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2020年1月 1日 (水)

本・光秀と信長: 本能寺の変に黒幕はいたのか(2019/8)・渡邊大門

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明智光秀は若い頃から仕官をすべく苦労を積み重ねたが、
その能力の高さは、信長の下での活躍をみれば明らかだ。
そして、光秀はまた長い苦労の中で老獪な手腕を身につけていた人物なのではないだろうか。
教養豊かだが弱々しいという光秀像ではなく、
力強く武略に長けた野心家という光秀像を描かないと、
本能寺のの変の理由に迫るのは難しい――。
史料を縦横に駆使して信長、光秀の人物像を再構築し、
今なお論争の絶えない本能寺の変の真因を探る!
『信長政権』改題


大河ドラマの影響は大きい!! 
出版社も光秀に関する書籍を発行しているのか!!
この本は「信長政権」を改題している! 
信長政権は読んでいるが、時代は進んでいる!
改めて読むと大変面白い! 
それに当時より知識が付いている!!!
テレビでも特集が多い!
個人的には司馬遼太郎の影響を受けている!!
「国盗物語」の影響が多い!!
朝倉に仕え、義昭、信長に仕える!!!
当時の教養人であった!!
そんな理解が続いている………
内容は下記の通りである!!


はじめに
第一章 明智光秀とは何者か
第二章 信長の四国政策と光秀
第三章 織田権力の内情――信長と諸大名・家臣たち
第四章 十五代将軍の執念――足利義昭黒幕説の検証
第五章 天皇の立場――天皇・朝廷黒幕説の検証
第六章 本能寺の変とは何だったのか
おわりに
文庫版あとがき
主要参考文献
主要参考文献(追加)


はじめに
戦国時代の資料がある!!
研究者の意図は資料によるが、一級資料とそれ以外がある!
都合が良ければよれを採用する???

第一章 明智光秀とは何者か
・明智光秀のイメージ
当時の教養人であり、インテリと言う!!!
通説の否定???
● 家康の饗応役を外されて折檻を受けた!
● 武田氏を滅ぼした後、乱暴された!
● 丹波攻略で母親を人質に差し出した!
● 近江、丹波を召し上げて、石見、出雲を与える!
こう言う話は多いが、確実性に欠けると!!!

・光秀の出自・経歴
光秀の父親?? どれも当てにならないと???
① 光綱
② 光隆
③ 光圀
名門土岐家の支族である明智家につなげるには無理があると???
では一介の素浪人なのか???

・信長に仕えるまでの光秀
光秀の出身地!!
● 岐阜県恵那市明智町
● 岐阜県可児市広見・瀬田
どちらも史跡がある???
足利義昭、朝倉義景に仕えたというのも検証が必要だと!!
光秀が文化人だという事が、そう言う関係になっている!!

・『細川家記』は信頼できる史料なのか
だいたい細川家をよく言うためにある!!
参考文献もあまり信用出来ないものも多い!
割り引いて考えるべきなのか???
高い評価は検討の必要があると………

・光秀の来歴を物語る史料
「家中軍法」
「フロイス・日本史」
光秀は信長に仕えるまでは、自身ががれきの下に沈んでいたと!!
不遇であった!!
「裏切りや密会を好み、刑を処するに残酷で、
 独裁的であったが、

 己を偽装するのに抜けめなく、
 戦争においては謀略を得意とし、

 忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった! 
 友人たちには、

 人を欺くために七二の方法を体得し、
 学習したと吹聴していた」

何処が教養人なのか???
「計略と策謀の達人」だったと言う!!!

・光秀の性格や教養
「愛宕百韻」
「ときは今、あめが下知る 五月哉」
本能寺の変の決意表明か???
しかしばれるようなことを表敬するかと!!
細川藤孝と違い、普通の教養人であった………

・光秀の人物像をめぐって
① 美濃国土岐氏の支族・明智氏の系譜を引く名門?? 可能性は高い??
② 諸国を遍歴し、朝倉氏に取り立てられた過去がある??  ?????
③ 将軍・足利義昭に仕えていた??   ?????
④ 和歌・連歌などに優れた、一級の教養人であった?? 普通の教養人!!

