
なぜ明智光秀は本能寺で織田信長を討ったのか。
下克上の時代とはいえ、戦国の覇王であり主君への謀叛の背景には謎が多い。
光秀の経歴も秘密めいている。
そのためさまざまな憶測がされ、信長への私怨説、朝廷か足利義昭か、
はては徳川家康による陰謀説などが語られてきた。
名門・土岐明智氏を自称しながら足軽衆としてキャリアをスタート。
主君を変えながら武功を重ねて頭角を現わした「知将」の人生をたどりながら、
明智光秀という戦国ミステリーの主人公を読み解く!
著者の本はよく読んでいる方である!!
かってコメントを頂いたこともある!!
著者の解説は大変興味深い!!
そもそも戦国時代である!
史料が正しいかどうか分からない??
その中での解説である!!
著者は本能寺の変関係の本も多い!!
内容が重複するが楽しい………
内容は下記の通りである!!
はじめに
第一章 本能寺の変の勃発
第二章 光秀の出自と前半生
第三章 京都における光秀
第四章 信長と義昭の決裂
第五章 「鞆幕府」の成立と光秀の動向
第六章 光秀の大躍進
第七章 本能寺の変「陰謀説」根拠はあるか?
第八章 光秀の最後
おわりに
主要参考文献
はじめに
史料の重要性がある!!
時々見かけるが、この記述は間違っている????
しかし同じ資料のなかでも、都合の良いところだけ信用している!!
論理の飛躍や、推論を重ねた暴論(?)もある!!
武将が、イラストで登場する! なかなか楽しい!!!
第一章 本能寺の変の勃発
〇 6月1日、重臣に決意表明を行う!
明智秀満、斎藤利三、明智次右衛門、藤田伝五、溝尾秀次の重臣と談合する!!
① 信長を討ち果たすべく「天下の主」となるべき調儀をしっかり行うこと!
② 中国へは三草山を超えるところを引き返し、
東に進路を向けて老いの坂を上がって山崎から出征することを主卒に伝え、
談合者が先手となること!
6月2日、本能寺の信長を襲撃する………
それは成功する……
「本城惣右衛門覚書」がリアルに表現されている!
ただし1640年の成立である!
本人は斎藤利三の息子の後をついて行っただけだと!!
家康を討つのだと思った???
斎藤利三主犯説がある???
四国問題に合わせて、信長殺しに光秀を導いたと??
第二章 光秀の出自と前半生
良く分かっていない人物である!!
名門土岐家の支族である明智家の人間??
光秀にはインテリ、教養人のイメージがある!
実際は????
〇 光秀の父親は??
① 光綱 明智系図
② 光隆 明智系図
③ 光圀 土岐系図
名門土岐家の支族である明智家につなげるには無理があると???
では一介の素浪人なのか???
〇 生まれたのは???
二次資料によるが、1511、1512年が有力という!!
それに1516年から1528年の間とも言う!
これ以上の詮索は、無意味のようだ………
〇 光秀の出身地は何処か?
● 岐阜県恵那市明智町
● 岐阜県可児市広見・瀬田
どちらも史跡がある???
光秀自身が、土岐明智家に系譜に連なるのか不明のようだ!
〇 「軍師・官兵衛」の史跡巡りをした!!
出生地とされるのは、近江木之元と播州西脇市!!
西脇は荘厳寺で、「黒田家略系図」所蔵による!
木之本は佐々木源氏の末!!
どちらも行ったが熱意が違う!!!
西脇は展示だけで誰もいなかった………
木之本は、ボランティアがいてお茶まで出してくれる!!
もっとも展示に間違いもあったが………
光秀の出生地も今行けば賑やかと思うが………
〇 「立入左京亮入道隆佐記」の記述!
光秀が書かれている! が土岐氏の重臣だったのは慎重になるようだ!
ここらあたりは色々書かれている!
足軽集だった??
明智と言う姓で、土岐明智に連想された!!
光秀自身が結び付けたのか?????
〇 足利義昭が頼りにしていたのは、謙信と信長?????
朝倉は頼りにならなかった………
光秀は鉄砲の名手である???
それほどの人間でありながら、一次史料には名前が出てこない!!
朝倉義景に仕えたというのも検証が必要だと!!
又、朝倉の本拠地、一乗寺に何故住んでいなかったのか???
色々疑問が残る!!!
〇 「フロイス・日本史」による光秀像!!
