いと信じたい???
福島正則は切り崩されている???
乱戦だったようだが…………
しかし明石全登が活躍する!!

〇 小早川秀秋
宇喜多秀家の善戦も、秀秋の裏切りで崩壊する!
態度が不明なので、家康が鉄砲を撃たせた??
双方から良い条件を出されている!
ここでも黒田長政が調略している!
浅野幸長も説得する!!
と言っても会えるわけではない???
使者が行き交うが、バレるのではないかと思うが………
三成には、どうも戦力として期待されていなかった?
迷っていたが、問鉄砲は無かったようだ!!

〇 寝返った諸将
待遇が分かれる!
ここでは秀秋、脇坂安治、小川祐忠・祐滋親子を例に出している!
小川祐忠・祐滋親子は所領没収!
同じ裏切りでも評価が違う??

〇 黒田長政の奮戦
確かに奮戦している!!

〇 島左近の最期と西軍壊滅
鬼神のごときの戦いである!
が黒田隊の鉄砲により負傷する!
秀秋の裏切りで西軍は壊滅する…………
西軍で戦った諸将は落ち延びる………
秀家、小西行長、三成………
小西行長は記録が無いようだ…………
大谷吉継は腹を切っている!! 潔い!!!
長宗我部、長束、安国寺恵瓊は逃げる!!

毛利は輝元がすでに屈している!
それなのに、阿波や伊予に出兵して支配領域を拡大しようとした!
秀元の援軍要請にも応えていない!
秀元は戦う気があった!
が吉川広家がそうはさせなかった???
秀元は現実に関ヶ原を見ている!
この時、毛利が参戦しておればと言う気持ちがある!!
後に吉川広家に対してはきつかったようだが………


第九章 東北の戦い
政宗は上方より上杉討伐を優先させたい!
家康に出陣を願う!
すでに上杉を攻撃している!
政宗は引くに引けない???

〇 上杉は越後の一揆に侵攻がある!
まず越後に残っている旧臣に一揆を起こさせる!!
が失敗に終わる! 越後侵攻も頓挫する!
状況確認のための捨て石??

〇 小山評定後、江戸に引き上げる家康に対して追撃を主張した!
これも兼続に責任を押し付けるためではないかと?

〇 政宗の動向??
兼続は政宗を警戒している!!
「百万石のお墨付き」
家康も人が悪い! 守るつもりのない手形か??

これも「司馬遼太郎・関ヶ原」だが、
毛利家が東軍についても所領は安堵されないと!
恩賞として与える土地は取り潰さなければならない!
三成は計数に明るいのですぐに分かる!
政宗の百万石も与えられないはず?
なのにみんな信じたいことを信じる!!

〇 上杉の作戦は??
四方敵である!
佐竹善宜は味方か??
兼続の最上領への侵攻が始まる………
この攻めも、少し熱が入っていなかった???
政宗に救援を依頼する!
兼続は長谷堂城を攻撃するが落とせない!
兵力を温存したのか???
関ヶ原の結果が届いたのはいつか??
9月29日と言う…………
兼続は最上領から撤退する!!


第十章 九州の戦い
「滝口康彦・西の関ヶ原」は面白かった!
ちょっと悲しい感じもしたが………
九州は西が多い!!
東は黒田官兵衛と加藤清正??
杵築城主、松井康之もである!
他は西が多い!!
大友家再興をかけて大友吉統が兵を挙げる!
大友吉統は輝元の命を受けて豊後に入部する!
豊後を力で奪回しようとしたのではない!

黒田官兵衛はこれをチャンスと見て、家康に切り取り次第との約束を貰う!
兵は有名な銭で集めた………
清正とは強固な協力関係にある!
官兵衛は大友吉統を引き入れようとする!
大友吉統は旧臣らが集まってくる!
五,六千人の兵だと!!

杵築城は重要である!
官兵衛は大友吉統を捕らえる!
大友氏は諸説があるが滅亡する!!

官兵衛の策は??
① 小倉城を落とし、広島を狙う
② 備前を長政に与えて、官兵衛は別家を立てる
③ 清正と勝ち取った領土は自分のものにしたい!
二人は九州制圧を目論んだ!
それは薩摩を除いて成功する!!

立花宗茂が帰国しているが、降伏させる!
鍋島勝茂は裏切っている!

家康の薩摩侵攻作戦! 
毛利輝元に攻撃させる?
が、薩摩のなりふり構わない弁明がある!
黒田長政も仲裁する!!
薩摩攻撃は中止になるが、清正が抗議する!
結局は切り取り次第は認められないようだ!
政宗と同様か………


第十一章 戦後処理と大名配置
まずは、薩摩の関ヶ原からの脱出である!
その後、領地の配分が決まる!

① 毛利輝元は周防・長門の二カ国
② 安芸・備後は福島正則に
③ 細川忠興は30万石相当を豊前に
④ 山内一豊は土佐を
⑤ 島津はまもなく解決する
⑥ 東国も兼続が使者を出したので解決する
⑦ 前田利長には加賀一国を
「領地宛行状」は政治的理由で出されていない?