・信長の配下に
将軍・足利義昭が朝倉から織田信長に動いたときに仲立ちをした???
その可能性は薄い!!
朝倉にも義昭に仕えたことも疑問である!!!
信長の美濃侵攻により、美濃衆が信長に仕える!!
西美濃三人衆も信長に仕える……… そこで光秀も信長に仕えたと………

・光秀のデビュー
足利義昭を襲撃した、三好三人衆と戦う!!
それ以前から仕えている???
新しい京都支配に、秀吉と光秀だった!!
つまり光秀は評価されていた!!!

・信長と義昭の相克
五か条の条書
①  昭が諸国に御内書を下す際は、信長に命じて副状を発給させること!
② これまでの義昭の下知は無効とし、よく考えてうえで定めること!
③ 義昭に忠誠を尽くす者に恩賞を与えるとき、土地がなければ、
  信長の領土内から与える!
④ 天下の事は信長に任せたのだから、
  将軍の意見を得ることなく、道理に従って成敗する!
⑤ 天下が平和になった以上、朝廷を疎かにしてはならない!
  信長は将軍・義昭を手ごまとして使っている………

・光秀は義昭に仕えていたのか
この事実と、信長と義昭の両方に仕えていたのは、疑わしいと!!
その文章も、他の解釈ができると………

・義昭と光秀との関係
光秀は信長から義昭につけられた付家老だと!!
ようは信長から送り込まれた監視人、スパイか???
融和を張ろうとしているようだ………
著者は、光秀の両属性の立ち場は特殊なものではないと!!
その見方がおかしくしている????


第二章 信長の四国政策と光秀
最近と言うか近年話題の四国説である!!
著者の解説には納得させられるが………
・信長の四国政策
四国に関しては信長と元親の共通の利害ある………
斎藤利三の兄の妹が元親の妻である?????
まわりくどい書き方であるが………
元親の長男、信親の信は信長の信である!
「四国は切り取りしだいである」
結局これはお互いに必要だからである???
阿波と讃岐の三好の残党の件があるから………

・大津御所体制と元親
土佐は一条氏がいる!! 中村か???
大津御所体制で一条氏を形式的な国主とし、元親が補佐する!!
この体制を信長が利用しようとする???
それは無いと言う………

・複雑な関係
光秀、斎藤利三、石谷頼辰の血縁関係がある!
石谷頼辰の妹が元親の妻である!!
こう言った関係で、光秀が長宗我部元親との取次ぎを担当する……
元親は自力で四国制覇を成し遂げようとする!!

・元親と信長の決裂
十河存保が阿波に渡海する!
この人物が、反信長か、親信長か???
この時期、光秀の取次で信長と元親の関係は良好だったようだが………
しかし取次ぎが、三好康長に変更されたようだ??
信長は、伊予・讃岐を取り上げて、土佐に阿波半国を元親に与えると!!
元親は当然不満である!!!

・四国切り取りは事実か
① 「四国の儀は元親手柄次第に切り取り候へ」は言っていない可能性が高い!
② 阿波・讃岐では、十河存保が反信長、長宗我部元親・三好康長が信長配下で、
  元親・康長は敵対していない!
③ 康長が副状を発したのは光秀より現地に詳しいから!
④ その後光秀が信長から不利な状況に追い込まれたわけではない!
状況は複雑である………

・信長と元親は決裂したか
元親は毛利と結んでいる???
その書状があるが年代が問題である!!
秀吉が毛利と備中高松で対峙している??
毛利が秀吉と和睦、停戦しているが、この時期柴田勝家などがいる!
まだ秀吉の天下が決まっていない……… 
毛利も長宗我部元親も保険をかけている??
黒田官兵衛の淡路、阿波、讃岐の攻撃があるが、この年も問題になる!
果たして信長と元親が対立していたのか??

・四国出兵をめぐって
阿波・讃岐への信長の出兵は長宗我部元親討伐か???
信長の朱印状!
① 讃岐は信孝に与える!
② 阿波は三好康長に与える!
③ 伊予・土佐は信長が淡路に出兵した時に決める!
阿波は国人衆の抵抗が激しい!! 後の蜂須賀家も入部時に反抗されている!
四国出兵は、長宗我部元親でも苦戦している阿波・讃岐への信長軍の攻撃かによる平定か?
国人も使えるものは使い、使えないものは追放せよと!!!