① 高貴な出身ではない
② 細川藤孝の配下にあった
③ 光秀は才略、深謀、狡猾さにより信長の寵を受けるようになった
身分は低かったようだ………
光秀の人物像は???
① 美濃国土岐明智氏の出身ではなく、美濃の土豪クラスではなかったか??
② 光秀が越前朝倉氏に仕えた効能性は低い
③ 光秀は藤孝に仕え、同時に義昭の足軽衆に登用された可能性が高い
第三章 京都における光秀
〇 信長の上洛がある! 義昭もである………
御所の道営と、殿中掟九ヶ条!!
調べると現代語訳がある!!!
● 御用係や警備係、雑用係などの同朋衆など下級の使用人は前例通りをよしとする。
● 公家衆・御供衆・申次の者は、将軍の御用があれば直ちに伺候すること。
● 惣番衆は、呼ばれなくとも出動しなければならない。
● 幕臣の家来が御所に用向きがある際は、信長の許可を得ること。
それ以外に御所に近づくことは禁止する。
● 訴訟は奉行人(織田家の家臣)の手を経ずに幕府・朝廷に内々に挙げてはならない。
● 将軍への直訴を禁止する。
● 訴訟規定は従来通りとする。
● 当番衆は、申次を経ずに何かを将軍に伝えてはならない。
● 門跡や僧侶、比叡山延暦寺の僧兵、医師、陰陽師をみだりに殿中に入れないこと。
足軽と猿楽師は呼ばれれば入ってもよい。
前の4ヶ条は、幕府に仕える人々の勤務体制について、先例を守るようにと!
後半の4ヶ条は、訴訟、裁判に関するものである!!
最後は門跡である!!!
追加の7ヶ条もある!!
〇 権力の二重構造がある!!
光秀は信長に行政能力を買われている!!
文章が多く残っているようだ………
〇 信長と義昭の関係が悪化する!!
五か条の条書を発行する! 義昭へのけん制か???
① 義昭が諸国に御内書を下す際は、信長に命じて副状を発給させること!
② これまでの義昭の下知は無効とし、よく考えてうえで定めること!
④ 義昭に忠誠を尽くす者に恩賞を与えるとき、土地がなければ、
信長の領土内から与える!
④ 天下の事は信長に任せたのだから、将軍の意見を得ることなく、
道理に従って成敗する!
⑤ 天下が平和になった以上、朝廷を疎かにしてはならない!
将軍義昭が出来ないことを、信長が代わりにやっていると!!!
光秀の立場は???
かなり疲れる立場ではないかと………
行政官として京都市制を担当する!
信長の使者を務めて、信長と義昭の取り次ぎを担当している!!
光秀は義昭に仕えているわけではなく、荷びながに仕えていたと!!!
第四章 信長と義昭の決裂
〇 信長は京に勢力の伸ばす…… 良く思わない人もいる!!
姉川の戦いがある!
本願寺が信長と戦う………
これにより朝倉・浅井も兵を出す!
これは天皇により和睦がなる!!
がこの時、比叡山天皇に綸旨を要求する………
信長に対する不信感がある!!
これは正しい!!
この時光秀は、勝軍山城と吉田神社を往来している!
比叡山焼き討ちに活躍する!!
光秀には現在の大津市あたりを与えられる!
〇 信長と光秀は微妙な関係である!!
しかし「異見十七ヶ条」が義昭に送られる!!!
原本は残っていない………
調べて見た!!