勝者の加増は?
① 結城秀康  越前75万石
② 松平忠吉  尾張52万石
③ 蒲生秀行  会津60万石
④ 池田輝政  播磨52万石
⑤ 前田利長  加賀129.5万石
⑥ 黒田長政  筑前52.3万石
⑦ 加藤清正  肥後51.5万石

加増に関しては確認している!
福島正則は過分であると!
黒田長政は四国2カ国と筑前かを選んだ!
外様大名は西国へ追いやられる!
それに対して一門、譜代は大幅な加増になる!!
この中で豊臣は摂河泉の一大名になった??
がまだ全国に飛び地はあったようだ!

伊達政宗の書状によれば、秀頼を立てて挙兵する者がいるかもしれない!
秀頼は家康が養育すべきだと!
まだ秀頼には威光があった???

西軍の武将は??
◆ 石田三成  捕らえられた説は諸説ある
◆ 安国寺恵瓊 逃亡生活の上捕まる
◆ 小西行長  キリシタンで自害せず
この3人はスケープゴードにされる!

◆ 毛利輝元  大幅な減封!
黒田親子が救おうとする!
が輝元の背信行為を責められる!
グレーゾーンでたいがいの人間にはあるが………
領地没収で広家に1.2国与える???
これの不満を唱えると毛利家が取り潰される!
結局、長門・周防の2カ国を与えると!
責任は全て安国寺恵瓊に押し付ける?

◆ 伊達政宗 
「百万石のお墨付き」は反故にされる!
やり過ぎではないか??
家康の方が一枚上だった!!

◆ 上杉景勝と直江兼続は??
1/3の知行になる………
ここも兼続に責任は押し付けられる??
堺屋太一言う、減らしたとは言え、家は残った!
毛利と同じく、成功ではないかと!

◆ 宇喜多秀家
薩摩に逃れる!
秀家は首謀者ではない!
殺すまでもなかった??
いずれ復帰できると思った!
薩摩はかばう! 島津と家康が和睦する!
結局許されて、八丈島に流される………
経済的には苦しかったようだ!
かっての旧臣たちが援助したようだ!
福島正則の家臣がたまたま流れ着いて酒を渡した話は出ていない?
敗者でありながら誰よりも長く生きた!!
この男だけが、養父の期待に応えたと!!

第十二章 関ヶ原体制から徳川公儀の確立へ
関ヶ原後、家康は征夷大将軍になる!
それでも秀頼と家康の双方に訪問していた!
が家康が秀頼を訪問しなくなる!
2年後、秀忠に将軍職を譲る!!
以降、忖度が始まる!
秀頼の訪問が少なくなる!
でも家康はそれなりの配慮を見せていた!

家康の政策??
◆ 鉱山の直轄化  大久保長安?
◆ 都市部への奉行配置 
◆ 京都所司代の設置 外様大名の監視
◆ 諸大名と姻戚を結ぶ
◆ 秀頼の関白就任を妨害する???
◆ 武家官位の推薦県の独占
◆ 御前帳と国絵図の徴収 城もか? 丸裸になる!
◆ 江戸城の天下普請 秀頼も協力する?
◆ 駿府城の普請
◆ 「五百石夫」 五百石で一人の人夫を出す
◆ 秀頼は外されるが………
◆ 改易と大名配置 対秀頼対策
伊賀 筒井貞次の改易と藤堂高虎の入封
丹波 前田茂勝の改易と松平康重の入封
10万石以下の家康派の大名を配置している!
◆ 後陽成天皇の譲位!
家康が上洛し秀頼と会見する!
二条城である!
加藤清正、浅野幸長、福島正則らが説得する!
◆ 三ヶ条の法令の誓約
徳川幕府を意識させる!
しかし秀頼は署名していない!
◆ 二重公儀体制??
たしか信長と義昭もそう言われていた??

家康は豊臣政権を温存しながら徐々にその権限を吸収した!
豊臣家の影響力は小さくなる!!
家康の遠謀が実った???

最後に「司馬遼太郎・関ヶ原」である!
最後に京に来た黒田官兵衛が言う!
あの男は成功した!!
秀吉亡き後、
三成ほどの寵臣が家康に走ったらどうなっていたか?

世の中の秩序が無くなる????
個人的には、三成の笹尾山の陣で関ヶ原を見た!
無念だっただろう……… 大谷吉継もである!!


おわりに
諸説、珍説は省いたと!
良質な一次資料を参考にしたと!


主要参考文献

 

関ケ原合戦全史 1582-1615 ② ・渡邊大門

 

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コメント

関ヶ原の話は、私も何冊も読んでますが、
今でも新しい本が出てるんですね。
やはりこの時代は、おもしろいですね~。
じろうさんの「関ケ原」を読んでみたいです!

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