・信長の四国プラン
これまでに信長が空手形を発行した例を紹介している!!
まず信長の四国政策の変更があったのか???
著者言う、阿波・讃岐の処分も一時的なもので、
長宗我部元親も国替えになる可能性もあったと?
① 「四国の儀は元親手柄次第に切り取り候へ」の話は無かった!
② 阿波・讃岐の平定は長宗我部元親との共同作戦である!
③ 本能寺の変以前に元親と毛利が結んだ可能性は低く、
対立関係にあったとは考えにくい

・光秀と秀吉との対立構図
長宗我部元親と光秀は運命共同体か??
血縁関係があると言っても光秀にはない!! 
斎藤利三はある?

戦国時代、親子、兄弟、親族の殺し合いは
当たり前である!

信長自身、弟を殺し、親族を殺している!!
光秀も道三と義龍の争いを見ている!
取次ぎを外されたからと言って、
光秀は長宗我部に肩入れするとは考え難い!!

秀次の養子の件もあるが、
秀吉と光秀の対立は、無かったのではないか??

・光秀は追い詰められていたのか
そんな事は無いと……… 重要な例がある!!!
① 有名な馬揃えの総括責任者に光秀を指名している!
② 武田滅亡の戦い(骨を折った甲斐があった)があるが、
  側近として参加している!
  この話もなかったとされている!
③  信長が丹波国衆に四国出兵の注意事項を命じている! 
  これは越権行為か?
  それが、短波・近江を召し上げて、
  石見・出雲への国替えにつながると???

  これは無いという!!!

・四国政策を再考する
このあたりに事については、一級資料は無いようだ??
その調査の苦労が分かる話である!!
信長と元親は対立していたのか?????
はたまた、秀吉と光秀は?? 沿うような事実は無かったのか????

最後に付記がある!!
「四国の儀は元親手柄次第に切り取り候へ」は言っていない可能性が高い!!!
これは新たな文書の発見で、その事実と、関係悪化の原因の可能性が高いと!!


第三章 織田権力の内情――信長と諸大名・家臣たち
・信長の性格
後継者争いは何処にでもある!!
大友家、武田家、毛利家、今川家、上杉家、足利家、伊達家………
お家騒動はあっても、その方が上手く行く!!
信秀の葬儀になる!! 弟は信行?? 信勝??
信行と教えられたが………
出来が良い弟がいる!! 家中の支持もある………
信秀の葬儀がある!!
この時筑紫の僧何がしが言ったという!!
「あれこそ国を持ちたる人ぞ!!!」
これはやらせとも言われている??????
信勝は信秀亡き後、自身の権限を強化する………

・信長と信勝との対立
信長は使え難い主君か?????
何を考えているか分からない???
柴田勝家は信勝に付いている!!!
信長の弟が殺される!!!
これに対する二人の行動が違う???
信長は弟が悪いと!!!
直接的な対決は信長が勝ち、詫びを入れて許されるが、後に忙殺される!!
信長の基盤は盤石ではない………

・兄弟・一族との戦い
老臣・坂井大膳
斯波義統
織田信光
織田彦五郎
織田信広
兄信広は反抗したが、信長は許し配下として使った!!
そう言う合理性を持ち合わせている!!

光秀も縁戚関係にない長宗我部元親と心中する必要はないと!!
実際にそうはしていなのと!!!

・粛清された家臣たち
佐久間信盛を例に出しいる!
この本には出ていないが、二分長に叱責されて言う!
「そうは言っても私たちほどの家臣はなかなか持てなおものです」
著者がこれを出していないのは、信頼性に欠けるからか???
長年仕えてきたが不要となり追放される???
佐久間信盛も信長に折檻状を付きけられる………
明智光秀、羽柴秀吉、柴田勝家らと対比されて叱責される!!
同時期、林秀貞、丹羽氏勝、安藤守就らも追放される!!
過去に信長に反抗している………
光秀はこれを見て、いずれわが身かと………

・荒木村重と信長
荒木村重は新参者である!
信長に重要視されているので能力はある!!!

・村重、謀反
村重の謀反理由は???
① 村重に過失があり、信長から嫌疑をかけられた!
② 光秀が自分の謀反ために、村重に謀反を勧めた!
③ 毛利に味方した方が、自分を生かせると!
① と②はどうかなと??
毛利に味方した方が良いという、
十分な総合的判断があった!!