① 宮中への参内を怠らないように申し上げたのに近年怠っているのは遺憾である。
② 諸国へ御内書を出し馬などを献上するのは外聞がよくないので考え直すように。
必要ならば私(信長)が添え状を書き取り計らうと約束したのに、
約束を違え内密で行うのはよくない。
③ 幕府へよく奉公し怠りなく忠節を尽くす者に相応の恩賞を与えず、
新参者でそれほどの身分でない者をを厚遇するのはよくない。
④ 将軍と信長の不和が噂される中、
将軍家の重宝類をよそへ移されている状況が京内外に知れ渡り,
信長の苦労も無駄になり残念である。
⑤ 賀茂神社の所領の一部を没収し岩成友通(信長と敵対する三好三人衆)に与え、
内密で優遇処置をとったのは良くない。
⑥ 信長に友好的なものには、
女房衆以下にまで不当な扱いをするとはどういうことか。
⑦ 何事もなく奉公し何の落ち度もない者達(観世・古田・上野)が
扶持の加給がないため信長に泣きついてきたので
将軍に取り次いだにもかかわらず、
なにも聞き入れられず私は彼らに対し面目がない。
⑧ 若狭の安賀庄の行跡について粟屋が訴訟を申し立てている件について
私ももっともだと思い進言しているのに、いまだ決裁されていない。
⑨ 偶発的な喧嘩で死んだ小泉が遊女屋に預けていた刀や脇差など
身の回りのものを没収したのは良くない。
将軍の欲得と世間に思われる。
⑩ 元亀の年号は不吉なので改元した方が良いと世間一般の意見に基づき申しあげ、
宮中にまで催促されているのに改元のわずかな費用も献上せず
引き伸ばしているのは良くない。
⑪ 烏丸光康の懲戒の件は、息子・光宜へのお怒りは仕方がないが、
光康は赦免するよう申し上げたのに、密かに光康から金銭を受け取り許す、
このようなやり方は良くない。
⑫ 諸国から献上されている金銀があるのは明白なのに
宮中の御用にも当てず内密で蓄えているのは何のためか。
⑬ 明智光秀が京の町で徴収した地子銭を預けていたのに、
その土地は延暦寺領として、地子銭を差し押さえたのは不当である。
⑭ 昨年夏、幕府に蓄えていた米を金銀に代えたそうですが、
将軍が商売をするなど聞いたことがない。
蔵に米を蓄えている状態が世間の聞こえもいいのに、驚いている。
⑮ 寝所にお召し寄せになった若衆を良し悪しに関わらず厚遇するのは
世間から悪しざまに批判されても仕方がない。
⑯ 幕府に使える武将達が金銀を蓄える事に専念している。
将軍がそのような行動をするから部下がさては
京都を出奔するのかと推察しているためと思う。
上に立つものは自らの行動を慎むべきではないか。
⑰ 将軍が何事につけても欲深なので、世間では農民までが将軍を悪御所と呼んでいる。
なぜこのように陰口を言われるか、今こそ良くお考えになったほうが良い。
⑦ ⑩ ⑫ ⑬ ⑯ ⑰とある!!
将軍の器にあらずか???
〇 ここまで来ると、義昭も挙兵に踏み切る!!
近隣に兵はいない?? 他人の懐を計算している!!
がおそらく相手になっていない!!!
細川藤孝が義昭から離反する!!!
二度目の離反になる!!!
普通なら殺していると思うが、信長も将軍を殺した公暁や赤松満祐の例を知っている!!
追放している………
そうして浅井・朝倉が滅亡する………
その後、越前支配を担当する!
越前の一揆、長島のに一向一揆を制圧する!!
信長は畿内を支配した……… それでも義昭は諦めない………
第五章 「鞆幕府」の成立と光秀の動向
〇 京を追放された義昭を、毛利は京へ帰そうとする………
が、義昭は信長に人質を要求し、交渉決裂となる!!
鞆に迎い入れる!!
鞆幕府が成立する!!!
〇 鞆幕府の評価と内実
それなりの権威はあった………
何とか奉公衆を組織している!
集まった大名の名前は??
武田信景、六角義堯、北畠具親………
負け組である!! 信長憎しの大名である???
要は大それたことが出来るとは思えない………
でも義昭は、鞆でも過去大名に手紙を書きまくっているが………
毛利輝元を福将軍にしている………
軍事力もないし、過大評価するべきではないと!!!
〇 これを聞く度に思うのは、第二次世界大戦の朝鮮の上海亡命政府である!!
これをもって対日戦争に勝利したと!!!
同じような感じである????? たいそうに騒ぐ必要はない???
第六章 光秀の大躍進
光秀は大活躍する!! 行政官としても活躍する………
信長に便利屋みたいに使われる!!
丹波攻略を担当する!!
その前に越前に派遣される!
丹波攻略が始まる!
が、波多野秀治が反旗を翻す!!!
長期戦になる!!
大阪本願寺も敵にまわる!!!
ここも長期戦になる………
またまた松永弾正が反旗を翻す!!
今度は覚悟しているのか、許すと言われても降伏しなかった………
〇 信長は支配権を広げる!! 播磨にも援軍で行く!!!
活躍している!!! 使い勝手がある!!!
〇 播磨三木城が落ちる!
丹波も播磨も一度は織田に付いたが、叛乱している!!
〇 信長の四国政策とは??
四国に関しては信長と元親の共通の利害ある………
斎藤利三の兄の妹が元親の妻である?????
元親の長男、信親の信は信長の信である!
「四国は切り取りしだいである」
光秀、斎藤利三、石谷頼辰の血縁関係がある!
石谷頼辰の妹が元親の妻である!!
こう言った関係で、光秀が長宗我部元親との取次ぎを担当する……
元親と大津御所体制!
土佐は一条氏がいる!! 中村か???
大津御所体制で一条氏を形式的な国主とし、元親が補佐する!!
この体制を信長が利用しようとするが、無理がある…………
元親と信長の関係は良好であったと!!!
このあたりに事については、一級史料は無いようだ??
信長と元親は対立していたのか?????
次第に悪化していった………
〇 荒木村重が叛乱を起こす………
同じく光秀は丹波八上城攻略に行く!
波多野秀治ら三兄弟は降伏し、安土で磔刑にされる!
この時、光秀は母親を人質に出した………
という話で、磔刑にしたので殺されたと!!!
そうなると丹波に母親を同行させていたのか??
人質のために呼んだのか????
あり得ない話だと!!!
〇 丹波・丹後を平定する!!
丹波を支配し、丹後や大和の支配にもかかわっている!!
〇 京での馬揃えの運営を任される!
安土城で催された左義長? 火祭りである!!!
正親町天皇がそれを聞いて、京で馬揃えのイベントを希望した………
派手だったようだ………
正親町天皇を招いて行うことで、全国各地に信長の権威が伝わった??
畿内だけではないと………
この運営も必秀が担当している!!
正親町天皇の譲位問題がある!
① 譲位を迫り、朝廷を圧迫した?
② 逆に正親町天皇が感謝したと!!
著者は朝廷と信長の関係を見直す必要があると!!
著者は正親町天皇が喜んで譲位を受け入れたとする!!!
〇 光秀の軍法!!
「明智光秀家中軍法」 十八ヶ条ある!
前半の七ヶ条は戦場におけるルールを定めている!
八ヶ条目以降は軍役負担の規定である!
表現が戦国時代のモノではない部分もあり、問題も多いようだ!
第七章 本能寺の変「陰謀説」根拠はあるか?
武田家滅亡がある!!
木曽義昌が織田に通じた!!
ここでも真偽がはっきりしない出来事がある!!
〇 骨を折った甲斐があった 信長に跳躍された!
〇 宴会の最中に中座して、激怒された 事実とか言えない??
〇 家康の饗応事件 腐った魚事件である! これも事実は言えない!
〇 斎藤利三の引き抜き! これは事実で利三は切腹されそうになる!
〇 那波直治の引き抜き? 信長により稲葉一鉄に返した!
〇 四国政策の転換・秀吉と光秀の対立
最近の説である!!!
元親と信長の決裂
この時期、光秀の取次で信長と元親の関係は良好だったが、三好康長に変更された??
四国切り取りは事実か
二次資料「四国の儀は元親手柄次第に切り取り候へ」は言っていない可能性を考慮すべきだと!
光秀が信長から不利な状況に追い込まれたわけではない!
状況は複雑である………
四国出兵をめぐって
阿波・讃岐への信長の出兵は長宗我部元親討伐か???
信長の朱印状!
① 讃岐は信孝に与える!
② 阿波は三好康長に与える!
③ 伊予・土佐は信長が淡路に出兵した時に決める!
国人も使えるものは使い、使えないものは追放せよと!!!
果たして信長と元親が対立していたのか??
光秀と秀吉との対立構図はどうなのか??
長宗我部元親と光秀は運命共同体か??
血縁関係があると言っても光秀にはない!! 斎藤利三はある?
戦国時代、親子、兄弟、親族の殺し合いは当たり前である!
信長自身、弟を殺し、親族を殺している!!
光秀も道三と義龍の争いを見ている!
取次ぎを外されたからと言って、光秀は長宗我部に肩入れすとは考え難い!!
秀次の養子の件もあるが、秀吉と光秀の対立は、無かったのではないか??
〇 信長の「近国掌握構想」
今日を中心として一門、側近に与える!!
方面指揮官は遠方に追いやられる!!
家康も外様を遠方に配置した!!
丹波、近江坂本を取り上げて、石見、出雲を与えると!!
これも真偽は分からないし、光秀は信長に重用されていた………
〇 信長の三職推任問題
関白
太政大臣
将軍
朝廷が持ち掛けたのか?? 信長が強要したのか???