本願寺、毛利、与力の高山右近に中川清秀らが味方する!!
この情勢判断に賭けた……… 根拠はあった………

・謀反の経過
信長は村重を翻意させようとした!!
が、無理と分かる!! が村重の情勢判断が狂う!
① 高山右近に中川清秀が信長に付く!
②  木津川沖海戦で毛利が負ける!
村重は追い詰められている………
村重は立場が危うくなる危機感からではなく、
総合的に判断して謀判した………
合理的に失敗した?????

・別所長治と信長
三木城は東播磨の重要拠点である!!
城も強固なものと言う!!
信長に付いたが裏切る………

・三木合戦の端緒
要は田舎侍と思われたと???
別所氏の主張がある!
① 別所氏が提案した作戦が無視された!
② 秀吉の態度は高圧的である!
③ 西国征伐は信長の利益になるだけで、別所の本意ではない!
これは正しいのか??????

・謀反に及んだいくつかの理由
資料があるが、確かではないと????
書く側の立場により変わってい来る???
「名門の別所氏が出自すら判然としない秀吉に従えなかった」
これは本当なのか???

・別所氏が裏切った真の理由
毛利、足利、本願寺の情勢判断を行い、
播磨国内の国人も反旗を翻している情勢から、合理的に判断した!!!
① 別所氏が、当時の情勢を冷静に判断した結果である!
② 義昭による熱心な離反工作があった!

・俗説への疑義
信長と家臣・初代尿との関係は??
① 信長と血縁者
② 譜代の家臣
③ 新参の家臣
④ 新参で配下にあって協力した大名

光秀の関係になる!
① 血縁と言えども粛清される! 
  元親との関係で光秀の立場が悪くなったとは考えにくい!
② ③では光秀は信頼されている!!
  荒木村重、別所長治は情勢を判断して謀反した!
  何も一時の感情で謀反したのではない!!
  光秀も情勢を考えて、本能寺の変を起こした………


第四章 十五代将軍の執念――足利義昭黒幕説の検証
・足利義昭という人物
これほどしぶとい人間も珍しいと思うが………
鞆幕府推戴説があり、本能寺の変の黒幕とも言われる!!

・信長との邂逅と室町幕府再興
信長は義昭を利用した………
義昭を奉じて上京を果たす!!
そうして室町幕府再興を実行するが、両者には隔たりがある??
神輿は軽くてパーが良い?????

・信長に擦り寄る義昭
信長への三通の御内書がある!
① 信長の武功を称えたもの
② 足利家の家紋の使用を許可されたもの
③ 斯波氏の名跡の継承を許可された
このうち③は断った!!
要は足利義昭の家臣になるのと同じ意味である?
微妙な関係である………

・信長との確執
御所造営以後、両者の関係は悪化する……
「殿中掟九ヶ条」と追加の「七ヶ条」
信長は室町幕府をそのまま残そうとする………
要は福将軍や管領にならずに、名より実を取った………

・信長の「異見十七ヵ条」
決定的に仲は悪くなる………
内容は、戒めや教えと言うが、義昭は受け入れられない………
完全に仲は破綻する………

・戦う義昭――反信長包囲網の構築
義昭は軍事行動を起こす!!
有力な大名がいる!!
信玄に謙信である????
しかし間に合わない???
が信玄は死に、謙信も動けない!!
信長の軍事力に対抗出来るわけがない………
義昭の夢は無残にも崩れ、朝倉義景、浅井長政も死ぬ………
毛利が手を差し伸べる………

・毛利氏を頼って
毛利は信長と戦いたくない???
信長と義昭を仲裁しようとする???
安国寺恵瓊が登場する!!
秀吉と、朝山日乗で交渉が始まる!!
義昭は信長に人質を要求する!!!
自分の状況が分かっていない………
交渉は決裂して紀伊に映る………

・鞆幕府の成立
毛利は信長との対決は避けられないと!!
義昭を引き受ける………
義昭は輝元に副将軍を与える………
実態は伴わないと!!
毛利の軍事力しか当てに出来ない………
過大評価は出来ないと………

・鞆幕府の評価と内実
それなりの権威はあった………
何とか奉公衆を組織している!
集まった大名??
武田信景、六角義堯、北畠具親………
負け組である!! 信長憎しの大名である???
要は大それたことが出来るとは思えない………
過大評価するべきではないと!!!

・光秀は義昭と結んだのか――黒幕説は成立するか
単純に考えても、義昭が黒幕はあり得ないと!!!
本能寺の変を毛利がつかんだのは4日後と言う!!
と言うように、現在と時代が違う!!
どうやって京と鞆の連絡を取ったのか???
秘密は知る人が多いと漏れる………
この時期に義昭と心中する人間はいるのか?????


第五章 天皇の立場――天皇・朝廷黒幕説の検証
・戦国期の天皇
「隆慶一郎・花と火の帝」がある!!
未完であるが、この本に「帝はなぜ偉いのか?」と言う問いがあった!!!
偉いから偉いと!!!!
戦国時代は天皇も内職をしている?????
苦しい生活だった………
超越した存在と大名たちも理解している!!
なので生き残った………
信長の朝廷に対する評価は、時代によって違う!!!

・信長と朝廷との関係
義昭にも朝廷を大切にしろと命令している………
義昭が大切にしない分、信長が奉仕した!
信長は朝廷に敵対せず、温存しながら自らの勢力を伸ばしたと!!

・信長と官途
信長は官位に執着しなかった………
右大臣兼右近衛大将を辞任した!
① 未だ征伐が終わっていない
② 全国平定を成し遂げた際には、登用の勅命を受けたい
③ 顕職は、子息の信忠に譲りたい
信長は官職に執着心がないので、家臣にも推挙しなかった………

・三職推任問題
関白
太政大臣
将軍
朝廷が持ち掛けたのか??
信長が強要したのか???
信長はいずれも断った………
あまり意味と、興味を持たなかったという??
では何になりたかったのか???
将軍すら義昭を見ているとなりたくない………
やはり天皇か???

・改元問題をめぐって
改元は???
① 天皇の代始
② 祥瑞の出現
③ 天変地異、疫疾、兵乱など
④ 辛酉革命、甲子革命
⑤ 室町時代以後将軍の代始
改元には費用に掛かる!!!
元亀を代える???
天正は信長の要望である……
他には、「安永」があったようだ………

・暦問題について
暦を握るのもが天下人である!!
日食や月食の時期が合わなくなる??
宣命歴  陰陽頭  土御門久脩
三島暦  尾張で使用
三島暦を信長は選んだ………
実際に宣命歴は、日食や月食の時期が合わないのを信長が自分の目で確認してい!
これの変更を迫った………
時の支配者になりたかったと???
それより天皇の身を守るためだったと!!

付記に、宣命歴は日食を予測したとある!!
信長は三島暦ではなく、尾張の暦を推薦した………
改めて検討が必要だと!!

・正親町天皇の譲位問題
この問題も二つの意見がある!
① 譲位を迫り、朝廷を圧迫した?
② 逆に正親町天皇が感謝したと!!
著者は朝廷と信長の関係を見直す必要があると!!
著者は正親町天皇が喜んで譲位を受け入れたとする!!!

・馬揃えの意味
このイベントは好評だった………
派手だったようだ………
これを正親町天皇に対する譲位の圧力とみるか??
正親町天皇を招いて行うことで、全国各地に信長の権威が伝わった??
畿内だけではないと………
大成功であったようだが………

・「朝廷黒幕説」は成り立つか
結論は、興味深いがと言う意見である!!
信長と朝廷は敵対していなかったと言う意見である!!
今後の研究によると!!!

第六章 本能寺の変とは何だったのか
・信長と光秀の対立軸
武田勝頼を滅亡させた後、家康の饗応の担当になる!!
この時に何らかのトラブルがあった!!
激しい折檻ではないようだが………
「稲葉家譜」の記述がある!
斎藤利三以外に、那波直治が稲葉家を離れて光秀に仕えた!!
これは信長に戻されて、斎藤利三は切腹になるところだった………
このことを恨みに思った………
斎藤利三犯行説もあるが………
家譜の内容も検証が必要だと!!!

・信長、上洛する
中国出陣前に上洛する!!
安土城は、蒲生賢秀らが守っている!
信長は上機嫌である……… 光秀のことなど頭にない!!