信長はいずれも断った………
〇 暦問題について
暦を握るのもが天下人である!!
日食や月食の時期が合わなくなる??
宣命歴 陰陽頭 土御門久脩
三島暦 尾張で使用
三島暦を信長は臨んだ………
実際に宣命歴は、日食や月食の時期が合わないのを信長が自分の目で確認してい!
これの変更を迫った…… 天皇の身を守るためだったと!!
実際には三島暦ではなく、美濃尾張の暦者作成した、地方暦という!!
〇 「朝廷黒幕説」は成り立つか
信長は急進的な革新者ではなく、天皇への奉仕も怠らなかった!
信長と朝廷は敵対していなかった………
興味深いが、信長と朝廷は成り立っていない!!!
〇 光秀の動きと「愛宕百韻」と諸説
愛宕山で戦勝祈願をした……… くじを二・三度引いた………
連歌会に出席している!!
「ときは今、あめが下知る 五月哉」である!!
しかしこれはこじつけに感じられるが………
わざわざ、これから謀叛を起こしますよ!
とのメッセージを披露するのかと!!!
下手すれば信長にバレルと!!
第八章 光秀の最後
〇 信長家臣の動向???
① 北陸 柴田勝家、前田利家、佐々成政、佐久間盛政
② 中国 羽柴秀吉、
③ 関東 滝川一益
④ 四国 織田信孝、丹羽長秀、蜂屋頼隆、津田信澄
⑤ 摂津 高山右近、中川清秀
③ 堺 徳川家康
〇 この時期、光秀は書状を出しているが、ウソも多い………
筒井順慶は与力が信長の命令に従う!
光秀に味方したいと言っても一存でどうにもならない!!
〇 光秀の藤孝に宛てた書状がある!!
① 藤孝・忠興がもどりを切ったことに対して、光秀は腹を立てが、
改めて親しく交わって欲しい!
② 藤孝・忠興には摂津の国を与える! 若狭希望するならその通りにする!
③ 不慮の儀(本能寺の変)を行ったのは、忠興らを取り立てるためである!
光秀は引退して、明智光慶と忠興に引き渡すつもりである!
これを見ても具体的な構想や展望はなかったと!
あったら反乱は出来なかった………
〇 秀吉の中国大返しである!
この速度が速いので、変を知っていたと疑われている!!
備中高松 沼城 姫路城 明石 西宮(兵庫経由)
22㎞ 81㎞ 34㎞ 34㎞
山崎の合戦場までは200㎞と言う!!!
人間目標があるとやる気になる………
6月4日 備中高松城から野殿
6月5日 沼城に到着
6月6日 姫路城へ到着
6月7日 姫路城に到着
これらの数字については疑問視されている!!
〇足利義昭黒幕説は???
鞆幕府の成立である!
これも無理がある!!
「本法寺文書」の解釈!
これも当てにならないと!!!
「美濃加茂市民ミュージアム所蔵文書」の解釈をめぐって!
光秀は義昭の上洛に協力すると!
室町幕府の再興までまではどうかなと!!
黒幕説は成り立たないと………
〇 山崎の合戦は兵力差がある!!
光秀圧倒的に不利な状況である!!
敗死し、討取られる!!!
では光秀は何故反乱に踏み切ったのか??
光秀単独犯であると!! 当然である!!
● 光秀は信長から優遇されていた!
● が不安はあった! 戦場での死、追放!
● 叛旗を翻す者、荒木村重、松永弾正、播磨別所氏、丹波波多野氏………
いずれにせよ、政権構想、将来展望もなく、突発的な単独犯という!
練りに練った計画ではなく、直前に思いついた反乱だから成功した!!!
おわりに
著者がバラしているが、出版社は売れる本を求める!!
著者も「黒幕は誰か?」 そう言う依頼があるようだ!!
著者は、光秀単独犯と言う!!
実際に思うが、綿密な計画を立てていたらクーデターは出来なかったのではないか??
栗幕説も連絡方法はどうしているのか??
密書も奪われたら終わりである!!
使者も問題だし、時間がかかる!!
タイムリーに情報が伝わらない!!!
秘密は共有する人間が多ければ多いほど漏れる!!
由比正雪の乱がいい例ではないかと思うが………
『明智憲三郎・本能寺の変 431年目の真実』ほど内容のない本は無かったが………
明智光秀と本能寺の変・渡邊大門
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