・光秀、直前の動向
愛宕山で戦勝祈願をした………  くじを二・三度引いた………
連歌会に出席している!!
「ときは今、あめが下知る 五月哉」である!!
わざわざこれからやるとの決意表明なんかするのかと!!!
確かにそう思うが………
粽を皮のまま食べた話はないが………

・本能寺の変、勃発
重臣に打ち明ける!!
明智秀満、斎藤利三、明智次右衛門、
藤田伝五、溝尾秀次である………
この名前は誰が伝えたのか???

① 信長を討ち果たすべく「天下の主」となるべき調儀をしっかり行うこと!
② 老いの坂から京へ向かう! 老いの坂である……… 重臣が先導する………
  後に、この時の兵が、家康を討つのだと思ったと!!

本能寺では、信長が光秀だと知って「是非に及ばず」と言った!!
信長、信忠と討取られる………
わずか3時間余で、信長を討った………

・変後の光秀
信長家臣の動向???
① 北陸  柴田勝家、前田利家、佐々成政、佐久間盛政
② 中国  羽柴秀吉、
③ 関東  滝川一益
④ 四国  織田信孝、丹羽長秀、蜂屋頼隆、津田信澄
⑤ 摂津  高山右近、中川清秀
⑥ 堺   徳川家康

光秀は筒井順慶、細川藤孝を当てにしていた………
両名とも光秀に付かなかった………
このあたりからも計画的ではなかったと………

・混乱する光秀
変以降の光秀は混乱している!!
京の警備の責任は負う………
織田家旧臣の動きも鈍い………
秀吉以外は………

・秀吉の中国大返し
この速度が速いので、変を知っていたと疑われている!!
備中高松    沼城    姫路城    明石    西宮(兵庫経由)
     22㎞    55㎞    34㎞    34㎞
山崎の合戦場までは200㎞と言う!!!
人間目標があるとやる気になる………

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・山崎合戦から光秀横死まで
負けるべくして光秀は負けた!!
黒幕がいても結果は果たして良かったのか???
味方もいないで兵力に差がある!!
光秀は主殺しのイメージが付きまとう………
味方しても勝目は薄い………
小栗栖で光秀は落ち武者狩りにあう………

・光秀単独犯説
家臣は信長にいつ追放されるかを恐れた………
本能寺の変は計画されたものではない!!
黒幕もいない光秀の単独犯行であると!!!
光秀の藤孝に宛てた書状がある!!
① 藤孝・忠興がもどりを切ったことに対して、光秀は腹を立てが、
  改めて親しく交わって欲しい!
② 藤孝・忠興には摂津の国を与える! 若狭希望するならその通りにする!
③ 不慮の儀(本能寺の変)を行ったのは、忠興らを取り立てるためである!
  光秀は引退して、明智光慶と忠興に引き渡すつもりである!
いつも思うが、明智光秀の娘は有名である???
ガラシャに、荒木村重の息子から明智秀満の妻、津田信澄の妻………
しかし息子についてはあまり知られていない………

思い込みがあり、自分の主張に資料を充てる???
一次資料ではなく、二次資料も取り入れる!!
その中でも都合が良いものを取り出す者がある!!
著者は、光秀の教養人がとび抜けたものではないと!!
また四国政策が、重要視され過ぎている………

・織田権力とは
「中世的権威を否定」した超人的人物???
最近は新しい信長像が提供されている!
「軍事的カリスマ」
少数精鋭主義で戦うが、長期化に伴い戦いの状況が変わる!!
巨大になった戦場は、各方面の司令官に任せる必要があった!!
方面軍である!!!
そうなればプロシア参謀本部である!!!
独裁者にならざるを得なくて、信長に賛同し、臣従する者だけが生き残った!!

おわりに
二次資料の使い方には注意が必要だと!!
桐野作人、谷口克広、藤田達生らには感謝していると!!

文庫版あとがき
黒幕説の誤り!!
① 二次史料の無批判な使用
② 一次史料の誤読、曲解
③ 著しい論理の飛躍
新しい史料の発見もあり、まだまだ研究は続く………

 


光秀と信長: 本能寺の変に黒幕はいたのか・渡邊大門

 

 

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